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映画の王様

映画のことなら何でも書く

「蒲田パレス座」1

2022-11-21 12:01:45 | 違いのわかる映画館

「蒲田パレス座」(1995年閉館)

マイ・シネマパラダイス・カマタ
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4394f9fd93f2873eb9cf7af27552f7be


『歌麿 夢と知りせば』(1978.2.26.)

 岸田森は歌麿役にはうってつけな感じ。平幹二朗の夢の浮橋が、あの時代の退廃美のようなものを象徴していた。嶺山月役の山城新伍や風来山人役の内田良平もななかなかいい味を出していた。でも、わざわざポルノ仕立てにしなくてもよかったのではないか。

『スキャンダル』

 主演のリザ・ガストーニがすさまじい。女の顔は一つじゃないのよ、といった感じか。フランコ・ネロがイメージを一新して、人妻をいじめる役に徹していた。夫役のレイモン・ペルグランが、やたらとかわいそうに見えた。


『ブリンクス』(1979.7.9.)

 ピーター・フォークをはじめ、多彩な出演者たちをよくぞ集めた。さすが、ウィリアム・フリードキン。

『グレート・スタントマン』

 バート・レイノルズが快調だが、サリー・フィールドはレイノルズにはもったいない気がする。スタントマン万歳!

『アイズ』

 フェイ・ダナウェイがさすがにうまいが、話はつまらない。バーブラ・ストライサンドの主題歌はいい。


『エイリアン』(1979.12.28.)

 SFというよりも、よくできたゲテモノといった感じ。腹からエイリアンが飛び出すところが圧巻。いざとなると、女の方が強いのか。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b85a56c2fda85004ad3662997d8f607f


『スーパーマン』

 人類の昔からの夢である、空を自由に飛ぶという夢をかなえ、満喫させてくれる楽しいSF映画。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/cb5a10c60d1086883e694326a4351c23


 

 

 

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「銀座文化」(現・シネスイッチ銀座)3

2022-11-19 09:49:31 | 違いのわかる映画館


『お熱いのがお好き』(1986.3.19.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d14b18bbe43c77d6908c7e8ca09c7383


『女房の殺し方教えます』(1986.6.5.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d14b18bbe43c77d6908c7e8ca09c7383


『新・喜びも悲しみも幾年月』(1986.7.4.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f55c06663f1e7f9554ade2221ca23cdb


『サンセット大通り』(1986.8.22.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/e4f3b4939a0a821ed9c0c5789305f802


『探偵物語』(1986.9.20.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/9424d3e71f7921ab254a56ccd71fbd98


『男はつらいよ 幸福の青い鳥』(1987.1.30.)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c49b82f0d6562007e491e932fb5bdf02


『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989.12.30.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2d2f25fcdaf56b54e33bef898be9e0ec


『みんな元気』(1991.1.26.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a1b7a3df2080dbc2d86a10b09f19578b
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c47e53f627eb07e142113d32ba4b0539


『心の指紋』(1997.8.28.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a6af1b93f488090c4182f21d2b7a0bdf


『サイドカーに犬』(2007.3.29.試写)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a5d948d4248f00f54d60bdbe510be430


『シスタースマイル ドミニクの歌』公開記念イベント取材(2010.7.6.)


 

 

 

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「銀座文化」(現・シネスイッチ銀座)2

2022-11-19 00:29:46 | 違いのわかる映画館

 


『白い恐怖』(1984.2.14.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b7a6d237ae926e8a8de3abda5302aa7d


『ライトスタッフ』(1984.11.7.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/59f3dd218b5be6d43de8e11cb4d3e117


『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1985.1.24.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f7a25b22c3c1c75679a1dfa74f7a7187


『巴里のアメリカ人』『雨に唄えば』(1985.2.9.)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3f26b055ce96f109becb1499e4e4b622


『恋におちて』(1985.5.21.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b47ccf717af87ab86bdc15583e4c7d13
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2613f393381c5c1c6b10df54d4257c5f


『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』(1985.8.22.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/715ef4cb50f24cb67d8daf5a6066e081


『キリング・フィールド』(1985.10.15.)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0860c425ec7cb9666ac58675b8e76c8b


『錨を上げて』『バンド・ワゴン』(1985.10.25.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4d68868c7f492e03665ef87dd0e21ef0
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2caa6eec4ae78d1117f445dbc3309925


『麗しのサブリナ』(1985.12.3.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a3a793522ebcd504da109da8556384a0


『情婦』(1986.2.4.)


