tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

本日は、「月命日参り」で、お寺さん来宅。

2008年08月02日 | 季節の便り(北陸、福井)
皆さんは、身近に接するお坊さんを、本人に向かってどのように呼びますか?。
宗教には「ご縁はあれど、無関心」といっている私ですが・・・。

伝統仏教には、
現在13宗56派があるといわれています。
私がこの年にして、身近に接するのは、坐禅会に参加する「曹洞宗」、今の家は「浄土真宗」、
母の里は「浄土宗」、くらいです。

ところで、このお坊さんたちを、どのように呼ぶのが正しいのか、いつも迷います。
皆様はいかがですか。

顔をあわさないところでは、「お坊さん」・「坊主」などいろいろとありますが、
その方と、顔を合わせてのとき、

「方丈さん・お和尚さん・禅師・老師・おっさん・ごぜんさん・ごえんさん・(若さま)」等々。
こうした呼称は、その僧の宗派本山における、寺または個人の地位により異なるのです。

「住職さん」・「(寺名)寺さん」、「お和尚さん」あたりがさしつかえないのかも。

ご先祖さまへの、供養のひと時でした。

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6 コメント

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こんばんは^^ (yuka吉)
2008-08-03 01:04:16
寺のお坊さんも おしょうさんも 坊主さんも
人間だ。

法事の時にね、おしょうさんが
あの世のことはわかりませんが
「わたくしもまだ死んだことがないので、
あの世とはどのような世なのかを知りませんが
こうして親族が集まりいろんな話をし
先祖のことを思い、今があることを知ることが大切なのです」と。

お説教に耳をかたむけました

当然!

子どもたちもちゃんと聞いていました。
さー それをわかり、これからを生きたい!

なむなむ

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yuka吉 さん (tarpin)
2008-08-03 08:35:59
おはようございます。


「わたくしもまだ死んだことがないので」
の法話は、笑いがでましたね。
昔は?法事などでお坊さんの法話などなく、お寺に集めての説教といわれるものがそれでした。

ところが最近の葬儀の後、
やりだす事をたくさん経験しています。
ちっとも頷ける話を聞いたことがありません。
もっと勉強して中身のあるものを伺いたいものです。
これって、檀宗徒のパイ広げの努力とかも。
本音で、そう思っています。
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tarpinさんこんばんはです^^ (yuka吉)
2008-08-05 00:34:20
楽しいお説教は後に良い意味で心に残りますよね。

tarpinさんのお返事の中に、「ところが~そう思っています。」までのところ
言葉の意味がいちわかりませんっ
バカなyuka吉にもうすこしわかりやすく教えていただけませんでしょうか。
返信する
yuka吉さん (tarpin)
2008-08-05 09:34:51
おはようございます、コメント有難う。

仏教寺院では、門前看板の案内には、説教会
(年寄り向けの講話や説話)があり
ひと昔は、必ずやっていました。
しかし、新興宗教の華やかな宣伝や勧誘と異なり、
いま、若い人は見向きもしません、したがって説教会に人も集まらない、檀家は減る、寄進は減る、
こうした危機感から
今まで独立していた説教会の内容を、
葬儀の中で実施するようになったと思います。

私の指摘は、導師や住職が、故人へのかかわりや
業績などの解説は聞けるとしても、
仏のありがたさ・あの世のこと・はては、
数珠の持ち方など、
ここのところ、出席した厳かな儀式の中での僧のこの事に、違和感を感じていたものです。

毎月参加する坐禅会の老師の例(上記と宗派が違うが)では、釈迦の誕生やその年代、取り巻く
世界情勢から、禅語の解説、軸の崩し字の読み方
など具体的な、そして知識になる話が多く、
その、ギヤップを文字にしたものでした、
言葉足らずに失礼しました。
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tarpinさんこんばんはです^^ (yuka吉)
2008-08-09 00:45:45
私は、座禅とかしたことはない
足がしびれるのは嫌だもん あはは
でもね、「心」のどこかで
座禅と同じようなことをしているかもしれません。
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yuka吉さん (tarpin)
2008-08-09 09:53:03
おはようございます。訪問有難うございます。
昨日は、大津での一族の墓参会でした。
ところが明日再度大津へ、お盆の月は何かと
仏事でいそがしいものですね。

坐禅は、慣れば足の痛さも無いような
座り方もあるのです。
私は、さほど大層に思わず続けることに主点をおいているのですかね。
これを修行だとは思っていませんが、そのように位置付けると、yuka吉さんなど大変な仕事=修行なのではありませんか。
がんばり伝わり好感です、からだに気をつけて。

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