田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『アベンジャーズ エンドゲーム』

2019-04-28 16:33:35 | 新作映画を見てみた


 「アベンジャーズ」シリーズの第4作で完結編。前作『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』で、宇宙最強の敵サノス(ジョシュ・ブローリン)によって、ヒーローたちを含めた全人類の半分を一瞬で消し去られたアベンジャーズ。残されたメンバーたちが世界や仲間を救うため、再びサノスに戦いを挑む姿を描く。新たにキャプテン・マーベル(ブリー・ラーソン)が参戦。監督は前作に引き続き、アンソニー&ジョー・ルッソ兄弟が務めた。

 敗北からの再起、タイムトラベルを使った過去の清算、あの顔この顔、そしてオールスターによる忠臣蔵を思わせるような展開…。多少雑なところもあるが、過去に戻ることで過去作を復習することができるし、シリーズを見ていれば見ているほど、ニヤリとするようなネタも満載。今や22作を数える「マーベル・シネマティック・ユニバース」。『アイアンマン』(08)から11年、『アベンジャーズ』(12)から7年という時の流れを思うと感慨深いシーンも多い。完結編にふさわしい内容と見た。

『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』アンソニー・ルッソ監督インタビュー
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1147470
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ロボトミー手術『カッコーの巣の上で』

2019-04-27 19:47:30 | 映画いろいろ


 先日、NHK Eテレの「フランケンシュタインの誘惑E+」が、ロボトミー手術を実践したウォルター・フリーマンについて語っていた。ロボトミーは、精神疾患患者の脳の一部を切除しおとなしくさせる手術。現在では人間性を剥奪する史上最悪の外科手術とされているが、1950年代までは奇跡の手術として日本を含め世界中で盛んに行われていた。

 番組の中にケン・キージーの小説『カッコーの巣の上で』が出てきた。これを映画化してアカデミー賞を受賞したミロス・フォアマン監督作では、ラスト近くで主人公のマクマーフィー(ジャック・ニコルソン)が、無理やりロボトミー手術を受けて廃人になるシーンがある。つまりロボトミーは権力や体制、そして不自由の象徴でもあったのだ。

 そしてマクマーフィを安楽死させたチーフ(ウィル・サンプソン)が、「持ち上げた者には奇跡が起きる」とマクマーフィーが言っていた水飲み台を持ち上げて窓を破り、ジャック・ニッチェ作曲の不思議な音楽に乗って精神病院を脱走するシーンで幕を閉じるのだが、その時、映る患者がクリストファー・ロイド、ダニー・デビート、そしてこの映画に出演後、白血病で亡くなった名脇役のウィリアム・レッドフィールドたちだった。今でもこのラストシーンを見ると感動する。

https://www.youtube.com/watch?v=c3Dz6FOE_Gk
 
『アカデミー賞のすべて』

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【ほぼ週刊映画コラム】『パパは奮闘中!』

2019-04-27 17:23:42 | ほぼ週刊映画コラム
エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は

仕事と家庭とのバランスを見付ける闘いを描いた
『パパは奮闘中!』



詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1187509
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『アメリカン・アニマルズ』

2019-04-26 11:36:45 | 新作映画を見てみた


 米ケンタッキー州で退屈な大学生活を送るウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、自分たちが普通の大人になりかけていることにいら立ちを感じていた。そんな中、2人は大学図書館に保管されたオーデュポンのビンテージ画集を強奪することを思いつき、新たに2人の友人を仲間に引き込む。

 自分は普通とは違うと思い込み、それを証明するための何か“でかいこと”を探す若者たちが、犯罪映画を参考にしながら犯罪計画を立てたという、甘いと言えば甘過ぎる、あほと言えばあほ過ぎる、実際にあった強盗事件の顛末を描く。

 監督・脚本はこれが監督デビュー作のバート・レイトン。もとはドキュメンタリーの映像作家ということで、実際の犯人たちが劇中に登場して証言をするという、劇映画とドキュメンタリーを融合させた手法で見せる。そうすることで、本人と演じている俳優たちがオーバーラップする面白さ、あるいは、証言の食い違いによって、一つの出来事を異なる視点で見せる面白さが生まれたが、では劇映画とドキュメンタリーの境界とは何なのかを考えさせられるところもある。

 ちなみに、劇中、棚に並んだDVDのタイトルで示された彼らが参考にした映画は、『ミニミニ大作戦』(69・03)『華麗なる賭け』(68)『スナッチ』(00)『ユージュアル・サスペクツ』(95)『ハートブルー』(91)『ゲッタウェイ』(72・94)『明日に向って撃て!』(69)『スティング』(73)『男の争い』(55)『タイム・トゥ・ラン』(15)『マッチスティック・メン』(03)『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81)『レザボア・ドッグス』(91)。そして映像が映るのがキューブリックの『現金に体を張れ』(56)だった。なかなか興味深いラインアップだ。
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『テス』