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a2a617ed37ea9fbc71168fb72c5e4dfc


 

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「銀座文化」(現・シネスイッチ銀座)1

2022-11-18 00:13:49 | 違いのわかる映画館

 

【違いのわかる映画館】シネスイッチ銀座(2011.9.)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4fcbb212e879240a6bb462a86b788952


『オーメン』(1977.6.10.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0d182c36fde2365993a22b5f0bf5ee18


『がんばれ!ベアーズ』(1977.8.27.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d05439ecb2c9c43a524c9e9b40c09f09


『スター誕生』(1977.11.19.)

 バーブラ・ストライサンドが目立ち過ぎた感じ。クリス・クリストファーソンがやたらとみじめに見えた。ただし、音楽は「エバーグリーン」など、素晴らしかった。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/cb83ecfbd143b700725e08dda4a8c415
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8f6f03677294e681afe7158d1691b03f
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/43007834793b7b09b8443bd48b357c2b


『スラップ・ショット』(1978.1.15.)

 ポール・ニューマンが、相変わらずひょうひょうとしていて面白かったが、ジョージ・ロイ・ヒルの映画にしては物足りなさを感じた。テーマ曲の「愛とは強いもの」(マキシン・ナイチンゲール)がごきげん。


『八つ墓村』(1978.2.5.)

 演技陣は、ショーケン、小川真由美、山崎努はじめ、皆すごい。渥美清の金田一耕助もなかなかよかったが、やはり石坂浩二のイメージが強い。横溝映画のもう一人の顔、磯川警部役の花沢徳衛もいい味を出していた。野村芳太郎の映画にしては、もう一つ心に迫るものがなかった。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/480e2a191aa22a1f5954a170fc11c77e


『ミッドナイト・エクスプレス』(1979.11.22.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/94197835eee7945e7b29bd2197c79a17


『歌え!ロレッタ愛のために』(1981.11.20.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f87408ddf5d5db1e0a31151d407d2c29


『昔みたい』(1982.2.7.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5721f5edbf957fbbf6ad1be8501f8595


『炎のランナー』(1983.4.11.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d5b0823bfa6bc9ad8252b1779a2fa598


『ソフィーの選択』(1983.12.28.)

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2e9f435d378a5d68a2b03da9c3ba6ae6

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「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」“特選名画2本立て”の響きも懐かしい ジローが教えてくれた映画館2

2022-11-09 18:40:20 | 違いのわかる映画館

 武蔵野推理劇場の「リクエスト番組」という上映予定を記した小さなタイムテーブルが幾つか手元に残っている。76年版を見ると、「特選名画2本立400円(学生350円)毎週土曜オールナイト」とあり、2本のくくりタイトルも記されている。

 例えば、『シェーン』(53)『駅馬車』(39)は“遥かなる西部のバラード”。
 『爆走トラック’76』(75)『ベルモンドの怪盗二十面相』(75)は“BROKEN・ACTION”。
 『狼たちの午後』(75)『チャイナタウン』(74)は“限りなく狂気に近い白昼夢”。

 『アイガー・サンクション』(75)『華麗なるヒコーキ野郎』(75)は“スカイ・ハイ・アドベンチャー”。
 『さすらいの二人』(75)『太陽がいっぱい』(60)は“熱砂の果てのエゴイズム”。
 『リップスティック』(76)『午後の曳航』(76)は“衝撃の告白”。

 『レット・イット・ビー』(70)『抱きしめたい』(78)は“ビートルズ結成20周年記念”。

 『博士の異常な愛情…』(64)『未知への飛行』(64)は“原爆 MY LOVE”とある。

 中には意味不明のものもあるが、今見ても、何かそそられるものがあると思う。

 他にここで見たのは、ヒッチコックの『海外特派員』(40)と社会派映画の『サンチャゴに雨が降る』(75)

 エロ目当ての『シビルの部屋』(76)『スキャンダル』(76)にドキドキし、ベルイマンの『沈黙』(63)とブレッソンの『白夜』(71)でちょっと芸術のお勉強を。

 『ナイル殺人事件』(78)『サイレント・ムービー』(77・再)の組み合わせは意味不明。

 たまにはかわいく『リトル・ロマンス』(79)『アイス・キャッスル』(78)

