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韓国は、1970年代から80年代前半にかけては、「暗くて激しく恐い」3Kの国だった

2021-06-12 03:01:25 | 韓国旅行

 
韓国は、1970年代から80年代前半にかけては、「暗くて激しく恐い」3Kの国だった
 
1970年代から80年代前半にかけては、日本における韓国イメージは金大中拉致事件や反政府運動、南北対立、クーデター、政治混乱・・・・・・などもっぱら政治的ニュースの影響で「暗くて激しく恐い国」だった。
このころ日本での韓国イメージが「3K」で語られていた。
 
「3K」とは、キンダイチュー(金大中)、KCIA、キーセンである。
最初の2Kは一つに重なる政治的イメージだが、1973年に日本で反政府活動中、東京のホテルから無理やり本国に連れ戻されたのが金大中(後に大統領になった)であり、その事件の下手人が通称「KCIA」といわれた韓国の情報機関だった。


以降、日本ではメディアを中心に韓国批判が噴出し「韓国はひどい」のイメージは80年代まで続いた。
 
あれは日本における最初の反韓ブームだったかもしれない。
しかしこの時の反韓感情の高まりは韓国の反日とは関係なかった。
 
金大中拉致事件は韓国情報機関という公権力による海外での不法行為で、日本は国家としては被害者だった。
この事件で韓国は内外で激しい非難にさらされ政治的危機に陥った。


しかし当時の自民党や保守・右派勢力は、内外の厳しい批判にもかかわらず「発展途上にある韓国の発展のためには追い詰めてはいけない」との立場で韓国擁護に回り、結果的に事件追及をうやむやにしてしまった。


1970年代の韓国(朴正熙政権)はこうして日本に“保護“されることによって経済発展と近代化を実現していった。
 
「3K」に戻れば、もう一つのKの「キーセン(妓生)」は、伝統的には宴席の接待女性のことだが、当時、韓国におけるいわゆる“セックス観光“の代名詞として語られた。


韓流ブーム以降、日本人の韓国観光旅行者は女性優位に逆転したが、それまでの韓国旅行というのは圧倒的に男性中心で「キーセン観光」がそのシンボルになっていた。
 
しかし「3K」はいずれも韓国にとっては否定的イメージである。
決して自慢できるものではなかった。


この否定的イメージに変化が生じたのが1988年のソウル・オリンピックだった。

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