田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

ワイラーとゴールドウィン3『デッド・エンド』

2019-03-31 08:29:47 | 映画いろいろ
『デッド・エンド』(37)(1991.7.)



 ニューヨークの下町、ギャングにでもならなければ成り上がれない貧富の差が生む悲劇を描いたこの映画から、『ウエスト・サイド物語』(60)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)『グッドフェローズ』(90)などのルーツを見せられたような気がした。デッド・エンド・キッズと呼ばれた実際の不良少年たちの出演が、この映画にドキュメンタリー的な側面を持たせている。60年前ですらこうなのだから、様々な人種問題も絡む今の状況はさらに複雑で根深いものがあるのだろうと思わずにはいられない。

 それにしても、この時期のワイラーのジャンルを問わない見事な映画作りと冷徹な視点にはほとほと感心させられるのだが、その同じ人が、ロマンチックな『ローマの休日』(53)『おしゃれ泥棒』(66)も平気で撮ってしまうところが、たまらなく素敵なのだ。

 さて、ワイラーの良さばかりを述べているが、『この3人』『孔雀夫人』とこの映画は、いずれもサミュエル・ゴールドウィンの製作で、彼の意向が強く反映されているという。してみると、これらはワイラーの映画というよりも、ゴールドウィンの映画と言った方が正しいのだろうか。

ジョエル・マックリー
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【ほぼ週刊映画コラム】『ダンボ』

2019-03-30 18:59:15 | ほぼ週刊映画コラム
エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は

ティム・バートンが語る
『ダンボ』



詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1184537
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『今日も嫌がらせ弁当』

2019-03-30 12:58:39 | 新作映画を見てみた


 ブログを基にした人気エッセーの映画化。舞台は八丈島。夫を事故で亡くしたシングルマザーに篠原涼子、その娘に芳根京子という配役。

 随分物騒なタイトルだが、実は反抗期で口もきかない娘に向けて、高校3年間、母がメッセージ弁当を作り続けたという話。裏を返せば、嫌がらせとは名ばかりの愛情弁当に他ならない。本来、苦であるはずの弁当作りを、喜楽に変える工夫が面白く描かれる。
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ワイラーとゴールドウィン2『孔雀夫人』

2019-03-30 08:14:03 | 映画いろいろ
『孔雀夫人』(36)(1991.7.)



 ダズワース自動車工場の社長(ウォルター・ヒューストン)は会社を売却し、年下の妻(ルース・チャッタートン)のために欧州一周旅行に出るが…。性格不一致な夫婦の姿を通して、アメリカ人とその文明社会を風刺したウィリアム・ワイラー監督の傑作。

 思えば、戦後の日本はアメリカに対するコンプレックスの固まりのようなところがあるが、この映画を見ると、アメリカもイギリスやヨーロッパ諸国に強烈なコンプレックスを持っていることがよく分かる。アメリカは、もともとはイギリスからの移民によって開かれた国だし、その後、大国になったとはいえ、その歴史は浅い。つまり、イギリスにはルーツがある弱みがあるし、ヨーロッパの貴族社会などとは無縁の成り上がりの国なのである。

 この映画は60年近くも前のものだから、そうした意識は今とはだいぶ違うとはいえ、当時のアメリカの成金たちにしてみれば、痛いところを突かれた思いがしたのではないだろうか。若き日のアメリカの挫折を、ヨーロッパからやって来たワイラーが撮ったところに強烈な皮肉を感じる。
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「代々木会館」44年前の「傷だらけの天使」

2019-03-29 17:23:23 | 雄二旅日記


 土曜の夜に、夢中になって見ていた「傷だらけの天使」の放送が終わったのは今からちょうど44年前の1975年3月29日だった。

 しばらくして、同じく「傷だらけの天使」を夢中で見ていた井のさんから「修(ショーケン)と亨(水谷豊)が住んでいたペントハウスの場所が分かったから行ってみないか」と誘われた。

 ペントハウスは代々木駅にほど近い「代々木会館」の屋上にあるという。行ってみると、会館の内部はまるでラビリンスのような不気味な雰囲気で、中学生にはいささか刺激が強過ぎた。ボロボロの階段を上がってやっと屋上に着くと、確かにペントハウスはそこにあった。

 中に入ってみると、最終回で、修が死んだ亨の体に巻きつけたヌードグラビアのようなものや、ゴミが散乱していたが、何だか最終回のタイトル「祭りのあとにさすらいの日々を」そのままの、空しく寂しい気分になって、早々に立ち去ったことを覚えている。