 『アンディ・ウォーホルのBAD』(77)とキューブリックの『時計じかけのオレンジ』(71)というシュールな2本。

 ちょいエロの『プリティ・ベビー』(78)『サロン・キティ』(76)ときて、スティーブン・キング原作の『クジョー』(83)が、武蔵野推理劇場における、わがラストショーとなった。

 武蔵野推理劇場は84年に一時閉鎖され、86年に「自由が丘武蔵野館」として生まれ変わり、04年まで営業を続けた。たが、俺にとっての武蔵野推理劇場はジローやNとの思い出とともに84年で終わっている。

 実は、原田眞人監督の『さらば映画の友よ インディアンサマー』(79)と、佐々木昭一郎演出のNHKドラマ「四季ユートピアノ」(80)の中に武蔵野推理劇場が映っている。今度、DVDでも見ながら、懐かしい記憶の糸をたどってみようか。

https://www.youtube.com/watch?v=D0060JwldoA

 

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「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」“特選名画2本立て”の響きも懐かしい ジローが教えてくれた映画館1

2022-11-09 08:47:06 | 違いのわかる映画館

 東急東横線と大井町線が乗り入れる自由が丘駅の西口を降り、ひかり街デパートを通り過ぎると、熊野神社の森の横に小型の体育館のような建物が見えてくる。武蔵野興行系の名画座「自由ヶ丘武蔵野推理劇場」(1951~84年。86年に改装後04年まで継続)である。

 ここは基本的には洋画の2本立てだったが、時々邦画も上映していた。その不思議な館名は、社長がミステリー好きだったからとか、当初はミステリー映画の上映が多かったからなど、諸説あるようだが定かではない。まあ、それでもいいじゃないか、その謎もまた“推理劇場”たる由縁ということで。

 1976年、俺は港区にある私立の男子高校に入り、都内のみならず東京近郊からやって来たたくさんの友と出会った。彼らはさまざまなカルチャーショックを与えてくれたが、中でも、T(同じ名字のやつがもう一人いたので、俺たちは彼を、名前の“ジロー”の方で呼んだ)のことは忘れられない。

 なぜなら、ジローこそが、自由ヶ丘武蔵野推理劇場を教えてくれた張本人だったからである。彼の家は大岡山にあり、武蔵野推理劇場には歩いて行けた。つまり俺にとっての荏原オデヲン座がジローにとっては武蔵野推理劇場だったのだ。

 ジローとは初顔合わせの自己紹介で、互いに映画好きだということを知って意気投合し、Nを加えた3人で映画同好会に入った。一つ年上の兄がいたこともあり、ジローの映画の好みはどこか大人びていた。

 新宿アートビレッジにオーソン・ウェルズの『市民ケーン』(41)を一緒に見に行き、「恋愛映画でも、いい映画なら、男同士で見ても恥ずかしくないぞ」と力説され、テアトル銀座で『ある愛の詩』(70)を一緒に見たりもした。何だか急に大人になったような気分にさせてくれたのだった。

 話を武蔵野推理劇場に戻そう。76年4月26日、初めてジローと訪れた武蔵野推理劇場のプログラムは、『明日に向って撃て!』(69・再)『オリエント急行殺人事件』(74)という組み合わせだった。

 『オリエント急行~』とは、さすが“推理劇場”だと思ったが、次にここで見たのは、チャップリンの『キッド』(22)とミュージカル大作『サウンド・オブ・ミュージック』(64)。うーん館名との関連性が分からないと不思議に思った記憶がある。

 ところで、むき出しのコンクリートの床は底冷えがし、尻型にへこんだいすは座ると痛い上にキコキコと音が鳴る。外部の音(学校のチャイムなど)もよく聞こえ、トイレは狭くて臭い、という劣悪な環境にもかかわらず、なぜか俺は武蔵野推理劇場が気に入った。

 映画館を選ぶ際の基準としては、そこに行き着くまでの距離、交通の便、設備、広さ、建物の新古、客層…などさまざまな条件が挙げられるが、例え、どんなにいい映画を上映する映画館であっても、自分とは相性が悪い、肌に合わないという所がある。要は、その映画館が好きか、自分に合うか、という好みの問題で、これは理屈では説明できないものがある。

