舞台はロサンゼルスのシルバーレイクという貯水池のある街。夢破れた青年サム(アンドリュー・ガーフィールド)は、隣に住む謎の美女サラ(ライリー・キーオ)に恋をするが、突然、彼女は失踪する。サラを捜す中、サムは街の裏側に潜むある秘密を知る。
例えば、探偵くくりで『チャイナタウン』(水源)、『インヒアレント・ヴァイス』(麻薬)、『ロンググッドバイ』(隣の女)、『サンセット大通り』(プール)。あるいは、ヒッチコックの『裏窓』(のぞき)、『めまい』(尾行)、バーナード・ハーマン風の音楽。また、『第七天国』のジャネット・ゲイナー、『百万長者と結婚する方法』『女房は生きていた』のマリリン・モンロー(女優たち)。
そして『ボディ・スナッチャー』(マスヒステリー)、グリフィス天文台のジェームス・ディーン像( “裏”『ラ・ラ・ランド』)…といった具合に、監督・脚本のデビッド・ロバート・ミッチェルが、全編に仕込んださまざまな映画のコラージュは刺激的ではある。
だが、ロサンゼルスの都市伝説と暗号をめぐる一種のミステリーであるにもかかわらず、いかんせん、最後まで話が支離滅裂で、だから何なんだ?といった、もやもやした思いが残る。分かるやつだけ分かればいいといった、独りよがりの趣味の押し売り的なものを強く感じさせられた。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07GYC8XSN
第二次大戦中の兵士訓練所での青春像をノスタルジックに描く。ニール・サイモンの自伝的な原作・脚本ということで、所々に適度なユーモアがあり、ジョルジュ・ドルリューによるノスタルジックな音楽の効果も加えると、戦争映画というよりも、むしろ青春映画と言った方がすんなりとくる。
これを見ると、第二次大戦後、全く戦争を知らない日本に比べ、その後、朝鮮やベトナムで悲痛な戦争を経験しているアメリカにしてみれば、第二次大戦はもはや風化し、ノスタルジーとして語るべき対象になっているのかもしれないと思わされる。
例えば、この映画と同時期に作られたスタンリー・キューブリックの『フルメタル・ジャケット』(87)などを見れば、二つの戦争に対する捉え方の違いや時の流れが浮き彫りになる。
また、この映画を青春映画として描いたマイク・ニコルズも、『卒業』(67)などでニューシネマの最先端をいっていた頃に比べると、アクが取れて、随分と丸くなったと感じさせられた。まさか彼がこんなに素直な懐古調の映画を撮る日がこようとは…という感じである。
ラストはジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(73)を思わせる。それは、同時にあの映画がいかに優れた青春懐古映画だったかの証明でもある。
またしてもクリストファー・ウォーケンが“異常な人”を演じていた。もはや彼が普通の人を演じるのは無理な話なのだろうか。何だか哀れである。
1988.9.30.みゆき座
この後、ウォーケンはコメディなども演じて役柄を広げ、現在もしたたかに活躍中。哀れだなんて、とんでもない間違いだった。(終)
ミステリーマニアの謎の大富豪トウェイン(トルーマン・カポーティ)は、世界中から有名な5人の探偵(とその助手)を大邸宅に招き、自らが仕掛けた殺人トリックの推理を競わせる。監督はロバート・ムーア。
ニール・サイモンの脚本の、パロディの押し売りには辟易させられるが、その半面、ジョセフ・L・マンキーウィッツの『探偵 スルース』(72)にも通じる推理ゲーム的な面白さがあった。この場合、多彩な出演者たちの芸達者ぶりも称えなければならないだろう。
また、読者側が、いつもだまされている推理作家たちをぎゃふんと言わせるようなどんでん返しを、ラストで見せたところも皮肉っぽくて面白かった。この読者側を作家のカポーティが演じているのも、皮肉が効いている。
1981.12.21.月曜ロードショー
『名探偵再登場』(78)
『名探偵登場』に続いて、あのニール・サイモンの脚本ということで、期待大であったのだが、今回は悪い方、つまりあまりにも凝り過ぎる彼の一面が大きく出てしまっていた。例によって、最初は笑っていられるのだが、段々と疲れてきてしまう。これは決して“笑い疲れ”というわけではなくて、映画についていけないもどかしさから生じる疲れなのである。
全編が、『カサブランカ』(42)あり、『マルタの鷹』(41)ありと、パロディの連続。話もあっちに行ったりこっちに来たりで要領を得ない。加えて、登場人物があまりにもごちゃごちゃし過ぎて整理不能。全てがごちゃまぜという感じなのだ。確かに、徹底したパロディや、出演者たちの演技に笑わされはするのだが、やり過ぎの感は否めない。