2019-04-25 11:46:19 | 映画いろいろ


 今日のNHK BSプレミアムの映画は、ロマン・ポランスキー監督、ナスターシャ・キンスキー主演の『テス』(79)。図らずも、先日、父のクラウスが怪演を見せた『殺しが静かにやって来る』(68)を見たばかりなので、何だか妙な感じがする。

 以前『20世紀の映画』『アカデミー賞のすべて』とというムック本でこの映画について書いたことがあった。





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『アナと世界の終わり』

2019-04-25 08:26:52 | 新作映画を見てみた


 クリスマスを迎えたイギリスの田舎町に突如ゾンビが出現。冴えない日常を送る高校生のアナは、日頃のうっ憤を晴らすかのように、仲間たちと共にゾンビに立ち向かっていく。

 闘いの最中に、本格的なミュージカルさながらに、彼らが歌うシーンが挿入されるという、青春コメディとミュージカルとゾンビを融合させた珍品。常々、ホラーとコメディは紙一重だと思っていたが、また新たな切り口のゾンビ映画が現れた。

 もともとゾンビは欧米のものだが、最近は日本でも、ゾンビ映画の製作を題材にした『キツツキと雨』(12)『カメラを止めるな!』(18)といった変化球物、あるいは本格物の『アイアムアヒーロー』(16)などが作られている。

 なぜゾンビという題材はこうも映像作家たちを虜にするのか、と考えてみると、比較的低予算で作れ、メーキャップに凝るなど“遊び心”も発揮できる。何より非日常が描け、ゾンビをいくら“退治”しても殺人にはならないから、激しいバイオレンス描写も許される。また、作り方によっては隠喩やメッセージを込めることもできるなど、いろいろな理由があるだろう。

 その意味では、この映画もゾンビに仮託した青春映画ということもできるのだが、どうせここまで羽目を外したのだから、ゾンビたちにも歌わせてしまえばよかったのに…という気もした。
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『暗黒街のふたり』

2019-04-24 11:17:56 | 映画いろいろ
『暗黒街のふたり』(73)(1993.9.25.)



 懲役を終え出所した男(アラン・ドロン)と彼の社会復帰を見守る保護監察司(ジャン・ギャバン)。男は真面目に第二の人生を歩み始めるが、彼の更生を疑う刑事(ミシェル・ブーケ)が執拗につきまとう。

 1970年代、怒濤のように押し寄せたアラン・ドロン主演の映画群。3本立てを好んで見ていた中学、高校時代の自分にとって、ドロンの映画は目当ての映画の“おまけ”で見せられたことも多かった。そんな中、目当てのカンフー映画(『復讐のドラゴン』『帰って来たドラゴン』)を遥かに凌駕して感動させてくれたのがこの映画だった。

 とはいえ、このところニューシネマなどを見直すと、昔の感動が嘘のよう…というものが多いので、この映画もどうかな?と半ば恐々見始めたのだが、フィリップ・サルドの哀切のメロディに乗って語られる悲痛な話は今回も心に響いた。

 ラストシーンのドロンの悲しい目もいいが、彼を慈悲深く見つめるギャバン、何とも憎々しいブーケ、可憐なミムジー・ファーマーなど脇もいい。監督のジョゼ・ジョバンニ自身も前科者。この映画には彼の心情も投影されているのだろう。 

 ただ、そうは言いながら、大人になった自分は、死刑制度(ギロチン)反対の色が濃すぎて犯罪者に肩入れし過ぎた映画という見方もできるか、などとも思ってしまった。嫌だねえ。
 
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ルビッチ馬鹿やプレストン馬鹿

2019-04-23 20:22:56 | 映画いろいろ

1994年4月の出来事

 エルンスト・ルビッチ特集上映時に、ビリー・ワイルダーをけなしたのに続いて、プレストン・スタージェス特集にかこつけて、蓮實重彦がまたやった。今度はプレストンを持ち上げたいばかりに、あろうことかジョン・スタージェスを貶めたのである。

 「あなたが「茫然自失」という言葉の意味するものを身をもって体験したければ、ひたすらスタージェスの名をつぶやきながら、映画館にかけつければよい。もちろん、ファーストネームはジョンではなく、プレストンのほうだ。~日本ではジョンを名乗る同姓の二流作家が結構もてはやされもしたのだから…」だと。

 ルビッチとワイルダーは、師匠と弟子のような関係だから、まだ分からなくもないが、プレストンとジョンは、同姓というだけで、作風も違う。確かにプレストンの作品が日本ではあまり上映されていない不幸はあるが、それとジョンとは何の関係もない。これは単なる言いがかりだ。

