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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

警官がスカート丈を測った時代もあった

2021-06-20 02:58:30 | 韓国旅行

 
警官がスカート丈を測った時代もあった
 
60年代に世界を席巻したミニスカートブームは、韓国にも及んだ。
そのシンボル的存在が、女性歌手の尹福姫。
60年代に海外で活躍した韓国女性グループ「コリアン・キトゥンズ」の元メンバーだ。
 
1967年に帰国した彼女が金浦(キムポ)空港にミニスカートで降り立ったことから、その世界的なブームが韓国へ伝わったといわれている。
実際には帰国時にはコートを着ていたそうだが、レコードジャケットなどのミニスカート姿が大きなインパクトを与えたのは事実だ。
 
ただし性に保守的な韓国では、女性の露出に対する視線も厳しかった。
1973年には、短すぎるミニスカートが軽犯罪法で取り締まられたこともある。
その基準は、ひざ上20㎝。


実際に明洞(ミョンドン)などの繁華街を定規を持った警官が巡回し、女性を呼び止めて長さを測ったそうだ。


そんな時代と比べると、2000年代以降のミニスカートブームは隔世の感があまりにも大きいように感じます。
 

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実弾射撃場の最大の顧客は、日本人の中で俗に「ヤーサン」と呼ばれる方達とのこと・・・真意の程は分かりませんが

2021-06-19 02:52:58 | 韓国旅行

 
釜山の国際市場、ソウルの南大門市場に引けを取らない大型生活市場で、観光客も多い市場だ。
 
10年ほど前、この国際市場で大惨事が発生した。
アリラン通りの가나다라실탄사격장(カナダラ実弾射撃場)での火災で、日本人観光客10人が亡くなるという衝撃的な事故である。
 


事故後、何度か現場の前を通ったが、狭い路地で消防車も簡単に近寄れなかったらしい。
 
釜山には실탄사격장(実弾射撃場)が数カ所あるが日本の観光客には大変人気があって観光コースにも入っているようだ。

ある事情通の話では、実弾射撃場の最大の顧客は日本人の中でも俗に「ヤーサン」と呼ばれる特別な職業の方達であって、皆さんは時には実弾で命のやり取りをされる職業なので、当地の射撃場は格好の訓練場であり、金に糸目をつけず団体で特訓するとのこと。
 
真意の程は分かりませんが・・・・・・

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애인(えいん)、漢字で書くと「愛人」です

2021-06-18 02:27:47 | 韓国旅行

 

애인(えいん)、漢字で書くと「愛人」です。

 

日本語でいう、どことなく日陰の花のようなムードはありません。

単なる恋人のことです。

 

韓国では初対面の人に向かっても、平気でプライベートなことを尋ねてきます。

「えいん(愛人・애인)いっそよ?」、つまり「恋人いるの?」などはまだいい方で、「ちょにょ いむにか?」、直訳すると「処女ですか?」と尋ねたりしますが、まあ、「結婚してますか?」くらいの意味なので驚くことはありません。

 

「あなたは애인(愛人)いますか」と日本語で聞かれギョッとなった、ひとも多いかもしれません。

韓国人は適齢期を過ぎても結婚していない人に対して「老処女」という言葉を使います。

「いかず後家」みたいな意味なので、まちがっても「わたしってそんなに貞淑にみえるのかしら」などと喜んではいけません。

 

日本人にとって「処女」という言葉は、男が女に対して気軽に使える言葉ではありません。

でも、韓国では「処女時代」というと「娘時代」という意味を表すなど、一般的に使われている言葉なのです。

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韓国人は「빨리 빨리(ぱりぱり)」(早く早く)やるのが好きで、思いついたら即、実行です

2021-06-17 02:45:41 | 韓国旅行

 

韓国人と日本人を比較してみると、その場で何の準備もなくとも、とにかく何かをしてしまうのが韓国人です。

 

日本人といえば、きちんと準備をして、何回もリハーサルをし、よしこれなら本番は絶対に大丈夫という確信がないかぎり、ものごとを起こそうとしません。

けれども韓国人は、さしたる準備もなく、とにかく始めてしまうのです。

あとは何とかなるさという楽観論が堂々と横たわっています。

 

今、ちょっといいかい?

時間ある?

韓国ではいきなり人がアポなしに飛びこんできて、それがけっこう大きな用事であったりすることが、よくあります。

ですから油断がなりません。

「今日はちょっと無理だから、また日を改めて」なんて鷹揚に構えていると、何もできなくなってしまいます。

韓国で生き延びるためには、原則論にこだわらず、臨機応変に出来ごとに立ち向かう力が必要です。

 

日本では「今日できることは明日に延ばすな」という表現が最も広く使われています。

一方、ラテン系の国では、「今日できることは明日にもできる」「明日できることは今日やるな」「明日できることは明日やれ」のような表現が使われます。

 

韓国は日本と同じように、明日に延ばしてはいけないのです。

「今日できることは今日やる」という表現もあります。

 