また、ダンディズムを茶化して描くという点でも、同じく『カサブランカ』をパロディにしたウディ・アレン+ハーバート・ロスの『ボギー!俺も男だ』(72)の方が遥かに良かったと思う。
あちらは、もてない男としての主人公のコンプレックスを、『カサブランカ』のハンフリー・ボガートのカッコよさと対比的に描いていたから、現実のもの悲しさが感じられたのだが、この映画のピーター・フォーク演じる主人公は、ボギーばりにかっこよくて、もてるのである。これではパロディにはならないではないか。
1982.6.7.月曜ロードショー
どちらもテレビの「月曜ロードショー」で見たので、荻昌弘さんの解説が面白かったことを覚えている。
『昔みたい』(80)(1982.2.7.銀座文化)
何の気なしに映画館に入って見た映画。ところが、これが意外にいい映画で、見終わった後は、ちょっと得をしたような、いい気分になって映画館から出てくる…なんてことは最近少なくなっている。それは映画を選んで見るようになったからだが、映画なら何でもいいと思って3本立てを見ていた頃は、そんな掘り出し物をよく見付けたものだった。この映画は、全く期待していなかったこともあるが、久しぶりにそんな気分を味わせてくれた。
検事(チャールズ・グローディン)と再婚した女性弁護士(ゴールディ・ホーン)が前夫(チェビー・チェイス)の弁護をすることになるというコメディ映画で、監督はジェイ・サンドリッチ。
ニール・サイモンの脚本には、『グッバイガール』(77)で大いに喜ばされ、『第2章』(79)で期待を裏切られた、という思いがある。それ故、今日も初めのうちは、笑わされながらも、「相変わらずくさいセリフを使っているなあ」などと思い、さめた気分で見ていたのだが、いつの間にか彼の術中にはまって笑い転げていた。やはり笑いのツボを心得ている、ということなのだろうか。
というよりも、この映画の面白さはコメディエンヌとしてゴールディ・ホーンの存在感に寄るところが大きい。なぜなら、この映画は『グッバイガール』に比べれば遥かに出来は悪いはず。あの何とも言えないような温かさが見当たらず、ただの軽いタッチのコメディに終始しているからだ。それなのに見終わった後で気分がいいのは、これ、ひとえに彼女の魅力が際立っているからだと思うのだ。
ゴールディ・ホーンの全盛期の一本。「昔みたい」を、英語では「SEEMS LIKE OLD TIMES」と言うことを、この映画で覚えた。
『第2章』(79)(1981.2.16.テアトル新宿.併映は『オール・ザット・ジャズ』)
ニール・サイモンが、自身とマーシャ・メイソンとの再婚にまつわる話を基に書いたといわれる、お得意のハートウォーム・コメディだが、『グッバイガール』(77)には遠く及ばなかった。監督はロバート・ムーア。
以前、『シンデレラ・リバティー』(73)でいい味を出したジェームズ・カーンとメイスンが再共演。カーンは珍しく渋い演技を見せ、メイスンはまたもいい女ぶりを発揮してはいるのだが、どうもカーンが演じたジョンの性格がいただけない。
亡くなった先妻が忘れられず、精神不安定気味で、再婚したジェニー(メイスン)に当たり散らす始末。それならなぜあんなにしつこく電話してジェニーを自分のものにしたのか…。弱輩のオレには何とも理解し難い。
まあ、それを必死に耐えるジェニーを描くことによって、彼女のいい女っぷりが一層引き立つと言えないこともないのだが…。ラストも『グッバイガール』のように、楽しい気分で見終われるという域には達していない。あれ?と思っているうちに終わってしまった感じがした。しかし、アメリカの中年は若いですなあ。40を過ぎてこれだけの恋愛ができるのだから、などと妙なところで感心させられた。
【今の一言】と、生意気にも二十歳そこそこの若い自分は書いている…。この映画の夫婦の年を越えてしまった今の自分から見れば隔世の感がある。
劇作家、脚本家のニール・サイモンが亡くなった。作劇やセリフのうまさはウディ・アレン、パロディのしつこさはメル・ブルックスに共通するところがあると思ったら、3人ともユダヤ系だった。サイモンが大好きな三谷幸喜が、旗揚げした劇団名を、サイモンの代表作にちなんで「(東京)サンシャイン・ボーイズ」と付けたのは有名な話だ。
サイモンが脚本を書いた映画に関するメモがいつくか残っていた。
『グッバイガール』(77)(1980.4.15.三軒茶屋映画.併映は『新・明日に向って撃て!』)