 もちろん、高校への電車通学の途中に自由が丘があったこと、また、ここのプログラムの良さや、3本見るのはきついが2本ならちょうどいいという時間的な利点もあったが、70~80年代初頭の自由が丘は、現在のような“おしゃれでハイソ”なイメージからはほど遠く、場末の商店街のような雰囲気がまだ残っており、男子高校生にとっても過ごしやすい街だったのだ。

 ところで、俺を武蔵野推理劇場に誘ったジローは、高一の夏休みを境に登校拒否に陥り、学校に来なくなってしまった。それ以後、武蔵野推理劇場には、Nと一緒に、あるいは自分一人でぴあを片手に訪れることになる。(つづく)

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「荏原オデヲン座」意地でも3本揃える わが初恋の映画館2

2022-11-08 14:33:33 | 違いのわかる映画館

 ところで、荏原オデオン座は、田中小実昌のエッセー『コミマサ・シネノート』(78)の「映画館の水飲所」にも登場する。

 「~前は、荏原オデオン座にいくときは、近くの踏切のそばの店で、よくいなり寿司を買った。~この荏原オデオン座のいいところは、水道の蛇口にコップがぶらさがっているところだ。だから好きなだけ水が飲める。水なしの弁当というのはつらい。~ところが、東京周辺の映画館は、水飲所はあっても、ほんのわずか、くちびるを湿すぐらいしか水がでないとか、まるっきり水がでないとかいったのばかりなのだ。(中略)その点、荏原オデオン座は、水道の蛇口にマジメにコップがぶらさがっていて、表彰されていい」(原文ママ)。

 ちなみに、今では衛生面から見ても考えられないことだが、この水飲所は自分も利用した。また、コミさんが“踏切のそばの店”と書いているのは、「I屋」という和菓子屋のことで、同級生のHの家だった。

 さて、ここでオデヲン座で見た映画のラインアップを振り返ってみよう。『チャップリンの独裁者』(40)『戦争と人間 完結篇』(73)という“戦争物”の二本立ては、感動したが、中学生にとってはちょっとヘビーだった。

 当時人気があったチャールズ・ブロンソンとアラン・ドロンの主演作『シンジケート』(73)『ビッグ・ガン』(72)

 ハマープロ製作のホラーとスパイアクションという英国映画3本立ての『新ドラキュラ/悪魔の儀式』(73)『国際殺人局K ナンバーのない男』(72)『呪われた墓』(73)の組み合わせはまあ順当なところか。

 “暗殺3本立て”の『007/ロシアより愛をこめて』(63)『ダラスの熱い日』(73)『ジャッカルの日』(73)は、新作に加えて「007」を持ってくるところが渋い。

 『ドーベルマン・ギャング』(72)『片腕ドラゴン』(72)『キートンのセブンチャンス』(25)『キートンの警官騒動』(25)は、オデオン座お得意の意味不明な組み合わせ。

 『帰って来たドラゴン』(74)『武道大連合・復讐のドラゴン』(72)『暗黒街のふたり』(73)『地獄から来た女ドラゴン』(72)『110番街交差点』(72)『キングボクサー/大逆転』(72)は、カンフー映画を目当てに見に行ったのだが、実は『暗黒街のふたり』と『110番街交差点』が一番面白く、こうした発見が3本立てを見る醍醐味だと気付かされた。

 

 『戦雲』(59)『ダーティハリー2』(73)『燃えよドラゴン』(73)(2回目)『赤い風船』(56)『パピヨン』(73)(2回目)『狼よさらば』(74)は、『戦雲』と『赤い風船』を持ってくるところに、意地でも3本揃えるというオデオン座の心意気を感じたものだ。

 そして、オデヲン座でのわがラストショーは、『スティング』(73)(2回目)『エアポート75』(74)(2回目) 『ジャガーノート』(74)という組み合わせだった。『大地震』(74)ではなく『スティング』を持ってきて、パニック映画特集にはしないところがオデヲン座の真骨頂だと思う。

 こうして振り返ってみると、自分とオデヲン座との蜜月は、中学時代のわずか2年に過ぎない。高校に入り、引越しをした後は、二度と訪れることはなかったからだ。初恋の相手との別れは実にあっけないものだった。映画の友だった山さんの消息も今は分からない。