韓国人は「빨리 빨리(ぱりぱり)」(早く早く)やるのが好きで、思いついたら即、実行です。

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韓国という国を一言で表現するならば「빨리 빨리(パリパリ)」です

2021-06-16 03:03:05 | 韓国旅行

 

「早く、早く」と相手を急がせたいときには「빨리 빨리(パリパリ)」といいます。

携帯からメールで送るときには「8282」と表記すると、発音が同じなので、簡単に通じるようです。

 

食堂で肉を食べていても、どんどん新しく肉を網にのせてくれる。

早く早く食べろ、というわけです。

 

韓国という国を一言で表現するならば「빨리 빨리(パリパリ)」です。

 

外国人が韓国に来て最初に覚える形容詞は「빨리 빨리(パリパリ)」で、韓国人みずから「わが国は『パリパリ病』にかかっている」という人もいるほどです。

 

「韓国人はもともと、ゆっくりと余裕をもって物事を行なうという民族性をもつ。日帝時代の差し迫った状況下で生き残るため、真面目に素早くやった結果として生まれた性質が『ぱりぱり』だ」と考えている韓国人も多くいるようです。

本当のところはわかりませんが、もし真実だったら、「日本のせい」にばかりするのではなく「日本のおかげ」にも感謝すべきでしょう。

国際化時代では「ぱりぱり」モノを作り、「ぱりぱり」物事を進めることが重要です。

 

悠長にコトを構えていては国際競争力を持てず、今のような韓国の発展はなかったかもしれません。

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韓国人は、ハングルと漢字という自国語を2度捨てたのである

2021-06-15 02:48:22 | 韓国旅行

 
韓国人は、日韓併合で朝鮮名やハングルを奪われるなど民族的屈辱を受けたといいます。
 
しかし、15世紀に発明されたハングルは、野蛮な文字として両班によって400年間封印された。
ハングルを発見し、日本の漢字仮名混じり文に倣って、「漢字ハングル混合文」を考案したのは福沢諭吉だった。
日本は、ハングルの教科書を用意して、日本が建てた5200校の小学校でハングル語を教えた。
 
ハングルを捨てたのは、韓国の学校当事者で、1938年に必修から外し、1941年、教育科目から除外した。
韓国人は、ハングルと漢字という自国語を2度捨てたのである。
 
朝鮮名を奪った事実もない。
日本名を併記しただけで、現在日本では交通機関の案内板も、日本語と英語、中国語、ハングルの4カ国語で書かれているものも多い。
 
創氏改名は「氏」の創設や「改名」を許可しただけで、当時朝鮮人がこれにとびついたのは、満州入国がフリーパスになるなど、メリットが多かったからである。
 
それでも、韓国人は日韓併合が、「人類史上、類例のない残虐な植民地政策」だったと主張する。
忘恩を最大の恥とする日本人には、とうてい理解できない人々だ。

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「恨」の韓国人、「水に流す」日本人

2021-06-14 02:59:28 | 韓国旅行

 
「恨」の韓国人、「水に流す」日本人
 
日本人の「水に流す」は、“再生“を意味している。
韓国では、決して水に流さない。
それどころか、「恨五百年」が、最近、千年まで延長された。
 
日本で事大主義がはびこらなかった。
昨夜の敵は今日の友となり、恨みは水に流して根に持たなかった。
 
韓国の事大主義は戦術ではなく、体制で宗主国の風向きですべてがひっくり返る。
単一文化の韓国では、ハングルが出てくると漢字が否定され、陶磁器を見限ると食器がすべてステンレス製になった。
宗教も仏教が入ってくると、原始宗教が捨てられ、儒教が入ってくると仏教が弾圧され、現在はキリスト教が多数派で、仏教や儒教は見向きもされない。
単一文化の国では、新しいものが古いものを排除した上にのっかる。
 
日本では、新しいものが古いものの横に置かれて並立する。
日本人は、各宗教のよいところをすべてもっている。
和式と洋式、中華と韓流、それぞれの長所や個性を生かしながら、横並びというより花園のような平面的展開で、ともに栄えている。
 
何も差別されず否定されないので、“恨“はどこからも生じない。
世界中、どこにでもいる華僑がいない(少ない)のは、韓国だけである。
民族的、行政的、経済的差別を受けるので逃げ出すのである。
 
“恨“の国では、差別や排除の論理が、水に流されるどころか土中に深く根を張る。
他を否定し、恨み、排除すると墓穴を掘ることになる。
 
日本には、「人を呪うわば穴二つ」ということわざがある。
ところが、韓国では「一緒に井戸を掘って一人で飲む」である。
「恨千年」は、韓国人がみずからかけた呪いなのである。

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他人の不幸をよろこぶ韓国、ともにかなしむ日本

2021-06-13 02:59:57 | 韓国旅行

 
他人の不幸をよろこぶ韓国、ともにかなしむ日本
 
農耕世界では、隣の田畑が凶作なら、我が田畑も実りがないので隣の田畑の凶作をねがうなどということは、起こりえない。
日本の農業は、昔から協業で田植えから刈り入れまで村総出でおこなった。
その一体感を表わす行事が、収穫祭の“村祭り“である。
ところが、韓国には村祭りがない。
 
