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韓国のこと いろいろ あれこれ いまむかし

1970年代から現在の韓国なんでも情報いろいろ目と足で集めました。

韓国 ソウル 昌慶宮} 崇文堂(スンムンダン)

2013-06-26 18:23:06 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

崇文堂(スンムンダン)

学者らが学問を磨き、勉学への意欲を奮起する場所として建てられました。
朝鮮王朝第21代王・英祖(ヨンジョ)は、ここで酒宴を催し、彼らを激励したといいます。
「崇文堂」の扁額と、「日監在玆(イルガムジェジャ)」の掲板は英祖による直筆。

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 自然の美しさが感じられる王族たちの生活の場

2013-06-26 18:15:38 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

自然の美しさが感じられる王族たちの生活の場

昌慶宮(チャンギョングン)は、五大宮のうちのひとつで世界遺産に指定された昌徳宮にも隣接し、自然の豊かさが魅力の宮殿です。

東洋の宮殿は通常、建物を南向きに建てますが、ここでは正殿などが東向きに配置されています。

元々の自然や地形にそって建てたため、このような珍しい配置になったといわれています。

春には桜の名所、秋には紅葉が美しいことでも知られており、豊かな自然のなかで暮らした王族たちの生活の趣が感じられます。

 

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮}明政殿(ミョンジョンジョン)、昌慶宮の正殿として1483年に創建

2013-06-26 18:09:34 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

明政殿(ミョンジョンジョン)

昌慶宮の正殿として1483年に創建。

即位式が行われたり王が朝賀を受けたりする場所として使用されました。

壬辰倭乱で焼失しましたが、1616年に再建。

以来、昌慶宮が幾度か大火災に見舞われる中、明政殿は火の手を免れ、現存する朝鮮王宮の正殿のうち最古の歴史を誇っています。

天井には鳳凰が金色で描かれています。

国宝226号。

明政門です・・・・

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 明政門前から弘化門です

2013-06-26 18:05:41 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

明政門前から弘化門です。

門の向こうにはソウル大学病院が見えます・・・・

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 明政門は正殿・明政殿の正門であり、昌慶宮の中門にあたります

2013-06-26 16:52:25 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

玉川橋を渡り、明政門に向かいます。

正殿・明政殿(ミョンジョンジョン)の正門であり、昌慶宮の中門にあたります。
昌慶宮創建当時の明政門は壬辰倭乱で焼失してしまい、現存の建物は、その建築様式から明政殿と同時期に再建されたものと推定されています。

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 正殿にはこの玉川橋を渡らなければ入ることができませんでした

2013-06-26 16:48:14 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

玉川橋(オッチョンギョ)

1483年(推定)に造成された長さ9.9m、幅6.6mの石橋。

北から南へと流れる川にかかり、正殿にはこの橋を渡らなければ入ることができませんでした。

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{韓国 ソウル 昌慶宮}弘化殿を入っていくと昌慶宮 案内板があります

2013-06-26 16:41:18 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

弘化殿を入っていくと昌慶宮 案内板があります

 

「孝(ヒョ)」の心により創建された昌慶宮の歴史

昌慶宮の歴史は、退位した父・太宗(テジョン)が穏やかに後世を送る場所として、1418年に朝鮮王朝第4代王・世宗(セジョン)が建てた「寿康宮(スガングン)」にはじまります。
その後、1484年に第9代王・成宗(ソンジョン)が、祖母・貞熹王后(チョンヒワンフ)、生母・昭恵王后(ソヘワンフ)、養母・安順王后(アンスンワンフ)の3人が住むための別宮として再建、名前も現在の「昌慶宮」となりました。
1592年の壬辰倭乱(イムジンウェラン、文禄・慶長の役)ですべての建物が焼失、1616年に再建後も大小の火災に見舞われ、そのつど復旧が重ねられました。
日本による植民地時代には動・植物園が作られ、名称も「昌慶苑(チャンギョンウォン)」に格下げされて一般人にも公開されるようになるなど、宮内の建物の多くが破壊・変形されました。
しかし1983年から3年間にわたる韓国政府の大規模な復元・改修工事を経て、「昌慶宮」という名前とともに、ようやく昔の姿を取り戻すに至りました。

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 弘化門(ホンファムン)

2013-06-26 15:22:03 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

ソウル市内中心部に位置しながら、古宮ならではの荘重な雰囲気と、豊かな自然が見事な調和を成している昌慶宮(チャンギョングン)。

南側には宗廟(チョンミョ)、西側には朝鮮時代、昌慶宮とともに東殿と呼ばれ、景福宮(キョンボックン)の離宮として役目を果たした、昌徳宮(チャンドックン)が隣接し、歴史散策を楽しむ国内外の観光客が一年を通じて数多く訪れます。

 

弘化門(ホンファムン)

昌慶宮の正門で、1484年に建築されました。壬辰倭乱で全焼し、1616年に再建後も修理と丹青(彩色を施すこと)が繰り返されてきたため、本来の美しさは影を潜めてしまいましたが、17世紀初めの木造建築物の研究資料として重要な価値を有しています。

 

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{韓国 ソウル 昌慶宮} 入場券 1,000ウォンです

2013-06-26 15:13:43 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル 昌慶宮}

昌慶宮(창경궁)に従業員らしき人達も入っていきます・・・・

入場券 1,000ウォンです。

入口左側にある昌慶宮案内図

 

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{韓国 ソウル} 昌慶宮・ソウル大学病院 バス停です

2013-06-26 15:08:28 | Weblog

2013.2.15

{韓国 ソウル}

昌慶宮入口前にはソウル大学病院があります。

大学路から昌慶宮路まで続いているようです。

昌慶宮・ソウル大学病院 バス停です。

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