英語教師として気になるのは、都立高校の英語入試にスピーキングテストが導入されることだ。英語の能力を見るテストに、スピーキングを入れること自体、悪いことではないが、問題は入試に入れることにある。入試となると中学生のほぼ全員が対象になるし、中学校の先生たちも保護者たちも子どもを合格させることに躍起になる。どうすればよい点数が獲得できるかを考え、その指導に精力を費やす。そこに問題がある。英語は使えてはじめて役立つ。英語でコミュニケーションができ、英語の文章を読み書きできてはじめて役立つ。テストの点数はその正確な評価であって欲しいのだが、はたしてそうなっているだろうか。
英検の二次試験は面接形式でおこなわれる。「スマホを幼い子どもに使わせることをあなたはどう思いますか」のような質問がなされる。高校生の場合、反対意見を述べたいのだが、なかなかスムーズに応えられない人がいるいっぽう、「ゲームをしたり、他人とメールしたりして頭を柔軟にするのに効果的だ」と比較的ユニークな応えをする人がいる。ただ受験者のこのユニークさはほとんどの場合、得点面に反映されることがなく、応答する英語の正確さばかりに注意が注がれて採点される。採点法はこれでよいのだろうか。
大学でポルトガル語を教わった教授は、当時のガイド通訳試験の試験官を務めていた。その教授がよく「大切なのは言語能力より人柄なんだよ」といっていた。外国人と接する仕事であるだけに、言語を聞き話す能力が少々拙くても、人柄が評価されれば日本の評判はぐんとよくなるという持論をもっていた。言語はコミュニケーションの手段であり、目的ではありえない。これは肝に銘じておくべきだろう。高校入試にスピーキングテストを導入しようとする都教委は、この肝心要のところを忘れないでほしいものだ。
いま高校生の英語コミュニケーション力はむかしに比べてずいぶん向上している。身近に外国人がいるなどの環境変化があるうえ、英語教育法が改善された結果でもあるだろう。来年度入学してくる高校1年生を注視していこう。