 現在、オデヲン座の跡地はマンションとなり、往時をしのぶすべもないが、Wikipediaに「~同館の前の南北の通りを現在も『銀幕商店街』と呼ぶ~」という記載を発見した。久しぶりに故郷を訪れ、その真偽を確かめてみたい気もする。

 

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「荏原オデヲン座」意地でも3本揃える わが初恋の映画館1

2022-11-08 07:27:45 | 違いのわかる映画館

 1952(昭和27)年~87(昭和62)年の間に、東急池上線・荏原中延駅のほど近くにあった「荏原オデヲン座」は、東和興行が経営していた洋画の三番館“オデヲンチェーン”の一つ。ほかには、新宿、阿佐ヶ谷、荻窪、赤羽、十条、下北沢などにもあった。

 荏原中延で生まれ、高校1年の夏までを過ごした自分にとって、ここは、「わが初恋の映画館」とも呼ぶべき、思い出深い場所だ。

 ここに関する最初の思い出は、グワルティエロ・ヤコペッティの“やらせ残酷ドキュメンタリー”『さらばアフリカ』(66)にまでさかのぼる。

 街中に貼られた、夕日をバックに、子シマウマがヘリコプターに吊り下げられ、ゾウにやりを刺す原住民が映っているポスターに子どもながら興味を引かれたのだ。

 そんな中、「今日見に行く」という親父に、「一緒に行きたい」とせがんだが、「これは大人しか見られない映画だから駄目だ」と怒られた。

 今から思えば、もちろんあの映画は、小学校に入学したばかりの子どもに見せられるものではないと分かるが、当時はとても理不尽に感じた覚えがある。

 小学校の高学年になると本格的に映画が好きになり、「ゴジラ」や「ガメラ」では満足しなくなってきた。

 そして、『大脱走』(63)『大空港』(70)『バラキ』(72)『アマゾネス』(73)『ゴッドファーザー』(72)といった、とんでもない組み合わせをするオデヲン座のポスターを見ながら、早くここで映画が見たいと思ったものだが、当時の子どもが映画館で映画を見る時には、小学生と中学生とでは大きな差があったのだ。

 中学生になってほぼ1年がたち、友だちと一緒ならば、という条件付きで、ついにオデヲン座通いが解禁になった。親にしてみれば近所の映画館なら安心だという思いもあったのだろう。

 記念すべきオデヲン座初見参は、1974年1月26日。この後“映画の友”として一緒に映画を見まくることになる山さんが一緒だった。同級生のSのお袋さんがもぎりをしていたので、入るのが少し恥ずかしかった覚えがある。

 『街の灯』(31)『最後の猿の惑星』(73)『ポセイドン・アドベンチャー』(72)という何のつながりもない組み合わせの3本立てだったが、逆にこれが良かった。

 チャップリンの至芸に泣き笑いし、Bomb(大失敗)映画の『最後の猿~』と、大傑作の『ポセイドン~』と同時に遭遇するという、オデヲン座ならではのごった煮の魅力を、いきなり知ることができたからだ。

 とにかく、たくさん映画が見たかった中学生にとって、電車賃もかからず、徒歩で行け、安価(確か学生500~600円ぐらいだったと記憶する)で、いっぺんに3本も見られるオデヲン座はまさにパラダイスだった。

 ただし、3本全て見るとなるとほとんど一日がかり。朝一番で入って、出る時、外はもう真っ暗だった。しかも見ている間は、売店でラスク(今のおしゃれれなものとは全くの別物)かあんパンを買う以外は何も食べられないという苦行のような面もあった。

 オデヲン座通いも度重なるとさすがに金がなくなる。ここは「オデヲン座Weekly」という映画の解説チラシをタダでくれたが、上映作のパンフレットも売っていたから、3冊全部買ったらえらいことになる。

 そんなことで山さんと悩んでいる時、同級生のYのことを思い出した。地主の息子であるYの家の塀には、オデヲン座のポスターが貼られていた。その謝礼としてYの家には招待券が配られていたのだ。

 そこで、あまり映画に興味がなかったYに、「映画館で映画を見るのは楽しいぞ」と盛んに吹き込み、映画雑誌を貸すなどして、ひたすら感化に励んだ。その結果、Yは立派な映画ファンとなった。

