平均的なテレビムービー西部劇
ザ・シネマ 今週の「シネマ・ウエスタン」は、「サケット兄弟」というミニシリーズから派生したテレビムービーで、何とアンドリー・V・マクラグレンが監督した『シャドー・ライダー』(82)。
南北戦争で両軍に分かれて戦った兄弟。終戦後、故郷に戻ると、弟や妹、そして長男の恋人が南軍くずれの一団に連れ去られたことを知る。
兄弟は奪還に乗り出すが…という、よくあるストーリー。
長男サム・エリオット、次男トム・セレック、三男ジョフリー・オスターヘッジ。長男の恋人にキャサリン・ロス、元南軍将校にジェフリー・ルイス、保安官にRG・アームストロング。父ハリー・ケリーJr.、母ジョーン・グリア、叔父ベン・ジョンソンという配役がうれしい。
緩いテンポでコメディーの要素もあり。汽車と馬の追っかけ、牛のスタンピードなど、いろいろと盛り込んではいるが、まあ平均的なテレビムービー西部劇という感じ。エリオットとロスはこの共演をきっかけに結婚したらしい。
トビー・フーパー監督お得意の超常現象映画。今回は人体自然発火と来やがった。
出だしは何やら核実験の罪を匂わせたものだから、国家的なレベルで話が展開していくのかと期待させたのだが、結局はモルモットにされた男の個人的な恨み話を、SFXを使ってスプラッター式に見せられただけで、期待外れに終わった。これならば、かって東宝が作った異形人間ものの方がずっとましである。どうもフーパーは、見せ掛けの脅かしに頼り過ぎて墓穴を掘るようなところがある。被害者の一人でジョン・ランディスが出てきたのはご愛嬌。
【今の一言】思えば、この映画がオレにとっての最後のフーパー映画になった。
これも残っていた公開当時のメモから。
映画監督は、一本傑作を作ってしまうと、その後はさらに上出来のものを求められてしまう、という実に過酷な仕事だ。この映画の監督のトビー・フーパーは、残念ながら自らの監督作でそのことを実証してしまっている。
傑作『悪魔のいけにえ』(74)以後のフーパーは、例えば『ポルターガイスト』(82)はどう見てもスピルバーグの世界だったし、この映画にしても、脚本に名を連ねるミスター・エイリアン=ダン・オバノンの色が非常に濃い、というように、己の力を存分に発揮しているとは思えない。
フーパーにしてみれば、いつまでも『悪魔のいけにえ』ではなく、スピルバーグやオバノンと組んで新境地を開拓しようと試みたのかもしれないが、残念ながら、見る側に『悪魔のいけにえ』のイメージをくつがえさせるところまでには至っていない。
こうなったらフーパーさん。得意のホラーではなく、スピルバーグが『カラー・パープル』(85)を撮ったように、180度違う映画でも撮ってみますか。
『日曜洋画劇場』(1987.4.12.)の淀川長治先生の名解説を採録。
はい、皆さん今晩は。今夜は怖くて眠れませんよ。『スペース・バンパイア』。スペース・バンパイアって、何でしょうねえ? 宇宙のバンパイア、宇宙の吸血鬼です。また、いつもと同んなじような? ところが、違うんですよ。今日の吸血鬼、ちょっと違うんですよ。
あなたは、旦那さんですか、奥さんですか、お嬢ちゃんですか、坊ちゃんですか? この映画ご覧になったら、旦那さんは今夜、眠れないかも知れませんよ。と言いますのは、このバンパイア、まあ、妙な妙なバンパイアで、全裸で出て来るんですよ。だから男性の前に、まっ裸でパーッと、まあ、恥ずかしい、オッパイ丸出しで出てくるんです。
だから、そんなオッパイ丸出しの美人が出てきたら、男というものは何とも知れん、しょうがないもんですね。思わず抱きつくんですね。抱きついたら最後、えらいことになってくるんですね。そのバンパイアに、生き血、生命、精力、全部抜き取られて、無残な姿になるんですね。というわけで、そういう怖い怖い映画です。
けれども、この映画の音楽はヘンリー・マンシーニ。こんな怖い映画にヘンリー・マンシーニの音楽。これがこの映画の強みですね。柔らか~い音楽で、怖~い映画。そういうとこが、面白いんですね。
この映画の監督はトビー・フーパー。この監督は、そうです『悪魔のいけにえ』がありました。だからあの手この手で怖がらせるんですね。
で、この映画に出てくる、全裸のオッパイ丸出し、やらしいねぇ。その丸出しの女の人、それがマチルダ・メイです。彼女は、この全裸おっぱいで一躍有名になって、だんだん人気出てきました。
これは1985(いっせんきゅうひゃくはちじゅうご)年のアメリカ映画です。皆さん、じっくりご覧くださいね。今夜は、何か眠れないかも知れませんよ。いろんな意味で。はい、ゆっくり怖がってくださいね。後でまた会いましょうね。
はい、いかがでしたか。怖かったでしょう? なに、面白かった? 困りますねぇ。
ところでこの映画の原名は『ライフフォース』と言うんですね。ライフフォースと言いますと、生命力なんですね。その生命力を、吸い取られるお話ですね。