 風の噂では代々木会館はまだ取り壊されていないらしい。井のさん、元気か。ショーケンが死んじゃったよ。




 ショーケンには一度だけ会ったことがある。彼が『日本映画〔監督・俳優〕論』という本を出した時に、出版記念会見の模様を、取材、撮影し、記事にしたのだが、かつての憧れの人を目の前にして、仕事とはいえドキドキした覚えがある。(2010.10.18.)
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ショーケン逝く

2019-03-29 11:07:43 | 映画いろいろ

 ショーケンこと萩原健一が亡くなった。彼が俳優として活躍し始めた1970年代に学生時代を過ごし、彼に憧れた者の一人としては、その訃報に接してさまざまな感慨が入り乱れる。



 彼が出演した数々のテレビドラマは今も鮮明に覚えている。「太陽にほえろ!」のマカロニこと早見淳、「風の中のあいつ」の黒駒勝蔵、「勝海舟」の岡田以蔵、「傷だらけの天使」の木暮修、「前略おふくろ様」の片島三郎、「祭ばやしが聞こえる」の直次郎…。どれも好きなのだが、一つ選ぶとなるとやっぱり修ちゃんだ。

 映画の方は幾つかメモが残っていたので、彼に対する印象を書いたところだけを抜粋する。

『股旅』(73)(1982.6.5.)
 アメリカのニューシネマともイメージが重なるこの時代劇の登場人物たちは、俺たちの周りにもいそうな、世の中から取り残され、行き場を見失った者たちだ。だから、そんな状態から何とか抜け出そうとして右往左往する姿はとても身近なものに映る。金も欲しい、地位も欲しい、女も欲しいし、何よりカッコ良く生きたい、という欲求は今も昔も変わらない。市川崑はそのことを頭に置いてこの映画を作っている。だから俺たちが憧れるショーケンをキャスティングすることで、時代を超えた共感を見る者に与えられると考えたのだろう。

『影武者(80)(1982.4.3.)
 この黒澤映画を初めて見た時は、武田勝頼を演じたショーケンが特にひどいと感じたのだが、今回見直してみて全く逆の感慨が浮かんだ。それは、黒澤は勝頼の単純さや無鉄砲さをショーケンの中に見たのではないかということ。あの役を演技力抜群の俳優にやらせたら、勝頼の悲惨さは出せなかったかもしれないからだ。

『誘拐報道』(82)(1982.11.8.テアトルカマタ)
 同じく誘拐を扱った黒澤明の『天国と地獄』(63)で山崎努が演じた冷酷冷静な犯人よりも、この映画でショーケンが演じた犯人像の方がより人間的であり、現実的でもある。誘拐後の慌てぶりと後悔の念をショーケンが見事に体現している。だからこの男の持つ悲しさや弱さの方に目が行き、彼に同情すらしてしまうのである。

 奇しくも、柳ジョージではなく、ショーケンが歌う「祭ばやしが聞こえる」の音源を見付けて、最近よく聴いていた。特に歌がうまいという訳ではないのだが、独特の味がある。『Nadja -愛の世界-』というアルバムに入っていた「グレイ」が好きだった。

 私生活はめちゃくちゃな人だったが、昭和の時代だったからこそ何度も許されたところもあると思う。その意味では、役者としては幸せだったということもできるのではないか。でも「祭ばやしが聞こえる」の歌詞じゃないけど「この寂しさは何だろう」…。

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ワイラーとゴールドウィン1『この3人』

2019-03-29 06:24:55 | 映画いろいろ
『この3人』(36)(1991.7.)



 映画と検閲の問題を考えると、何から何まで際限なく見せてもいいのか、という問題とは別に、作られた時代の政治や社会情勢が浮かび上がってくる。この映画も、検閲の影響もあって、脚本のリリアン・ヘルマンが当初意図した、女生徒の嘘によって同性愛の噂を立てられ窮地に追い込まれる寄宿学校を営む2人の女性(ミリアム・ホプキンス、マール・オベロン)とは違い、2人が一人の男性(ジョエル・マックリー)を共有する不貞な関係に変化したのだが、そうした改変の中でも諦めず、俳優たちの演技を引き出し、一級の作品に仕上げたウィリアム・ワイラーの監督としての手腕はさすがと言うべきか。

 そして、30年という年月を経て、『噂の二人』(61)として再映画化したのだから、そこにはワイラーのこの題材に対する執着の強さも感じられるのだが、今となってはそれほどスキャンダラスな題材とは映らない。けれども、それは差別に対する意識の変化という意味では喜ぶべきことなのだろう。この両作の、今にも通じるテーマは子供の嘘がもたらす罪である。

ジョエル・マックリー

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『虎鮫島脱出』

2019-03-28 12:13:20 | 映画いろいろ
『虎鮫島脱出』(36)(2007.8.29.)



