2013.2.15
{韓国 ソウル}
地下鉄 景福宮駅4番出口近くで警察官に青瓦台サランチェへの行き方を尋ねます。
2013.2.15
{韓国 ソウル}
地下鉄 景福宮駅4番出口近くで警察官に青瓦台サランチェへの行き方を尋ねます。
2013.2.15
{韓国 ソウル}
光化門近く・・・・
政府中央庁舎
←政府中央庁舎別館 ↑水色駅・独立門
2013.2.15
{韓国 ソウル}
朝鮮時代の正宮、景福宮の正門として太祖4年の1395年に創建。
当初「四正門(サジョンムン)」と命名されましたが、1425年に「光化門」へと変更されました。
光化門は元々、現在の位置から南に14.7mの位置にあり、向いている方向も違いました。
後方に移ったのは都市化のためですが、角度がずれたのには別の事情があるようです。
1910年に日本は勤政殿(クンジョンジョン)の前に総督府庁舎を建て、その南側、南山(ナムサン)に朝鮮神宮を配置。様々な説がありますが、以前の光化門は、この2つをつなぐ線上に合わせて角度が変えられたと言われています。
また、朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領政権下で、木造ではなく鉄筋コンクリートを使い再建されたことから、2006年より高宗当時の場所に戻すための復元工事が行われ、約4年間の工期を経て2010年8月15日に一般公開されました。
2013.2.15
{韓国 ソウル}
光化門広場の北側には光化門があります。
朝鮮時代の正宮、景福宮の正門として太祖4年の1395年に創建。
当初「四正門(サジョンムン)」と命名されましたが、1425年に「光化門」へと変更されました。1592年の文禄の役で景福宮とともに焼失。
約270年後の1864年(高宗1年)、景福宮再建の際にその姿を取り戻したものの、日本植民地時代の1927年に朝鮮総督府が景福宮東側に光化門を強制移転。
1950年の朝鮮戦争で再び焼失し、1968年に鉄筋コンクリートで復元されるという波乱の歴史を経てきました。
門に掲げられている額の「扁額」は、1968年の再建の際の朴正煕元大統領によって書かれたものが掲げられていましたが、2006年より行なわれた復元工事の際に高宗(コジョン)時代に書かれたのものがデジタルで復元されました。
←ソウル地方警察庁
2013.2.15
{韓国 ソウル}
光化門広場の世宗( セジョン)大王の銅像とアメリカ大使館
2013.2.15
{韓国 ソウル 光化門広場}
次は青瓦台サランチェ(청와대 사랑채)に向かいます。
正面は光化門です。
セジョン文化会館前を通ります。
2013.2.15
{韓国 ソウル 光化門広場}
世宗(セジョン)大王の銅像前から南側、前方210mに李舜臣将軍像があります。
朝鮮日報ビルです。
東亜日報です。
2013.2.15
{韓国 ソウル 光化門広場}
世宗大王銅像&常設展示空間「世宗物語」
李舜臣将軍像の後方210m地点には、ハングルを創製した朝鮮王朝第4代王、世宗(セジョン)大王の銅像があります。
2009年の「ハングルの日(10月9日)」に合わせて披露された銅像は、高さ6.2m、幅4.3m、重量20トン。
高さ4.2mの基壇の上に建てられており、「訓民正音(ハングルの古称)」の解例本を手に百姓たちと向かい合う世宗大王の姿が表現されました。
世宗大王について詳しく知りたいなら、光化門広場の地下にある常設展示空間「世宗物語」へ。
世宗大王銅像後方にある地下階段、または世宗文化会館側・KT(韓国通信)側の地下歩道から入場できます。
展示館は、世宗大王の年代記を映像等で紹介したコーナー「人間、世宗」や、世宗大王が作り出した発明品の模型を展示した「科学と芸術」コーナーなど、様々な展示スペースと映像館で構成されており、世宗大王の生涯と業績に触れることができます。
案内デスクでは、日本語選択可能なMP3(音声案内機)またはPDA(映像案内機)を無料でレンタルできます。
記念写真を撮る人が多いようです。
2013.2.15
{韓国 ソウル 光化門広場}
世宗(セジョン)大王の銅像 東側には、アメリカ大使館があります。
周りには警備の警察官が多くいます。
2013.2.15
{韓国 ソウル 光化門広場}
李舜臣将軍像の後方210m地点には、ハングルを創製した朝鮮王朝第4代王、世宗(セジョン)大王の銅像があります。
2009年の「ハングルの日(10月9日)」に合わせて披露された銅像は、高さ6.2m、幅4.3m、重量20トン。
高さ4.2mの基壇の上に建てられており、「訓民正音(ハングルの古称)」の解例本を手に百姓たちと向かい合う世宗大王の姿が表現されました。