反乱をおそれた王朝や両班が、民衆が集う村祭りや宗教的行事を禁じたという事情もあるが、韓国にはそもそも、村という「共同体の意識」が乏しい。
韓国は住民の祖先神にあたる氏神や地神がいない。
政権が代わるたび、神が代わり住民が入れ替わったためで、他民族侵入による先住民の虐殺、追放もたびたびおこなわれた。
韓国に地域差別があるのはその名残だ。
 
政権が代わるたび、それまでの宗教が弾圧され、李朝時代には1万以上あった寺院は、秀吉の朝鮮出兵時には数十に激減していた。
寺院や仏像といっしょに日本でいう神道も、一掃されたはずで、それも朝鮮半島に共同体意識がうまれなかった理由の一つである。
 
ともによろこび、ともに悲しむ共同体の核で、日本人は神話を共有することによって同胞意識を培った。
韓国儒教は、大衆宗教ではない。
エリートのための観念宗教で、一部の優秀な人間だけが天につうずるという思い上がった選良主義、究極の個人主義の上に立っている。
したがって、同一神、同一神話の下で培われる同胞意識がうまれない。
 
韓国人の個人主義は、神のいない唯我独尊で孤独なオカルトである。

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韓国は、1970年代から80年代前半にかけては、「暗くて激しく恐い」3Kの国だった

2021-06-12 03:01:25 | 韓国旅行

 
韓国は、1970年代から80年代前半にかけては、「暗くて激しく恐い」3Kの国だった
 
1970年代から80年代前半にかけては、日本における韓国イメージは金大中拉致事件や反政府運動、南北対立、クーデター、政治混乱・・・・・・などもっぱら政治的ニュースの影響で「暗くて激しく恐い国」だった。
このころ日本での韓国イメージが「3K」で語られていた。
 
「3K」とは、キンダイチュー(金大中)、KCIA、キーセンである。
最初の2Kは一つに重なる政治的イメージだが、1973年に日本で反政府活動中、東京のホテルから無理やり本国に連れ戻されたのが金大中(後に大統領になった)であり、その事件の下手人が通称「KCIA」といわれた韓国の情報機関だった。


以降、日本ではメディアを中心に韓国批判が噴出し「韓国はひどい」のイメージは80年代まで続いた。
 
あれは日本における最初の反韓ブームだったかもしれない。
しかしこの時の反韓感情の高まりは韓国の反日とは関係なかった。
 
金大中拉致事件は韓国情報機関という公権力による海外での不法行為で、日本は国家としては被害者だった。
この事件で韓国は内外で激しい非難にさらされ政治的危機に陥った。


しかし当時の自民党や保守・右派勢力は、内外の厳しい批判にもかかわらず「発展途上にある韓国の発展のためには追い詰めてはいけない」との立場で韓国擁護に回り、結果的に事件追及をうやむやにしてしまった。


1970年代の韓国(朴正熙政権)はこうして日本に“保護“されることによって経済発展と近代化を実現していった。
 
「3K」に戻れば、もう一つのKの「キーセン(妓生)」は、伝統的には宴席の接待女性のことだが、当時、韓国におけるいわゆる“セックス観光“の代名詞として語られた。


韓流ブーム以降、日本人の韓国観光旅行者は女性優位に逆転したが、それまでの韓国旅行というのは圧倒的に男性中心で「キーセン観光」がそのシンボルになっていた。
 
しかし「3K」はいずれも韓国にとっては否定的イメージである。
決して自慢できるものではなかった。


この否定的イメージに変化が生じたのが1988年のソウル・オリンピックだった。

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日本人は何ごとにも慎重だが、韓国人は考えるより行動が先となります

2021-06-11 02:47:36 | 韓国旅行

 
日本人は先のことをいつも心配している悲観民族だが、韓国人は「先のことは気にしても仕方がない」「なるようになるさ」という楽観民族といわれてきました。
とくに韓国人自身がよくそういってきました。
 
だから日本人は何ごとにも慎重だが、韓国人は考えるより行動が先となります。
東京都ソウルのビジネス街やターミナルで、出退勤時のラッシュアワーの人の群れを見比べると面白い。
まず人の表情に違いがあります。
東京の方は緊張感があり表情はどちらかというと重く感じるが、ソウルの方はリラックスしていてそちらかというと軽い。
東京の人々の風景が画一的に見え、ソウルの方は勝手で個性的に見えたりします。
 
日ごろ楽天的なら当然、表情も明るく見える。
韓国人だってもちろん悩みはある。
しかし、それはそれとしてクヨクヨする度合いが日本人に比べて少ないように見えます。
 
ただOLなどビジネス街での若い女性は韓国人の方が緊張して見えます。
彼女たちは「あたし化粧しています」と顔のなかもくっきり描き、「どうぞ見てください!」とばかり胸を張って歩いています。
他人を見たり他人に配慮する気はまったくなく「見られてたり配慮されたりするのはわたしの方よ!」と、今やみんなお姫様になっているように見えてしまいます。

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