朝日新聞に掲載されている「吾輩は猫である」がなかなか終わらない。相変わらず迷亭先生やら苦沙弥先生、寒月くん、東風くんらが珍妙な議論を交わしている。銭湯の光景を描いた部分、近所の中学生が野球ボールをわざと苦沙弥邸に投げ込んで先生の憂鬱を助長する話などはつまらなくて、もう終わりに近づいたかと思ったが、なんとまたおもしろさ、珍妙さをとり戻して、いつ終わるともしれなくなった。去年の4月に始まった連載だから、まもなく丸1年になる。不如帰という俳句の月刊誌に1年8か月にわたって連載されたものを、日刊紙に小分けにして載せている。毎日の切り方がまた絶妙で、これはこれで楽しめる。
きのうの話はこうだ。迷亭先生の毒舌だったか、高価なものを人に売りつけておいて、相手は金がないから5年間の月賦払いにする。買ったほうは毎月一定額を自分のところへもってくる。5年が過ぎても月賦払いが習慣化してしまって支払い続けるだろうから、支払い超過に気づくまでは純粋に自分の利益になるというわけだ。
ところで夏目漱石の知識の広さ、語彙の豊富さには驚くばかりだ。そしてそれを朝日新聞ではいちいち解説してくれている。私たちいまの凡人には分からなくなっている語彙をとりあげ、出典を明記したり、意味を分かりやすく解説したりしている。もっともっとおおくの語彙をとりあげてほしい。漱石クラスの作家になれば、注釈だけで1冊の本が編めるのではないか。
むかしダンテの「神曲」を寿岳文章訳で読んだ。翻訳の読みやすさと同時に、その注釈の量の多さと的確さに舌を巻いたものだった。ポルトガルの詩人カモンイスが書いた「ウズ・ルジアダス」の池上岑夫訳でも、その注釈が邦訳書全体の3分の1近くを占めている。
漱石の注釈集が単行本化されることを期待している。