 けがをしたリンカーン大統領暗殺犯を正体を知らぬまま治療したことから、暗殺の共犯者の濡れ衣を着せられ孤島の刑務所に送られた医師の過酷な運命を描いた社会派ドラマ。監督はジョン・フォード。

 主人公の医師を演じるワーナー・バクスターが結構頑張っている。脇役のハリー・ケリー、ジョン・キャラダインも良。『ドクター・ブル』(33)『プリースト判事』(34)『周遊する蒸気船』(35)の“ウィル・ロジャース三部作”に続いて、またも黒人のキャラクターがいい。

 暗殺→無実の罪→孤島の刑務所への投獄→脱獄未遂→伝染病の流布→主人公の再起…とまるでロールプレイングゲームのような波乱万丈の展開。だが、これらは製作者のダリル・F・ザナックの横槍の結果とか。フォードは自らを揶揄して「自分はハリウッド一の交通整理のおまわりさんだ」と言ったらしい。主人公の妻役のグロリア・スチュアートは『タイタニック』(97)に、ケイト・ウィンスレットが演じたヒロインのその後の老婆役で出ていた。
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『初恋~お父さん、チビがいなくなりました』

2019-03-28 08:31:52 | 新作映画を見てみた


 結婚50年を迎えた老夫婦(藤竜也、倍賞千恵子)の飼い猫チビが突然いなくなる。それを機に夫婦間の溝が露わになり、妻は離婚を考え始めるが…。

 西炯子の人気漫画を小林聖太郎監督が映画化。『毎日かあさん』(11)『マエストロ!』(15)でユニークな家族と隣人たちを丁寧に描いてきた監督ならでは映画になっているが、今回は倍賞と藤という、かわいらしさとダンディの残り香を漂わせる2人を得たことが映画のポイントになっている。映画を見ると、長いタイトルにもそれなりの意味があることに気づく。

 もっとも、藤が演じた、家のことはなにもしない、無口でええかっこしいの昭和の親父はいまや絶滅危惧種だろう。この後、2人はどうなる…というラストシーンが余韻を残す。
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ジョン・フォードとウィル・ロジャース『ドクター・ブル』『プリースト判事』『周遊する蒸気船』

2019-03-28 06:10:36 | 映画いろいろ
『ドクター・ブル』(33)(2007.8.27.)

 田舎町で孤軍奮闘する医師を主人公にした人間喜劇だが、テンポの悪さが目立つ。これは、この映画が初めての顔合わせとなったジョン・フォードとウィル・ロジャースがまだお互いの良さを生かせなかった結果なのだろうか。ロジャース扮する医師の行動にも謎というか、あいまいな点が多く、彼が本当に好人物なのかどうかもはっきりとしない。加えて、見る者の神経を逆なでするような住民たちのキャラクターにいらいらさせられるところもある。この映画にはフォードの魔法が見られない。

『プリースト判事』(34)(2007.8.28.)

 南部ケンタッキーを舞台にした、法廷人情劇。スティーブン・フォスターの「マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム」が流れるとケンタッキー・フライドチキンを思い出す。さもありなんこの映画にもチキンが盛んに登場する。本当にアメリカ南部はチキン料理が名物なんだと改めて知らされた。裁判の結果なんてどうでもいいようなラストの処理が面白い。フォードとロジャースのコンビも2作目で段々となじんできた感じがする。

『周遊する蒸気船』(35)(2007.8.26.)

 19世紀末、ミシシッピー川を往来するおんぼろ蒸気船を買ったドク・ジョン・バリーが主人公。ジョン・フォードとウィル・ロジャース、コンビの最終作。映画全体がロジャースの軽妙な持ち味を生かした軽快なテンポで貫かれる心地良さを感じることができる。脇役たちのキャラクターの面白さ(バートン・チャーチルの新生モーゼ! ステッピン・フェチットの変な黒人)も抜群。
 特に、ラストの、自分たちが乗っている船を壊し、怪しい酒や蝋人形までも燃料にするというめちゃくちゃな展開は、SLを壊して燃料にする『キートンの大列車追跡』(26)『マルクスの二挺拳銃』(40)にも通じる楽しさがある。ところがこの映画、実は製作者のダリル・F・ザナックによって大幅にカットされ、フォード本人は不満だったという。だから映画は不思議だ。

 ウィル・ロジャースは、アメリカ最高のユーモリストとして親しまれ、1932年には大統領候補に指名されたが、1935年に飛行機事故で亡くなった。『幽霊紐育を歩く』(41)は、彼の死を惜しんで作られたとも言われる。淀川長治先生が座右の銘とした「私は嫌いな人とまだ会ったことがない」はロジャースの言葉だ。
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