カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

瀘川

2014年10月17日 | 京都
「其れを、感じよ。」

傍目には卒なく、オシャレに装い、日々悠々と営業しているかのように見える有名店であったとしても、大概の場合、其の経済的内情というのは、実は楽観的にはなれないというのが、およそ現実的な在り方で、とても庶民的とは言えない高額なメニュウを、其れに見合った名のある食器に装い、格式を以って其の内装を整え、サーブする為だけの人員すら数名抱え、手間隙のかかる凝った料理を提供していたあの店が、いつの間にか、まるでそんな料理店など最初から無かったかのように忽然と閉店してしまっていたというようなことも、此の世知辛い世の中、然程めずらしいことではない。其れは殊更に都会の繁華街でこそ、顕著な事象でさえあるだろう。

だがしかし、賑やかな喧騒とは別の処、もっと落ち着いた郊外にこそ、探し求める其れは、きっと在る。

前述の様な一見外面完璧に見える料理店、そんな華やかな処でしか、其の手の凝った料理を戴くことは不可能なのかというと、其れは些か早合点というもので、かつては一角の有名料理店で腕を磨き、間違いのない其の料理を提供していたのであろう料理人が、己の残された人生を深く見極め、人に使われるのではなく、人を使うでもなく、家族と共に地に足の着いた生活を望み、あえて個人で小さな店を構えるということも、世の中然程めずらしいことではない。

そして、明らかに此の料理店が其のような類の成り立ちなのであろうということは、どのような話を聞くまでもなく、其の料理を戴いてみればおよそ明白で、百聞は一見にしかずと同義にて、百聞は一食にしかずなのである。

瀘川中華料理 / 桂駅
夜総合点★★★★ 4.0



コメントを投稿