倉敷ホーリネスチャーチ

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[果たすべき責任がある]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年05月05日 | メッセージ
2008年5月4日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[果たすべき責任がある]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙1章13~17節
抜粋:1:14 わたしには、ギリシヤ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも、果すべき責任がある。

<要約>
 獄中のパウロは、何とかローマに行き、恵みを分かち合いたい思いでいっぱいでした。なぜなら『果たすべき責任がある』からだと言っています。パウロが言う『果たすべき責任』とはいった何でしょう?
 その前に『責任』とは・・・立場上当然負わなければならない任務や義務。と辞書にあります。このように『負債』を解消する義務があるのです。
主イエスの十字架により、私たちの『負債』はなくなりました。ではパウロが言う『負債』とは何でしょう?

 パウロはキリスト者を迫害し続けていましたが、ある日主がパウロに臨み目を開かれ、何と向くべき方向が180度変えられました。大転換したパウロは主のなさった事を伝える(伝道)する責任が私にある! と実感し行動するのです。
やりたい時や、ヒマな時に伝道しようか! 何てレベルではなく、何を差し置いても負っている負債を返す動きをしているのです。

 今を生きる私たちの『果たすべき責任』とはいった何でしょう?
一人ひとりが持っているタラントによっても違うでしょう。ある人は教会が建つほどの献金かもしれませんし、またある人はお金でなく、草取りかもしれません。主は区別される事なく全てを良しとされるのです。
また人は自分に都合良く考えがちで、「あの人に貸しがある!」とか、また親にたいしても「親だから子の私を世話して当然だ!」とか、「こんなにあの人に良くしたのだから貸しだね!」などと思った事ありませんか?
本当は自分の方が多く他から与えられているのに、貸した事ばかり執着しがちなのです。私たちは自己中心的な弱い者なのです。

 自己中心の例として聖書に、1万タラントの負債を持つ者が赦され、その赦された者が貸していた100デナリの者を赦さなかった事が記されています。自分は赦してもらっても、相手を赦せないのです。
極端に金額を現在に直しますと、約6千億円を赦してもらったのに、貸した100万円を赦さないのです。もっと言えば、ただの1円でさえ赦さず取り立てをするのです。
相手を赦す事、それは1円ほどのものです。主が私たちを赦されたのは、6千億円ほど、いえもっともっと大きな事を赦してくださったのです。また気持ちの中でも、小さなチンケなプライドのため、自分が相手より低く見られるのを嫌うような大きな罪が私たちにはあるのです。その思いが主を十字架にかけてしまった事、絶対に忘れてはならないのです。

 『果たすべき責任』とは・・・?
主から赦され、そして愛されているあなたの責任。それは『人を赦し、主のなさってくださった事を伝える』事に他なりません。感謝をもって主を証できる人は、なんと幸いでしょう。


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