日米英、怪獣映画のキャッチボール
およそ半世紀ぶりに『怪獣ゴルゴ』(61)を再見した。この映画の大筋は、人間が怪獣を捕らえて見世物にするという怪獣映画の元祖『キング・コング』(33)を踏襲しているが、そこに、人間に捕らわれた子供を親が助けに来るという変化球を交え、親ゴルゴがロンドンを破壊するシーンをクライマックスとした。
年を取った今となっては、親子で海に帰っていくゴルゴの後ろ姿に泣かされる。監督はロシア出身のユージン・ローリー。彼はチャップリンの『ライムライト』(52)や『バルジ大作戦』(65)などの美術監督としての方が名高いようだ。
ところで、この映画を見ながら“日米英、怪獣映画のキャッチボール”の様子が浮かんできた。それは、1951年にレイ・ブラッドベリが、灯台の霧笛を仲間の鳴き声だと思い込んで現れた恐竜を主人公とする、哀愁を帯びた短編小説『霧笛』を発表したことに始まる。
それをワーナーが映画化し、『ゴルゴ』に先駆けてユージン・ローリーが監督した『原子怪獣現わる』(53)は、ブラッドベリの“恐竜仲間”で、『キング・コング』が大好きなレイ・ハリーハウゼンが特撮を担当し、「核実験の影響を受けた恐竜」という設定を加えた。
その設定は日本の『ゴジラ』(54)に強く影響を与えたが、『ゴジラ』は新たに、着ぐるみ怪獣が都市を破壊するという形式を提示する。『ゴジラ』にならって、この英映画『怪獣ゴルゴ』では、着ぐるみ怪獣がロンドンの名所を破壊していく。
そのゴルゴを下敷きにした日本の『大巨獣ガッパ』(67)では、見世物となった子供を助けに、両親が熱海にやって来る。そしてラストは、朝日をバックに羽田空港から親子で飛び立つ(そこに美樹克彦が歌い上げるテーマ曲が流れる)という、いかにも日本的な“泣かせのシーン”で締めくくった。
仲間を求めて現れた孤独な恐竜がここまで変化するとは面白い。これだから映画の尻取り遊びは切りがないのだ。