田中雄二の「映画の王様」

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『炎のランナー』

2020-07-06 07:00:21 | 映画いろいろ

『炎のランナー』(81)(1983.4.11.銀座文化)

 1924年のパリ・オリンピックで、陸上の金メダリストとなった2人のイギリス人、ハロルド・エイブラハムズ(ベン・クロス)と、エリック・リデル(イアン・チャールソン)。互いに苦悩を抱えながら、仲間やコーチに支えられ、栄光に輝くまでを描く。

 久しぶりに、イギリス映画の真骨頂である格調高い映像を見ることができた。もともとイギリスにはデビッド・リーンやキャロル・リード(ヒッチコックもイギリス出身だ)といった映像美を表現する監督が多かったのだが、最近はアメリカ映画と区別がつかないような映画も多く、その特性が忘れ去られていた気がする。

 その意味で、この映画はイギリス映画の特性を生かしたばかりでなく、イギリスの国柄がよく出ていたことでも記憶されるだろう。イギリス(特に大英帝国時代)には、うわべは上品に見えても、その実キザで高慢な印象がある。この映画は、そのあたりをスポーツやオリンピックを通して浮き彫りにしていく。

 だが、この映画は、そのような背景を抜きにして、スポーツ映画として見ても一級品である。何より、躍動する人間の美しさを、ここまで見事に捉えた映画はかつてなかったし、走るという行為に対する、何故?という疑問の一端を解いているようにも思えるからだ。

 この映画の2人の主人公も、一人はユダヤ人であるという自己からの脱却のため、もう一人は自らの信仰心に準ずるために走っている。ところが、極限状態に達した時、2人には何の束縛もなく、無心で走り続けている。その姿の美しさと満足感こそが、走るという行為の原点であるに違いない。

 事実、この映画のランナーたち(それぞれが本職顔負けで驚く)のフォームは、機械のように正確で規則正しい今のランナーたちに比べると、遥かにカッコ悪くて泥くさいのだが、逆に人間らしさを感じさせられる。

 このように、監督のヒュー・ハドソンは、とても新人とは思えないような映画を作り上げたのだが、それは1920年代を再現しながら、同時に、今のスポーツが見失ってしまった本来の姿を見せることにも成功している。これこそを温故知新というのだろうか。

 また、主人公の葬儀→関係者による回想→最後は再び葬儀に戻る、という作りは、先輩リーンの『アラビアのロレンス』(62)を意識したのでは、と思ったし、100メートル決勝のシーンは市川崑の『東京オリンピック』(65)の影響を受けていると感じた。

 そんな美しい映像をさらに盛り上げたのがヴァンゲリスの音楽である。特にファーストシーンとラストシーンに流れる音楽は、絵画のようにも見える映像と見事に一体化しており、忘れられないシーンとなった。

【今の一言】リデル役のチャールソンは将来を嘱望されたが若くしてエイズで亡くなった。また、エイブラハムズをコーチしたイタリア人のサム・ムサビーニ役を好演したイアン・ホルムも先日亡くなった。


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