tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

「裏を見せ、おもてを見せて散るもみじ」良寛辞世、そしてコロナ。

2022年02月11日 | ちょつぴりの薀蓄

良寛和尚の辞世の歌と伝えられていますが、

誰かが呼んだものを時に借用したものだろうと、水上勉氏の解説。

 

 

この本、水上勉著「良寛」。

かねてから「お蕎麦自慢はお里が知れる」の詠み人は、

新潟の寒村生まれの良寛さんだと、いつぞや読んだ覚えがあり、

時に使う語でした。

ところが良寛さんでなく同じ出身の「一茶さん」でないのかと妻が言う。

そこで、かねてから捨てがたく持っていたこの本

(昭和59年版1984年)「良寛」。

ご存知のように著者、水上氏は福井県の方、

また、臨済宗の坊さん修行をされ途中で挫折した人(本人の言)。

一から読み直して、どこかに書いてあるはずと、読み急ぎました。

結論から言うと、どこにも書いてない、一茶もよく使われていたような

歌のようです。

 

「改めて良寛さん」、

新潟の村部の庄屋の長男、代官悪政に思いを募らせ

18歳で、曹洞宗寺院に逃げ込み、お坊さんに。

かねての期間、瀬戸内海にある玉島「圓通寺」で僧として下働き。

本山や師からの資格をもらうことなく、正式の僧職にならなく、

子供たちと遊ぶ放浪生活、天保2年1月死亡、74歳。

この世にあるも、「有るもの無し、是非もなかった人」といわれている、

すなわち「寺も、財産も妻子等何も無く 一生を過ごした人」。

最後の庵、五合庵の生活には、

「のみ・しらみ音なく、秋の虫ならば、わが懐は武蔵野の原」と、

風呂も無かったのでしょう。

野にいて、自分だけが禅僧としてこの世を全う。

半生は歌つくりに精を出された人、多くの歌が、

この本内にも紹介されている、

ただ、水上勉文学は、高度で難しく、良寛さんの歌も現在語でなく、

素人の私には難解が多い。免許をもらった和尚さんではないが、

「大遇良寛禅師」と人は呼んでいます。

(「禅師」とは曹洞宗の最高資格、普通のお坊さんは、禅師号は使えない)。

 

そして今日の福井のコロナ200名。8日続きの200名超え、

こども・学生等が多く、

福井県立高校では、3連休を使い「1週間のコロナ休校」が実施される。

 

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