しかし、こういうことは映画の上であって、実際にそんなことはあり得ない、そう思われたら大間違い。もしもあなた、お父ちゃん、お父ちゃんが銀座かどっかで、きれいな女にめぐり逢って、その女の方が全裸になって、目の前にオッパイ出されたら、思わず飛びつかれるかも知れませんね。もしもそんなことになったら、後でお帰りになる時に、ポケットの銭は全部なくなりますよ。というわけで、恐怖は現実になりますよ。
そういうわけで、この監督はこの映画の成功で、またもや『悪魔のいけにえ』の続編を作っております。まぁいろいろと怖いことがありますね。けれどもテレビで、こんなにオッパイの丸出しは、私この世に生きて、何とも世の中変わりましたねぇ、と思いましたよ。
はい、もう時間きました。それでは次週をご期待ください。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。
トビー・フーパーが亡くなった。彼の『悪魔のいけにえ』(74)や『悪魔の沼』(76)を見たのは高校生の時だった。その時のメモは残っていないが、何か見てはいけないものを見てしまったような衝撃を受けたことは鮮明に覚えている。彼の映画に関するメモが幾つか残っていたので、あの頃を思い出しながら…。
『ポルタ―ガイスト』(1982.8.11.新宿スカラ)
『悪魔のいけにえ』『悪魔の沼』など、ゲテモノホラー映画で名をはせたトビー・フーパーと、『未知との遭遇』(77)のような感動的な映画を作り出すスティーブン・スピルバーグ。この、一見、水と油のような2人が監督とプロデューサーとして手を組んだ映画は、一体どんなものに仕上がっているのかと興味深かったのだが、見てみれば何のことはない、完全にスピルバーグの世界一色だった。『未知との遭遇』の異星人との接触を、今度は霊に置き換えたに過ぎないような感じがした。
例えば、いわゆる脅かしの部分ではフーパーの持つ個性が生きたかもしれないが、ただそれだけでは、見終わった後で「あー怖かった」という感慨しか浮かばないような、底の浅い映画になってしまっただろう。
だが、この映画には大きな芯が一つ通っている。それはスピルバーグが好んで描く家族愛と子供の持つ純粋さである。従って、ホラー映画なのに、どこかおとぎ話を見ているような気にさせられてしまう。これはどう考えてもフーパーの持つ感覚ではない。
他にも、まばゆいばかりの光の使い方は『未知との遭遇』、脅かしのシーンは『ジョーズ』(75)や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)をほうふつとさせる。加えて、自然破壊やテレビへの皮肉を織り交ぜるあたりもスピルバーグならではだし…。こう考えてくると、この映画の中にフーパーの姿を見付けるのは極めて難しい。三日間で監督を降ろされたという噂もさもありなんという感じである。
さらに付け加えれば(ちょっとしつこい)、登場するのは極平凡な普通の家族であって、フーパーが描くような異常な人たちではない。その普通の家族が未知の代物である霊と戦うのだから、見ているこちらも感情移入がしやすい。このように、日常の中に超現実を描き込むという芸当もスピルバーグの領域である。何だかスピルバーグ礼賛になってしまったが、どう考えてもこの映画は彼の世界なのだから仕方がない。
また、この映画を単なるホラー映画に終わらせなかった大きな要素として、ジェリー・ゴールドスミスの音楽も忘れてはならないだろう。その他、若くて強い、魅力的なママを演じたジョベス・ウィリアムズが印象に残った。
【今の一言】35年前のメモ。今改めて読むと「フーパー監督ごめんなさい」という感じもするが、これはこれであの時の正直な感想なので仕方がない。アメリカも、日本のNHKと同じように、放送終了時に国歌を流すことをこの映画で知った。
女性の強さを前面に押し出した現代性も
1970年代後半に放映されたリンダ・カーター主演のテレビシリーズも懐かしい「ワンダーウーマン」。長い間映画化が望まれていた女性ヒーローが遂にスクリーンに登場した。
第1次大戦下、女性だけが暮らす島で育ったアマゾン族のプリンセス・ダイアナ(ガル・ガドット)。ある日、島に漂着した米人パイロットのスティーブ(クリス・パイン)が彼女の前に現れる。ダイアナは「世界を救う」という決意を胸に、スティーブと共にロンドンに向かう。
戦火の中でのダイアナとスティーブの悲恋を描くという意味では、「DCコミックス映画」の持つ“暗さ”が、今回はプラスに作用した感がある。また、第1次大戦下を舞台にした懐古調でありながら、女性の強さを前面に押し出した現代性もあるところが面白い。
イスラエル出身でモデルでもあるガドットは、軍隊に所属していたこともあるというから筋金入りのワンダーウーマン。欧米では圧倒的に女性ファンが多いのだとか。
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
映画化を勇気と見るか、無謀と見るかが分かれ道