 ところが、これに付和雷同した蓮實の一派がジョンの映画をけなし始めるという、めちゃくちゃな事態が生じた。いやはや、ここまでくると恐ろしくなる。これは、映画ジャーナリズムにそれなりの発言力や影響力を持つ者が、やってはいけないことではないのか。



【その後】
 瀬戸川猛資氏が『シネマ古今集』で「“二流作家”ジョン・スタージェスのファンとしては、こういう文章を読むとうれしくなる。ジョンの一連の秀作が、ルビッチ馬鹿やプレストン馬鹿の魔手から逃れられるからだ。付和雷同分子の雑音に悩まされることなく、心ゆくまで彼の映画を満喫する絶好のチャンスである」

 川本三郎氏が『ロードショーが150円だった頃』で「その旧作が公開されることになって“いまプレストン・スタージェスが面白い”とやかましいが、スタージェスといえば大学の先生がなんといおうがもうひとりのジョン・スタージェスのほうだ。映画といえば西部劇、西部劇といえばジョン・スタージェスの時代があったことを忘れてはいけない」と皮肉を込めて書いてくれたので、多少溜飲が下がったことを覚えている。

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『結婚哲学』『生きるべきか死ぬべきか』

2019-04-23 12:08:24 | 映画いろいろ
『結婚哲学』(24)『生きるべきか死ぬべきか』(42)(1993.6.)



 最近、ビデオの発売や一部の劇場での上映によって改めて見直されているエルンスト・ルビッチの映画。ただ、蓮實重彦氏が、ルビッチを持ち上げたいばかりにビリー・ワイルダーを貶めたり(彼のいつもの手だ)、リアルタイムではルビッチを見ていないはずの彼の一派が尻馬に乗って「昔からルビッチは…」などと訳知り顔で語る風潮には腹が立つ。

 『結婚哲学』は、離婚を考えている倦怠期の夫婦と相思相愛のカップルが入り乱れて繰り広げる悲喜劇で、それまではドタバタが主流だったサイレントコメディに、ヨーロッパ的な倦怠や退廃を持ち込んだ傑作とされるが、ルビッチはチャップリンの『巴里の女性』(23)に感化されて、この映画を撮ったとのこと。

 『生きるべきか死ぬべきか』は、第二次大戦直前のワルシャワを舞台に、「ハムレット」で主役を演じる夫妻が、ポーランドを救うために、ナチスのスパイを相手に大芝居を打つという、ルビッチが故国・ドイツを皮肉った風刺コメディの傑作で、“幻の”キャロル・ロンバードの存在感の大きさも教えてくれるが、これも、同じくナチス=ヒトラーを強烈に皮肉ったチャップリンの『独裁者』(40)の方が先に作られている。

 随分と変な言い方になったが、これは決してルビッチが嫌いだからとか、彼の映画がつまらなかったから、というわけではない。むしろとても面白い映画が見られてうれしいのに、妙な輩の声が水を差すからちょっと嫌味を言ってみたのである。

 蓮實氏のような、誰かを持ち上げたいために他の誰かを貶めるという手法はとても便利だが、それは誤解を生じさせるばかりでなくとても醜い、と自戒の意味も込めて思うのだ。例えば、この場合は「ルビッチもワイルダーもチャップリンも、互いに影響し合って、皆が素晴らしい映画を遺してくれた」でいいではないか。これからはそういう言い方をしませんか蓮實さん。
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『桃色の店/街角』

2019-04-22 18:44:55 | 映画いろいろ

『桃色の店』(40)(1997.10.)



 この映画、エルンスト・ルビッチの監督作としては後期に属し、良作としての評価もあまり得ていない。実際に見てみると、確かに、端々に“ルビッチタッチ”と呼ばれた粋なセリフや設定の妙は見られたが、全体的には大満足とは言い切れないところがあった。もっとも、この映画には原作戯曲があり、しかもルビッチは脚本を書いていないのだから、隅から隅まで“ルビッチタッチ”というわけにもいかなかったのだろう。

 主演のジェームズ・スチュワートとマーガレット・サラバンにも増して、脇役のフランク・モーガン(『オズの魔法使』(39)『町の人気者』(43)『甦る熱球』(49)にも出ていた)がいい味を出している。

 ペンフレンド同士が、互いに相手だとは知らずに同じ職場で、しかも仲違いしながら働いているという設定は、いかにも古めかしい半面、ロマンチックでもある。今ならさしづめパソコン通信やインターネットで…ということになるのかもしれない。

【今の一言】
 この映画は、このメモを書いた翌年、監督ノーラ・エフロン、出演トム・ハンクス、メグ・ライアンで『ユー・ガット・メール』としてリメークされた。設定が文通からEメールに置き換えられていたが、オレにも先見の明があったということか。

ジェームズ・スチュワート

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