エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
『シャイニング』の40年後の続編
『ドクター・スリープ』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1206674
先日読了した双葉十三郎さんの『アメリカ映画』が大変参考になったので、続けて、その続編とも呼ぶべき、1954(昭和29)年発行の『現代アメリカ映画作家論』を手に入れて読んでみた。ラインアップは、
【研究】
ウィリアム・ワイラー、ジョージ・スティーブンス、ジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・ヒューストン、ビリー・ワイルダー、フレッド・ジンネマン、エリア・カザン、ジーン・ケリー、フランク・キャプラ、ヘンリー・コスタ―、ウィリアム・ディターレ、アンソニー・マン、チャールズ・チャップリン
ウィリアム・ワイラー、ジョージ・スティーブンス、ジョン・フォード、アルフレッド・ヒッチコック、ジョン・ヒューストン、ビリー・ワイルダー、フレッド・ジンネマン、エリア・カザン、ジーン・ケリー、フランク・キャプラ、ヘンリー・コスタ―、ウィリアム・ディターレ、アンソニー・マン、チャールズ・チャップリン
【素描】
セシル・B・デミル、ラオール・ウォルシュ、ヘンリー・キング、キング・ビダー、クラレンス・ブラウン、エドマンド・グールディング、ハワード・ホークス、ルイス・マイルストン、レオ・マッケリー、ウィリアム・A・ウェルマン、ジョージ・キューカー、マービン・ルロイ、ヘンリー・ハザウェイ、マイケル・カーティス、ロバート・シオドマク、ジョセフ・L・マンキーウィッツ、ビンセント・ミネリ、チャールズ・ウォルターズ
セシル・B・デミル、ラオール・ウォルシュ、ヘンリー・キング、キング・ビダー、クラレンス・ブラウン、エドマンド・グールディング、ハワード・ホークス、ルイス・マイルストン、レオ・マッケリー、ウィリアム・A・ウェルマン、ジョージ・キューカー、マービン・ルロイ、ヘンリー・ハザウェイ、マイケル・カーティス、ロバート・シオドマク、ジョセフ・L・マンキーウィッツ、ビンセント・ミネリ、チャールズ・ウォルターズ
双葉さんは、結構好みがはっきりしていて、カザンはボロクソ、ホークスについても「ぶった切るような接続を得意としているので流れが良くない」と書いている。その時代の証言としてはとても興味深く読んだが、映画の出来や監督の評価は時代によって変化するものだと改めて知らされた。
周防監督に、「なぜ今、活動弁士を主人公にした映画を撮ろうと考えたのか」と質問すると、
「サイレント映画に、別に弁士も音楽も要らないじゃないか、とずっと思ってきたが、今回、片島章三さんの脚本を読んで、本当の意味でサイレント映画は、弁士の説明と音楽があって見るのが正しいと気付いた」
「映画の定義が変わってきている今だからこそ、日本で映画がどう始まったのかを撮らないと、誰もそれを知らなくなってしまう。活動弁士のことなんて誰も知らないのではまずいと。自らの反省の意味も込めて、ぜひ活動弁士の存在を、多くの人に知ってほしいと思った」と答えた。
詳細は後ほど。
『カツベン!』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/54733c46bbc92a13b6e1515e02750a55
『ラスト・シューティスト』(76)(1987.6.14.日曜洋画劇場)
何度見ても、一体ジョン・ウェインはどんな気持ちで、この映画に取り組んでいたのだろう、と思ってしまう。恐らく、これが最後になるかもしれないという気持ちはあっただろうし、がんに侵されるという、演じる役と自分自身がオーバーラップしてしまうつらさは、我々見る側よりも本人の方が強く感じていたに違いないからである。にもかかわらず、十八番の西部の男という役柄を最後まで演じ切り、去っていったことは、見方を変えれば、映画スターとしては最高の幕引きだったとも言えるのかもしれない。
実際、自らの死を予感して、それに見合った内容の映画で幕を閉じたスターは、『黄昏』(81)のヘンリー・フォンダ、『ハンター』(80)のスティーブ・マックィーンなど、数えるほどしかいない。先に亡くなったウィリアム・ホールデンのように、あまり幸せとは言えない最期を迎えたスターの方が圧倒的に多いのだ。
