良寛和尚の辞世の歌と伝えられていますが、
誰かが呼んだものを時に借用したものだろうと、水上勉氏の解説。
この本、水上勉著「良寛」。
かねてから「お蕎麦自慢はお里が知れる」の詠み人は、
新潟の寒村生まれの良寛さんだと、いつぞや読んだ覚えがあり、
時に使う語でした。
ところが良寛さんでなく同じ出身の「一茶さん」でないのかと妻が言う。
そこで、かねてから捨てがたく持っていたこの本
(昭和59年版1984年)「良寛」。
ご存知のように著者、水上氏は福井県の方、
また、臨済宗の坊さん修行をされ途中で挫折した人(本人の言)。
一から読み直して、どこかに書いてあるはずと、読み急ぎました。
結論から言うと、どこにも書いてない、一茶もよく使われていたような
歌のようです。
「改めて良寛さん」、
新潟の村部の庄屋の長男、代官悪政に思いを募らせ
18歳で、曹洞宗寺院に逃げ込み、お坊さんに。
かねての期間、瀬戸内海にある玉島「圓通寺」で僧として下働き。
本山や師からの資格をもらうことなく、正式の僧職にならなく、
子供たちと遊ぶ放浪生活、天保2年1月死亡、74歳。
この世にあるも、「有るもの無し、是非もなかった人」といわれている、
すなわち「寺も、財産も妻子等何も無く 一生を過ごした人」。
最後の庵、五合庵の生活には、
「のみ・しらみ音なく、秋の虫ならば、わが懐は武蔵野の原」と、
風呂も無かったのでしょう。
野にいて、自分だけが禅僧としてこの世を全う。
半生は歌つくりに精を出された人、多くの歌が、
この本内にも紹介されている、
ただ、水上勉文学は、高度で難しく、良寛さんの歌も現在語でなく、
素人の私には難解が多い。免許をもらった和尚さんではないが、
「大遇良寛禅師」と人は呼んでいます。
(「禅師」とは曹洞宗の最高資格、普通のお坊さんは、禅師号は使えない)。
そして今日の福井のコロナ200名。8日続きの200名超え、
こども・学生等が多く、
福井県立高校では、3連休を使い「1週間のコロナ休校」が実施される。