韓国人は、二言目には「焼き物(陶磁器)は韓国が日本に伝えた」「日本が韓国から大勢の陶工をを“強制連行“したので、以後、韓国の陶器は衰退した」などと口にする。
約1万6千年前の世界最古の土器(1999年青森県蟹田町出土)が日本で発見されており、ヨーロッパの王宮や宝物館などに飾られている陶磁器の多くが、古伊万里などの日本の焼き物である。
伝統的な有田や九谷から、茶の湯の楽焼、大窯の美濃や瀬戸、他にも萩や信楽、益子、万古、常滑、備前、丹波、伊賀、唐津など、日本には、数え切れないほどの窯元があり、日本の陶磁器は、名実ともに、世界一である。
一方、韓国の陶磁器は、高麗時代の高麗青磁を頂点に、あとは衰退の一途をたどって、現在では、日常使う食器まで、ステンレス製である。
韓国人は、モンゴル人の侵入で各地の窯が大きな打撃を受けた、豊臣秀吉の侵略軍が陶工を連れ去ったなどの理屈をつけるが、原因は、ただひとつ、職人が並みの低い身分だったため、技術が、伝統として、根づかなかったためである。
ところが日本では、芸術品で、銘を入れて、殿様に献上された。
韓国で“物づくり“の精神が育たなかったのは、職人が蔑視されたからである。
韓国儒教では、みずから体を動かすことは、下賎なふるまいで、高貴な者は、自分の顔を下女に洗わせ、李朝時代の王は、外国人外交官のテニス戦を見て「なぜ、使用人にやらせないのか」と尋ねたという。
高貴な者は、生産にたずさわらず、それが、両班政治で、朝鮮では、科挙試験に合格した家柄のよいエリート集団の独裁体制だった。
両班が重んじるのは、韓国流の儒教序列だけで「目上の者を下に見る二階建ての家は建ててはならぬ」「商人は下賎なので、馬や船を使ってはならぬ」などという、経済活動を制限する掟を発令して、悦に入っていたのである。
職人が、顧客の気に入らないものを作った場合、体罰をくわえるしきたりもあったため、日韓併合によって、長男を生んだ女性が着る「乳出しチョゴリ」などとともに旧弊が一掃されるまで、男たちは、働くよりも路上でサイコロをころがすような生き方をえらんだ。
これで国家が成り立つわけはない。
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