そう考えれば、最後にドン・シーゲルというハリウッド生え抜きの職人監督の下で、ジェームズ・スチュワート、ローレン・バコール、リチャード・ブーン、ジョン・キャラダインといった古くからの仲間たちに囲まれ、次代を担うロン・ハワードまで加えたこの映画は、ジョン・ウェイン最後の映画として、あまりにも美しく、見事で、的を得ていていて、最高の幕引き映画だとは思いながらも、同時に、あまりにも切なく、悲しく、寂しさを感じさせる映画であることもまた確かなのだ。
先日『絶海の嵐』(42)のパンフレットを入手した際、この本のことを思い出したので再読してみた。
ゲイル・ラッセルに捧げられた本書(85)は、『ぼくのアメリカンムービー』(80)から、ジョン・ウェインに関する部分だけを抽出し、加筆訂正したもの。『絶海の嵐』と『怒涛の果て』(48)のイメージを中心に、ジョン・ウェインとアメリカ映画について語り尽くしている。
2007年に『MOVIE』という雑誌で 生誕100年のジョン・ウェインを特集する際に、本書を基に大林監督にインタビューをすることを思いついた。当日、2時間にも及んだインタビューは、本書の抜粋とその後の取材について語ったもので、淀川長治先生同様、頭の中で自分なりのストーリーが出来上がっている監督のほぼ一人語りとなった。もちろん「それは監督の妄想なのでは?」と思うところもあったが、あまりの話の面白さについ引き込まれ、監督の語り部としての才能に唸らされた覚えがある。
今から思えば、ウェインが最後の病床で『怒涛の果て』を繰り返し見ていたことも明かされたこのインタビューは、2冊の本を踏まえた完結編になったのでないかと自負している。
昨日のNHK「アナザーストーリーズ」は、「天才激突! 黒澤明VS勝新太郎」と題して、『影武者』(80)での勝の降板をめぐる出来事を追っていた。
以前は、もし『影武者』が、当初の予定通りに、監督黒澤明、脚本橋本忍、撮影宮川一夫、音楽佐藤勝、主演勝新太郎、若山富三郎で撮られていたら…とよく夢想したものだが、橋本の著書『複眼の映像 私と黒澤明』を読んだ時に、さまざまな要因から、それは初めから実現不可能だったことがよく分かり切なくなった覚えがある。
今回のドキュメントを見てもその思いは同じで、残念ではあるが、どうしても相容れない関係があることを、改めて知らされた気がした。
All About おすすめ映画『影武者』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3862d82ff6477f068c7273240579ce85
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3862d82ff6477f068c7273240579ce85
(2007.10.2.)
『ローマ帝国の滅亡』(64)
アンソニー・マン監督の遺作だが、これはプロデューサー、サミュエル・ブロンストンの趣味が大きく出た映画だろう。
リドリー・スコット監督の『グラディエーター』(00)との類似点が多く、この映画の屈折したダメ皇帝役のクリストファー・プラマーが、『グラディエーター』のホアキン・フェニックスとそっくりな点などに先見の明も見られるのだが、アレック・ギネス、ジェームズ・メイスンら、イギリスのスターたちを揃えながら、結局はイタリア人のソフィア・ローレン一人がいいとこ取りをしているという、バランスの悪さを感じさせる映画という印象が残る。
史劇ブームに乗り遅れた徒花という感じがして、皮肉にも、ローマではなく“史劇映画の滅亡”を暗示していたかのようにも見える。
『サーカスの世界』(64)
ヘンリー・ハサウェイ監督の、この映画のプロデューサーはまたもサミュエル・ブロンストン。彼はスペインのマドリッドのスタジオで『エル・シド』(61)や『北京の55日』(63)、そして『ローマ帝国の滅亡』(64)などのスペクタクル史劇大作をプロデュースしたものの、後に破産したという悲運の人。
この映画でも『エル・シド』と『ローマ帝国の滅亡』のソフィア・ローレン同様、イタリア女優のクラウディア・カルディナーレを起用するという“イタリアかぶれ”ぶりを披露している。
サーカスで行われるワイルド・ウエスト(西部劇)・ショー、船の沈没、ヨーロッパ巡業、恋愛模様、大火災(もちろん本物のサーカス芸人も多数登場して妙技を披露する)と、よく考えたらめちゃくちゃな話なのだが、観客をいかにお腹いっぱいにさせるかに腐心した大サービス作という言い方もできる。
そして団長役のデューク=ジョン・ウェインのまさに一人舞台が展開される。映画公開当時、すでに46歳で容色の衰えたリタ・ヘイワースが意外な健闘を見せるのも、見どころの一つだ。