1970年代位まで、当時、在日コリアンの進む道は三つしかないといわれていました。
一つ目は親の仕事を継ぐこと。
屑鉄屋だとか、焼き肉など飲食店、パチンコ、街金融など、あげればきりがないが、いわゆる自営業である。
二つ目は、腕っぷしに自信のある人間が暴力団、ヤクザ稼業に入る。
極道になった在日は多くいます。
すぐに思い浮かぶのが、柳川組組長(三代目山口組若中)の柳川次郎(1923年生まれ、本名梁元鍚)、銀座の虎と呼ばれた町井久之東声会会長(1923年生まれ、本名鄭建永)、京都の高山登久太朗会小鉄会会長(1928年生まれ、本名姜外秀)、池袋を拠点とする極東会の松山真一会長(1927年生まれ、本名曹圭化)、そして稲川会・清田次郎五代目会長(1940年生まれ、本名辛ピョン圭)などまさに腕一本でのし上がっていった人たちだ。
団塊の世代でも、すでに名の知れた彼らに影響を受けて、この道に入った者も非常に多かった。
彼らは軍事独裁政権時代の韓国を支える「黒い人脈」でもあったのです。
三つ目には、才能があったり顔がよい場合、スポーツ界や芸能界に入ること。
これは今の若い世代でも同様だが、世間で名の知れた、野球やゴルフなどプロスポーツ選手や角界、芸能界で活躍している有名人には、これもあげればきりがないほど、在日が多い。
昔は紅白歌合戦を見ていると、日韓歌合戦かと思うほどだったが、プロフィールは通名で通しているため、かっては雑誌などで出自を暴露する、煽情的な特集記事が組まれた時代もあった。
しかし今ではさすがに売れなくなったと見えて、ネットの噂話程度に留まっているのは、多少の進歩かもしれない。
それでも本名を名乗って仕事をしている在日は、今なお圧倒的な少数派だ。
ビジネスで自信のある人は、ソフトバンクの孫正義社長やマルハンの韓昌祐社長のように、本名で堂々とやっているが、これはごく少数派にすぎず、ほとんどの在日は通名を使っている。