マンハッタンを舞台に、貧乏役者(リチャード・ドレイファス)と子連れのダンサー(マーシャ・メイスン)が結ばれるまでをコメディ・タッチで描く。監督はハーバート・ロス。
ドレイファスとメイスンが出色の演技を見せる。会話劇と言ってもいいぐらい2人の会話がストーリーの中心になっている。娘役の子役(クイン・カミングス)も憎らしいほどうまくて、2人に花を添える。とにかく、笑わせてくれたり、ほのぼのとさせてくれたり、ホロっとさせてくれたりと、ただの湿っぽい恋愛映画になっていないところがいい。
「昨日のことは忘れてほしいの」「だめだよ。もう日記に書いちゃったもん」。これは2人が初めて一夜を共にした翌朝のセリフだが、これに代表されるように、ニール・サイモンの脚本がとにかく素晴らしいのだ。
音楽も、デビッド・ゲイツが歌うテーマ曲を、デーブ・グルーシンがうまくアレンジして効果的に使っている。今問題になっている日本車のセールス場面が傑作だった。
テーマ曲が絶妙なタイミングで流れるラストシーン。40年たった今でも大好きな映画だ。
https://www.youtube.com/watch?v=A1pIlm8ybWA
スティーブ・マックィーンが、西部開拓時代の末期に勇名をはせた実在のガンマン、トム・ホーンを演じた西部劇をシネフィルWOWOWで再見。特集「“男が惚れる男” スティーヴ・マックィーン」の一環とのこと。
この映画はトムの武勇伝はいっさい描かず、ワイオミングの牧場主コーブル(リチャード・ファンズワース)に雇われ、牛泥棒退治を始めたトムの姿を描く。だが、彼を煙たく思った他の牧場主たちの工作によって、少年殺しの罪を着せられ、最後は絞首刑にされるという何とも暗い話になっている。
公開時は、撮影中、すでにがんに侵されていたというマックィーンのやつれた姿を見せられたばかりでなく、時代に取り残され、全てを失うトムの寂しい心情が、何だかマックィーン自身のそれとも重なる気がして、見終わってつらさしか残らなかった。従って、自分の中では長い間“封印”してきた映画だった。当時は、少しは明るい『ハンター』(80)が遺作になって多少は救われたと思ったものだ。
ところが、久しぶりに見てみたら、思いのほか悪くないと感じた。それはマックィーンの存在が、もはや生々しいものではなくなってしまったからなのだろう。また『ハンター』を陽、この『トム・ホーン』を陰とすると、どちらも当時のマックィーンの等身大の投影だったのか、という気もしてきた。
ファンズワースをはじめ、ビリー・グリーン・ブッシュ、スリム・ピケンズ、エリシャ・クック、ジェフリー・ルイスといった脇役たちの姿も懐かしかった。
「All About おすすめ映画」『ハンター』↓
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4457863a43984a43a30d50ef1ae09aa6
「名画投球術」No4.「男もほれるカッコいい男が観たい」スティーブ・マックィーン↓
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/c2d19a8408e75870e3711cd9305ab295
『I AM スティーヴ・マックイーン』↓
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/2484ab1dc21520e1bf2ac3356c9fdf8d
『映画の森』と題したコラムページに「8月の映画」として5本を紹介。
独断と偏見による五つ星満点で評価した。
ラインアップは
ヒーローもつらいよ『インクレディブル・ファミリー』☆☆☆
トム・クルーズのアクションに☆一つ追加『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』☆☆☆☆
メンバーは全て女性の“オーシャンズ”『オーシャンズ8』☆☆☆
ヒットミュージカルの10年ぶりの続編『マンマ・ミーア!ヒア・ウィー・ゴー』☆☆
伸縮自在のアクションが見どころ『アントマン&ワスプ』☆☆
クリックすると拡大します↓
WEB版はこちら↓
https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2018-08-29_1880924/
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
良くも悪くも“劇映画”になっている
『検察側の罪人』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1161362