かって韓国には「東方儀礼の国」と呼ばれる時代があった。
儒教の本家、中国にも劣らぬ礼経がきちんと行われる社会であることを誇りとしていた。
極端な話だが、当時の両班たちは一杯の酒を飲み干すまでに互いに百回の礼儀を尽くしたという。
彼らの言葉づかいや行動には気品があった。
また、たとえ首に刀を突き付けられても命より名誉と信義を重んじた。
韓国の先祖は日本人を「礼儀を知らない下郎」という意味を込めて「倭人」と呼んで軽視した。
ところがいつのまにか正反対になってしまった。
今、日本人は韓国人を礼儀知らずの人間だと考えている人も多い。
韓国は以前は、老人やからだの不自由な人はいつでもだれでも席を譲ってもらえた。
今やバスには彼らの座る場所はない。
混雑してぶつかっても「ごめんなさい」という言葉も聞かれない。
すっかり世の中が変わってしまったのだ。
日本人はいつも「ありがとうございます」と「すみません」を口にしている。
相手に対する心遣いがふと口をついて出てくるのだ。
感謝するときでさえ「すみません」と謝りながら相手を気遣う民族はほかにいるのだろうか。
日本人は感謝するときも謝罪をするときも腰を直角に曲げてお辞儀をする。
しかも一回では終わらず、たいてい三回繰り返し、相手が上げるのを待っておもむろに上げる。
一国のモラルをお辞儀や言葉だけでから判断できないが、感謝と謝罪の言葉が使われない国より、相手を気遣う言葉が行き交う国の方が気持ちがいいのは人情の常であろう。