『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』とは兄弟映画か
思い膵臓病を患う高校生の桜良(浜辺美波)と、彼女の秘密を唯一人知ったクラスメートの「僕」(北村匠海)との、友情とも恋愛ともつかぬ不思議な関係を、12年後に教師になった「僕」(小栗旬)が回想する。
脚本の吉田智子は『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(16)でも、現在と過去を交錯させたが、今回も原作にはない“12年後”を描くことで、切なさを増幅させた。
加えて、同作の三木孝浩監督のアシスタントを務めた月川翔が本作を監督していることもあり、両作は兄弟のような映画になった。何とも物騒なタイトルだが、過度な難病ものではなく、切ない青春ドラマとして描いたところに好感が持てる。
ポイントは、岩井俊二の『Love Letter』(95)にも似て、図書室という不思議な空間を利用したところか。サン=テグジュペリの『星の王子様』からの引用も印象的だ。
『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』(17)(2017.6.28.東宝東和試写室)
あくまでも新シリーズの序章
2000年の眠りから目覚め、人類への復讐を開始した古代エジプトの王女と、飛行機事故による死からよみがえり、世界を救うべく立ち上がった男の戦いを描く。
マーベルやDCコミックのシリーズに対抗して、ユニバーサルがクラシックモンスターを集結させる“ダーク・ユニバース”を立ち上げた。その巻頭を飾るのがトム・クルーズ主演の本作だ。
オリジナルのボリス・カーロフ主演の『ミイラ再生』(32)は、生まれ変わりによる、時を超えた愛を描いた一種の悲恋物だったが、本作は、どちらかと言えば2度目のリメーク作『ハムナプトラ 失われた砂漠の都』(99)の設定に近いアドベンチャーアクションになっている。
とは言え、本作はあくまでも新シリーズの序章に過ぎない。ユニバーサルのクラシックモンスター映画のファンとしては、今後、ジョニー・デップの『透明人間』、ハビエル・バルデムの『フランケンシュタイン』、ラッセル・クロウの『ジキルとハイド』が、トムの演じるキャラクターとどう絡んでくるのかが気になるところ。
『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/15cb360d191296f137e59b18d777fbbf
ユニバーサルホラー大会
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/537f535374dbf14597bfc831484fc171
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
無性にハンバーガーが食べたくなる?
『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1118564
肝臓がんを患いながら作家活動を続けた稲見一良の遺稿短編集。
表題作は、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』のミシシッピー川を千葉の花見川になぞらえた少年の冒険譚。『セント・メリーのリボン』所収の幻想譚「花見川の要塞」と通じるものがある。
「オクラホマ・キッド」の主人公は西部劇好きの孤独な少年。彼にただで映画を見せてやる気のいい映画館主兄弟、そして同好の士である老作家との奇妙な友情と冒険が描かれる。タイトルはジェームス・キャグニー主演の同名西部劇(32)から取られている。
「栄光何するものぞ」の主人公は八百長嫌いのボクサー。彼はキャグニーがボクサーを演じた『栄光の都』(40)が大好きなのだが、彼がピンチに陥ると、何とキャグニーが現れて彼を救うのだ。タイトルは、ジョン・フォード監督、キャグニー主演の同名映画(52)から。
「廣野」には、主人公がジョン・ウェインの遺作『ラスト・シューティスト』(76)について語る一節があるが、これはウェインと同じくがんを患った筆者自身の思いが反映されているのだろう。最後は、ウェインのような親父が対立していた息子のピンチを救うという面白い落ちがつく。
どれも少年や若者の目線を中心に、現実と非現実が交錯する一種の大人向けの童話、寓話とも呼べるものだが、ニヒルで乾いた筆致が特徴的。いわゆるハードボイルドってやつだ。筆者の映画や銃に関するマニアックで独特な視点が印象に残った。
朝ドラの「ひよっこ」で、ビートルズ来日時の騒ぎが楽しく描かれていたので、あの時代を生で体験した“本物のビートルズファン”が書いたものを読みたいと思っていた。そんな折、偶然、ブックオフで見つけたのがこの本だった。
ビートルズ来日時の1966年。主人公の14歳の少女が住む小さな田舎町には、ビートルズのファンは彼女一人しかいなかった。そこにビートルズファンの少女が東京から転校してきて同級生となるが…。
「わたし=平山喜久子」と家族(父と姉)、町の大人たち、クラスメートとの交流を描きながら“あの時代”の一断片を再現している。
筆者の岩瀬成子さんは山口県出身で高名な児童文学者らしい。オレよりも10歳年上だから、恐らく主人公の喜久子は彼女の分身なのだろう。
60年代後半の少女の物語(特に心象風景やディテール)としては、北村薫の『スキップ』をほうふつとさせるところもあるが、少女(女)の目、あるいは地方から見た、感じた、聴いたビートルズという視点が新鮮だった。
例えば、こんな一節があった。
