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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

{韓国 ソウル} 普信閣という名の由来

2013-06-29 18:40:09 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

韓国の歴史と共に歩んできた鐘楼

普信閣が初めて建築されたのは、朝鮮時代が始まってすぐの1395年。場所は現在の位置とは異なり、タプコル公園の西側、仁寺洞(インサドン)通りの入口付近にありました。平穏に時を告げ続けるかと思われた普信閣でしたが、その歴史は波乱の連続でした。4度もの火災に見舞われたうえ、日本の植民地時代には現在の位置に移転。さらに1950年代初頭の朝鮮戦争でも大きく破損し、幾度となく再建工事が繰り返されてきました。現在目にすることができる普信閣は、1979年8月にソウル市によって復元されたもので、正面5間、側面4間、2階建ての楼閣となっています。

普信閣という名の由来

普信閣の最寄り駅は地下鉄1号線鐘閣(チョンガッ)駅ですが、この「鐘閣」という名称は普信閣の元々の名前です。人々が「鐘閣」ではなく「普信閣」と呼び始めるようになったのは、朝鮮時代後期の1895年になってからのこと。第26代王の高宗(コジョン)が「普信閣」と書かれた扁額(門などに掲げられる額)を下賜したことにより普信閣と呼ばれるようになりました。現在、普信閣に掲げられているのは、李承晩(イ・スンマン)初代大統領の直筆による扁額です。

普信閣という名前には、「信じる心が広く行き渡るように」という意味が込められています。「興仁之門(フンインジムン、通称東大門)」や「崇礼門(スンネムン、通称南大門)」など、ソウルの四大門は儒教五常の徳である「仁義礼智信」の文字をとって名付けられていますが、そのうち「信」の字は城門ではないものの、門の開閉において重要な役割を担っていた普信閣に与えられているというのは興味深いところです。

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{韓国 ソウル} 鐘路1街  ←世宗大路交差点  ↑光化門  →鐘路2街

2013-06-29 18:31:57 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

この辺りはまさにソウルの中心部です・・・

鐘路1街

←世宗大路交差点  ↑光化門  →鐘路2街

 

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{韓国 ソウル} 鐘路タワー前を通って光化門広場に向かいます

2013-06-29 18:25:26 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

鐘路タワー前を通って光化門広場に向かいます。

 

このビルが完成した当時は鍾路タワーがあまりに現代的で、すぐ裏手にあたる仁寺洞(インサドン)や光化門(クァンファムン)、景福宮(キョンボックン)など歴史ある通りや建築物と不つりあいではないかとの心配もされた鍾路タワー。

しかし、以前は若者達の街としてにぎやかだった鍾路。新しいものを求める最近の若者は狎鴎亭(アックンジョン)や新村(シンチョン)に流れていった。

でもこの鍾路タワーのおかげで、そんな若者達が鍾路に再び戻ってきつつあり、鍾路の街に明るい光をもたらしているのである。

 

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{韓国 ソウル} ソウル中心部、鍾路のランドマーク  大きな鐘が吊るされた鐘楼「普信閣」

2013-06-29 17:44:20 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

ソウル中心部、鍾路のランドマーク

古宮をはじめ史跡が多数点在する鍾路(チョンノ)は、一方で現代的な商業施設が集まり多くの人で賑わうソウルの中心街です。

そんな鍾路のランドマークとして知られているのが、大きな鐘が吊るされた鐘楼「普信閣(ポシンガッ)」です。

韓国では、朝鮮時代に都である漢陽(ハニャン、現在のソウル)を囲むようにぐるりと城郭が築かれていました。

城郭の東西南北4カ所には城外と城内を行き来するための城門(四大門)が設けられ、毎日朝と晩の2回、鐘の音を合図に開閉されていましたが、その鐘があった場所こそがこの普信閣です。

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{韓国 ソウル} ←乙支路1街  ↑世宗大路交差点  →安国洞交差点

2013-06-29 17:38:05 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

鐘路を西に向かって歩いています・・・・・

 

←乙支路1街  ↑世宗大路交差点  →安国洞交差点

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{韓国 ソウル} ◇ピマッコルよ アンニョン◇

2013-06-29 14:34:12 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

西ピマッコル 出入口

産経新聞 黒田勝弘ソウル支局長の随筆を紹介しておきます。

2009/03/06<随筆>◇ピマッコルよ アンニョン◇ 

 韓国も経済危機で不景気だというのに、どういうわけかソウル都心での都市再開発事業だけは盛んだ。いや、不景気だからこそ建設事業で景気浮揚ということだろうか。

 ソウルの観光ポイントの一つ、仁寺洞(インサドン)の入り口にあたる安国洞(アングクトン)ロータリーの韓国日報ビルは今、建て直しの大工事中だが、隣接する日本大使館の薄汚いボロビルだけを残し、この一帯の古い建物はみんななくなってしまった。一帯は再開発工事の塀が巡らせてあって、昔の面影は何もない。