『関ヶ原』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1121553
ジェリー・ルイスが亡くなった。映画館で初めてルイスを見たのは、1983.10.24.大塚名画座での「ニコニコ大会」の時。
併映はハロルド・ロイド主演の『ロイドの用(要)人無用』(23)と『ロイドの(初恋)家庭サービス』(24)だった。
その際に書いたメモを。
『底抜け再就職も楽じゃない』(80)
サーカスを首になった道化師が再就職先を探して…というお話。題通りにジェリー・ルイスの衰えをまざまざと見せつけられ、笑わされると同時に、哀れさを感じてしまったのが何とも残念だった。
考えてみれば「底抜け~」と名付けられた映画を、こうして映画館で見るのは初めてであった。今までルイスの映画をテレビでしか見ることが出来なかった自分にとっては、彼のイメージは若き日の姿だけであり、この映画を見ながら、何だか別人がルイスを演じているのを見ているような、妙な気分にさせられた。これは、彼のブランクがあまりにも長かったせいなのかもしれない。
ルイスのおかしさは、表情(百面相)と動きにあるのだが、若き日、飛び回り、動き回って騒動を起こし続けたエネルギーを、何十年かたった現在まで保ち続けられるはずもない。しかも、低迷による長期間のブランクも重なって、この映画では昔の面影を垣間見せるだけにとどまり哀れを誘う。
加えて、ルイスの場合、阿呆芸というか、ある種の狂気を感じさせるところが魅力だったのに、この映画は取って付けたような人情話になってしまっていた。ルイスもまた、チャップリンのようにドタバタからペーソスに移っていくしか活路はないのだろうか。
と言いながら、テレビで見た三つ児の赤ちゃんの世話をする『底抜け楽じゃないデス』(58)、早川雪洲と共演し、日本の孤児とふれあう『底抜け慰問屋行ったり来たり(58)なんかは結構好きなので、困ってしまうのだけれど…。
あれから30数年がたち、今改めて読み直すと、若気の至りで書いた文という感じがする。今この映画を見たら、身につまされて、違う意味でつらくなってしまうかもしれない。
ところで、同時期に、コメディアン志願者(ロバート・デ・ニーロ)に誘拐される有名コメディアンをルイスが演じたマーティン・スコセッシの『キング・オブ・コメディ』(82)も見た。
こちらはメモが残っていなかったし、一度も見直していないので定かではないのだが、あまり面白くなかったような印象がある。
エディ・マーフィがリメークした『底抜け大学教授』(63)については↓
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/bfab7199d35ba62fb72f5e3fb9744b99
ルイスのプロフィールは↓ 写真を見ると本来は二枚目なのだと気付く。
『ベイビー・ドライバー』のアンセル・エルゴートにインタビュー。
劇中、彼がコモドアーズの「イージー」を口ずさむシーンが良かったと伝えたら、オーディションでのエピソードを語ってくれた。
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1120873
2はもう少し考えて作ろうよ
暴力示談屋のヒーリー(ラッセル・クロウ)と酒浸りの私立探偵マーチ(ライアン・ゴズリング)が、失踪した女の捜索でコンビを組み、ポルノ映画のフィルムを巡る謎を追うことになる。この凸凹コンビに マーチの13歳のませた娘ホリー(アンガーリー・ライス)も絡んできて…。
製作ジョエル・シルバー、監督、脚本ショーン・ブラックは、『リーサル・ウェポン』シリーズのコンビ。夢よもう一度とばかりに作ったようなバディ・ムービーだが、残念ながらテンポが悪くて締まらない。ギャグや小ネタも端々に入れ込んでいるのだが、不発弾が多い。『リーサル・ウェポン』のようなシリーズ化を目論んでいるのだとしたら、2はもう少し考えて作ろうよ、といった感じだ。
1977年が舞台だけに、またも「セプテンバー」(アース・ウィンド&ファイアー)「ジャイヴ・トーキン」(ビージーズ)「名前のない馬」(アメリカ)「エスケイプ」(ルパート・ホルムズ)「ラブ・アンド・ハピネス」(アル・グリーン) といった懐メロが大量に流れる。このパターンは、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズしかり、『ベイビー・ドライバー』しかりである。
最初は懐かしさにかまけて喜んでいたが、こうも続くと何だか安易な感じもしてきた。時代や心情を表す際に、いささか曲に頼り過ぎてないかい? と思うのである。
それにしても、ラッセル・クロウの太り具合は、思わずメタボ仲間か? と思わされ、他人事ながら心配になる。デ・ニーロ以来、俳優は役によって肉体改造をするようになった。もしやクロウは太ったきり戻らなくなったのか…。