「オール・マイ・ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろんなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。
夕飯のあと、台所でラジオを聴きながら茶碗を洗っていた。「シー・ラヴズ・ユー」が流れはじめても、しばらく茶碗をくるくる動かしながら聴いていた。それから、急に体のまんなかに穴をあけられたみたいな気がして、茶碗を掴んだまま顔をラジオに向けた。目の前を遮っていたものが、がしゃがしゃと壊れていくような気がした。
映画がはじまり「ア・ハード・デイス・ナイト」の最初のフレーズが響き渡ったとたんに、わたしはもう泣いていた。目の前でビートルズが動いていた。走っていた。髪を揺らしながら、こっちに向って走ってくる。
こういう感覚は男には書けない。
そして、喜久子は「~誰よりも、コンサートにはわたしがいちばん行きたいのです。~きっと日本に来てください。きっとですよ。おねがいします」と願い、ある行動に出るが、残念ながらコンサートには行けない。
「ひよっこ」でも描かれていたが、結局一番見たかった人たちが見られなかったのだ、という矛盾や不条理を感じて切なくなる。
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
名作ボクシング映画の系譜に連なる
『ビニー/信じる男』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1117779
文藝春秋編の『高倉健 Ken Takakura 1956-2014』を読了。
死後、その存在が明らかになった“養女”の手記、対談やインタビューの採録、著名人が語る秘話など多彩な内容だが、中でも、沢木耕太郎の「深い海の底に-高倉健さんの死」と、鄧文兵の「高倉健はなぜ中国で『熱烈歓迎』されたのか」が出色だった。
ジョン・ウェインは生前「私はずっとジョン・ウェインを見事に演じてきた。そうだろ?」と言ったらしいが、この本を読むと、きっと健さんも「高倉健を見事に演じてきた」のだろうと思わずにはいられない。
山田洋次監督の「日本人は、高倉健という典型的人間像を持っている。それを作り出した健さんは、自分自身の人生と人格もそれに重ねてしまった。そんな俳優は滅多にいない」という言葉が言い得て妙だと思う。
健さんについては『任侠映画のスターたち』という本でいろいろと書かせてもらったことが思い出に残っている。
当ブログの健さん関連の記事は↓
「健さんが亡くなった」
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d2a9bbb95c7861495f281d4d5e68e53e
健さんのパロディー『小惑星帯(アステロイド)遊侠伝』『ブラック・レイン』
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/6f4a06115c4de004814e0c49d04a595a
「健さんに続いて今度は文太が…」
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/b609c8badd47cd309098b86d6343b8b9
遊び心は楽しいが、全体的には締まらない
ザ・シネマ 今週の「シネマ・ウエスタン」は、『キャット・バルー』(65)。後にロジェ・バディムが開花させたジェーン・フォンダの色っぽさの萌芽が見られるコメディ西部劇だ。
土地を巡って、開発会社に牧場主の父(ジョン・マーレー)を殺されたキャサリン・バルー(ジェーン)。復讐を誓った彼女は、仲間と共に開発会社の給料を乗せた列車への強盗を企てる。やがてキャサリンは“キャット”・バルーと呼ばれる無法者として名をはせるが…。
監督はテレビ出身のエリオット・シルバースタイン。バンジョー片手に歌いながら、狂言回し的な役割を果たすナット・キング・コールとスタッビー・ケイ、サイレント映画を意識したようなアクションシーン、ボリビアで死んだはずのブッチ・キャシディが、落ちぶれた酒場のおやじ(アーサー・ハニカット)として登場するなど、西部劇に関する遊びをいろいろと盛り込んではいるのだが、全体的には締まらない映画という印象は今回も変わらなかった。
ところで、キャサリンに雇われた飲んだくれのガンマンと開発会社に雇われた凄腕のガンマン(実は双子の兄弟)の二役を演じたリー・マービンがアカデミー賞を獲得している。確かにこの二役は、悪役専門からコミカルな演技にも冴えを見せ始めた、当時の彼には打って付けの役だったと言えないこともないが、主演男優賞を取るほどの名演だったかと考えると、いささか疑問が残る。
恐らく、この年(65年度)は他の候補者がリチャード・バートン『寒い国から帰ったスパイ』、ローレンス・オリビエ『オセロ』、オスカー・ウェルナー『愚か者の船』、ロッド・スタイガー『質屋』という渋い顔ぶれだったことも影響したのだろう。
というわけで、改めて、アカデミー賞は酔っ払いの役に甘い上に、運やめぐり合わせに左右されるものだと感じさせられた。
ちなみに、マービンの受賞スピーチは「この賞の半分はあいつ(馬)のものだ」。アクションシーンで頑張った馬を讃えているのが面白いが、本人もまさか受賞するとは思っていなかったので、思わずこんなセリフが出たのかもしれない。
ジェーン・フォンダのプロフィールは↓
リー・マービンのプロフィールは↓
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
精神や技術の継承をテーマにした
『カーズ/クロスロード』
詳細はこちら↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1117003