 このあたりを中学洞(チュンハクトン)といい、路地をはさんで国税庁のある寿松洞(スソンドン)、曹渓宗(チョゲチョン)の本山・曹渓寺(チョゲサ)もある。そして鍾路(チョンノ)区庁から光化門交差点にかけてが清進洞(チョンジンドン)。アメリカ大使館もある。

 ぼくのこのあたりの経歴は三十年になる。日本大使館のほか、現在の国税庁の場所には一九八〇年まではマスコミの「合同通信ビル」があり、ここには「ソウル外信記者クラブ」もあった。以前は日本系マスコミの支局はほとんどこの一帯にあった。というわけでぼくはこのあたりの路地裏には昔からよく通じていたのです。

 ところが再開発の波はついにここまで押し寄せ、今やソウル都心の路地裏名所だった清進洞は風前の灯火だ。韓国通の日本人たちに愛された在日系「ソウル観光ホテル」は今やなく、二十四時間営業だった名物汁飯の「ヘジャンクック」通りも撤去へ。

 光化門交差点にある教保ビルの裏あたりは再開発は少し遅れそうと聞いていたが、ここも年明けとともに撤去が始まった。工事の塀がはりめぐらされ、残る店は「あと何ヶ月」といって細々と営業している。

 そうした急変事情も知らず、比較的新しい日本系居酒屋で、日韓双方のサラリーマンに人気だった路地裏の「伊万里」に久しぶりに出かけてみたところ、すでに店仕舞いの張り紙がしてあった。

 何といっても残念なのは「ピマッコル」がなくなることだ。教保ビルのすぐ裏、その昔、つまり李朝時代のことで、光化門のあたりを威張りくさった高官が馬に乗って通るのを庶民が避けるため逃げ込んだ路地、つまり「馬を避ける路地」として生まれたという由緒ある路地裏だが、これもなくなる。

 「ピマッコル」については拙著『韓国を食べる』(文春文庫)を含め、ぼくは「文化財」として繰り返し保存論を主張してきたが、当然、何の効果もなかったわけですね。しかし結果的にはぼくの本は、「ピマッコル」と清進洞路地裏についてのある種の歴史的(?)記録になるわけで、もって瞑すべきか。

 行きつけの「ピマッコル」の焼き魚屋「大林食堂」もやがて消える。先日、さびしさにかられ(?)昼飯に走ったところ、女主人の「マツコ(本名・石松子=ソク・ソンジャ)」様がこの日も忙しく軒下でサバやサンマ、サワラを焼いていました。この風景もあとわずかとか。アンニョン、ピマッコル!

 

 

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{韓国 ソウル} ピマッコルをぶら~り歩いています・・・・

2013-06-29 13:26:26 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

ピマッコルをぶら~り歩いています・・・・

 

馬ならぬ車行き交う鍾路を避けてピマッコルへ

ピマッコルの入り口は地下鉄5号線光化門(クァンファムン)駅脇の教保ビルの裏手にある、細い路地がピマッコルだ。

もともとはここから 東大門近くまで鍾路(チョンノ)の大通りに沿って点在する裏路地を指していたが、都市開発にさらされ昔の情緒を残す通りや飲食店などは失われつつある。

タプコル公園付近を境に西ピマッコル、東ピマッコルと呼び分けられる。

 

 

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{韓国 ソウル} 仁寺洞の鐘路側入口近くにピマッコルはあります

2013-06-29 12:06:42 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

仁寺洞の鐘路側入口近くにピマッコルはあります。

 

ピマッコルは日本語に訳すと「避馬通り」。

朝鮮時代、馬に乗った高官達が鍾路(チョンノ)を過ぎる際、庶民は平伏して待たなければならなかった。

このわずらわしさを避けるために庶民は脇の路地に入りやり過ごしていたという。

そのことから馬を避ける通りという意味で「ピマッコル(避馬通り)」と呼ばれた。

  

 

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{韓国 ソウル} タプコル公園横の横断歩道を西に向かって歩いています

2013-06-29 11:39:07 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

 タプコル公園横の横断歩道を西に向かって歩いています。

向こうは仁寺洞です。

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{韓国 ソウル}鍾路(チョンノ)は仁寺洞(インサドン)の入口にある「タプコル公園」前を通っています

2013-06-29 11:28:16 | Weblog

2013,2,15

{韓国 ソウル}

タプコル公園(탑골공원)

鍾路(チョンノ)は仁寺洞(インサドン)の入口にある「タプコル公園」前を通っています。

ここは1897年、大韓帝国の総税務司だった英国人J.M.ブラウンが造ったソウルで最初の近代式公園。

以前は「パゴダ公園」と呼ばれていました。現在はいつもおじいちゃんをはじめ地元の人の集いの場として親しまれている場所。

しかしここは韓国の歴史的事件の1つともいえる「3・1独立運動」が始まった場所としても有名な公園なんです。

 

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