 オデヲン座は週替わりでポルノ映画も上映していたので、Yは親に“普通の映画”を見るということを懇々と説明しなければならなかったが、とうとう俺たちはYを取り込んで、招待券を手に、タダでオデヲン座に入ることに成功したのだ。(つづく)

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「東急名画座(渋谷東急2)」2 『遠野物語』『おこんじょうるり』

2022-11-07 21:20:31 | 違いのわかる映画館

1983.3.17.『遠野物語』『おこんじょうるり』

『遠野物語』

 柳田国男の原作は、民族説話集であり、この映画で描かれた時代とは何の関係もないらしい。ということは、スタッフ(監督・ 村野鐵太郎、脚本・ 高山由紀子)は、昔話を近現代(明治末期)に置いてみることによって、“近現代の遠野物語”を作ることを試みたのだろう。

 しかも、これが今現在の遠野を舞台にして描かれたなら、全くの夢物語で終わってしまい、日本版のロミオとジュリエットのような男女の純愛話がしらけてしまったかもしれないが、時代を明治にすることで、違和感を少なくしている。

 そして、幻想的な伝説や、江波杏子演じる巫女の姿、あるいは仲代達矢の琵琶法師の世界と、階級差、貧富の差、戦争が引き起こす現実の悲劇を交差させることで、ただのファンタジックな純愛ものの域からも脱している。

 加えて、撮影が素晴らしい。駆け巡る白馬、満開の桜…。思えば、この映画で描かれた世界は、良きにつけ悪しきにつけ、何から何まで欧米化、近代化された今の日本が忘れてしまった、本来の日本の姿なのかもしれない。そこには、祈る、信じる、愛するといった、いちずな姿があった。

 とはいえ、この映画の場合は、どうこう言うよりも、映像から得た感動を素直に受け止めるべきものなのかもしれないとも感じた。

 原陽子、隆大介、役所広司は無名塾の出身。親方の仲代も出ているから、悪く取れば、七光りともなるのだろうが、実際、彼らはそれぞれ好演しているのだから、悪く言う筋合いはない。ここは素直に、彼らの才能を見い出した仲代の眼力に拍手を送ろう。


『おこんじょうるり』

 併映は、えらく評価の高い人形劇(監督・岡本忠成)。確かに、心温まるストーリー(人間=老婆と動物=キツネとのふれあい)であり、民族色にもたけた見事な人形アニメーションには違いない。

 ただ、今改めて「素晴らしい映画」だと声を大にして言うほどのものかという気もする。別にこの映画をおとしめるつもりはないが、この映画の世界は、テレビの「日本昔ばなし」や昔からの人形劇に登場するストーリーとあまり変わりはない気がするのだ。

 それが、今になって急に素晴らしいといわれ、芸術祭で大賞を取ってしまうとは、どうしたことなのだろう。お偉い人たちは、今までは、この手の話が持つ素晴らしさに気づかなかったのだろうか。


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/9c0d354e00deda66838af70ec925ae35

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「東急名画座(渋谷東急2)」1

2022-11-07 12:41:18 | 違いのわかる映画館

東急文化会館6階。2003年閉館。


1975.1.26.『チャップリンの伯爵夫人』

『淀川長治の証言 チャップリンのすべて』から


1975.2.5.『招かれざる客』

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b576406d1b4d70083813ca88a945dddf


1977.4.17.『バリー・リンドン』

 ライアン・オニールがかつてない(これからもないかもしれない)名演を見せる。スタンリー・キューブリックの映画は、難解な点も多いが、映像は美しく、素晴らしい。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/5393687851da7001f7c6e6ce72383012    
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/22417d2030f34dc895dd224ea4e5fb19


1977.5.14.『課外授業』

 イタリアお得意の筆下ろしもの。キャロル・ベイカーの色気にまいった。

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b5133358dcb3b5adb4fd824aaee9e7d2


1979.6.18.『エデンの東』

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/9ee4f61785e2ed260f2bc467849ef3ce


1980.10.2.『ヤング・ゼネレーション』

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/22c2d486890611803b0f0f678f7f54ef


1980.10.7.『チャイナ・シンドローム』


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/92fd6480bb4958a9b21d8e592d2f7fcd


1981.6.11.『泥の河』


https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a0834ffebd53b836c9ba84d60393168a


1981.12.2.『嘆きの天使』

https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6536407db746fd62e2d7b2fb922bfd47


 

 

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