新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ゴールドラッシュに沸く町

2016年08月22日 | 日記


 いま1898年のアラスカの町ドーソンにいる。1895年に金鉱が発見されたというニュースが配信されて以来、ゴールドラッシュに沸いている。アメリカ各地から一攫千金を夢見る人たちが集まっている。
 シカゴからすねに傷もつ3人がまずはシアトルへ来る。カリフォルニアのゴールドラッシュはすでに終わっているが、ここはアラスカへ向かう船が出る港であり、多くの山師でごった返している。人が多いところには儲かる仕事がある。シアトルに着いた23歳の女性ミッシーはレストランで調理をし、15歳のトムは入ってくる船の船員に新聞を売る仕事に、40代の男バックは大手の船会社に雇われてその能力を発揮する。半年あまりで資金を十分にふやすことができた。アラスカ方面は9月から翌年の5月まで海や川が凍り、船が出発できない。その期間を利用して資金稼ぎに精を出した。
 北極の氷が溶けるころ3人は首尾よく乗船し、アラスカ南部のスキャグウェーにつく。シトカに近く、峠を越えればユコン川に出る。3人はそれぞれ1トン分の荷物を運んでいる。峠まで何十回も往復して荷物を運び上げなければならない。直前には雪崩が発生した。それでもひるむ人はいない。金鉱へたどり着こうとする人に怖じ気は禁物だ。
 ユコン川へ着くと、こんどは自分でボートを作りユコン川を下る。途中、流氷に櫂をとられバックが死ぬ。ミッシーとトムはその後の危険をくぐり抜けてドーソンにつく。
 ドーソンこそが金鉱発見でにぎわっている町だった。ここはカナダ領になっている。アメリカ領とは違い、官憲が犯罪に目を行き届かせており、金を採掘する場所などもきちんと登記されていた。ということは遅く着いた人にはもう採掘する場所がない。それでも人びとは押し寄せてくる。
 金を採掘している人はわずかに16人、そしてあとの600人はその町で何らかの仕事をしていた。持ちものを並べて店を開く人、馬をレンタルする人、医療や法律手続きを代行する人、占い師、売春宿の経営、ドーナツとコーヒーを売る人、クリーニング業、縫いもの師などなどだった。みなテントを張ったり、急ごしらえの掘っ立て小屋での経営だった。なかでも売春宿は70軒ときわだって多かった。ミッシーは調理の腕を活かし、温かい料理を提供していた。9月から4月まで、何からなにまでが凍りついてしまい、太陽が顔を見せない時期がつづく薄暗い期間を想像してみよう。温かい食べものがどれほど心を癒してくれることか。
 ミッシーとトムは、ユコン川の下流から2年前にのぼってきたクロープと知り合いになり、運よく金を採掘する作業を手伝う。山の尾根からむかし川だったらしい部分まで穴を掘り、土砂を堀りあげて水で流し、砂金が含まれていないかを見る。いつか砂金が出てくると信じて掘り続ける。
 しかし1895年に始まったこの騒ぎは、1904年にはもはや終焉を迎える。発見された金の量は限定的だった。

 地図帳を開いて、虫眼鏡で小さな文字を読みながら本を読みすすめます。いつか行こうと思えば行けそうなハワイとは異なり、アラスカは氷に閉ざされた州ですからまず行ける見込みはありません。それでも限りなく想像力をかき立ててくれるのは作家ジェームズ・ミッチェナーの筆の力でしょう。