『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
悪魔との取引についての物語
『ドリームホーム 99%を操る男たち』
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『どですかでん』(70)
表裏一体の悲劇と喜劇
黒澤明監督が初めて撮ったカラー映画です。若き日に画家を目指していた黒澤は、カラーフィルムの色に満足せず、モノクロで映画を撮り続けてきました。その黒澤がカラー映画を撮る。しかもスペクタクル大作ではなく、山本周五郎の短編連作集『季節のない街』を原作に、市井の人々の姿を描くというのですからファンは皆驚きました。
この映画は、「どですかでん」という擬声を発しながら見えない電車を運転する“電車ばか”の六ちゃん(頭師佳孝)を狂言回しに、謎のスラム街に暮らすさまざまな人々が登場します。黒澤は、人生に敗れた末にこの街にたどり着いた人々を温かいまなざしで描き、撮影終了時には「もう彼らに会えなくなるのかと思うととても淋しかった」と語りました。こうした思いは、周五郎の原作によるものというよりも、この後自殺未遂をする黒澤自身の当時の心情が反映されていたのかもしれません。
よく「黒澤映画は強者ばかりを描いている」と言われますが、それは誤解です。この映画や『生きる』(52)や『どん底』(57)を見れば、黒澤が弱者の中に、表裏一体の悲劇と喜劇を見いだし、群像劇として描いていることが分かるはずです。黒澤が子供の絵のような大胆な色使いで現出させた幻想的なシーンの数々、喜劇畑の伴淳三郎、三波伸介、藤原釜足、渡辺篤らの名演、そして、スラム街に住む人々を応援するかのような、武満徹の美しくも力強い音楽もこの映画を忘れ難いものにしています。
ピストルと長ドスをボールとバットに持ち替えて
やくざ同士の野球大会を描いた岡本喜八監督のスポーツコメディ映画です。昭和25年の北九州。やくざの縄張り争いに手を焼いた警察署長が、進駐軍の肝いりもあり、野球で民主的に決着を着けるように提案します。古株の岡源組がダイナマイツを、新興の橋傳組がカンニバルズを結成して覇を競います。
ちなみに映画のタイトルは岡源組の「ダイナマイトー!」「どんどーん!」という気合い入れの掛け声から取られています。彼らは表向きは「野球にはルールがある」と平和裏に準備を進めることを誓いますが、もちろんルールなどはまったく無視。勢いのある橋傳組は金にものを言わせて全国から野球の得意な渡世人を集めます。その中には、指を詰めたために魔球を投げることができる銀次(北大路欣也)もいました。
一方、加助(菅原文太)を筆頭に、野球に関しては素人ばかりの岡源組は明らかに分が悪い。そこで戦争で片脚を失くした元プロ野球のピッチャー五味(フランキー堺)をコーチに雇います。『仁義なき戦い』シリーズを支えた俳優たちが、ピストルと長ドスをボールとバットに持ち替えて野球に興じる姿が笑えます。
迎えた決勝戦、岡源組は“一人一殺”の殺人野球に活路を求め バットの中に凶器を仕込み、スパイクの金具を研ぎ澄まします。気に食わない奴にはボールをぶつけて“退場”させ、なにかといえば乱闘を繰り返す両軍…。
まるで漫画のような試合展開ですが、この映画は、野球を戦後の平和の象徴として捉えています。それは、銀次をまねて魔球を投げるために指を詰めた若者(石橋正次)を、五味が「戦争でもなんでもないときに自分の大事な指を詰めるなんて大馬鹿野郎だ」と一喝する場面や、試合後、沖縄の強制労働に送られた彼らが、そこでも野球をするラストシーンに象徴されます。
岡本監督は、この映画の後、学徒出陣で特攻隊となって戦火に散った六大学野球の選手たちを描いた『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』(79)を撮っています。この二作を対で見ると、戦争の前後という時代の変化を、野球を通して見ることができます。
MGMミュージカル名場面のハイライト集
この映画はMGM社が創立50周年を記念して、1929~58年にかけて製作したミュージカルの中から、約200本の映画の名場面をアンソロジーにしたものです。まだビデオもDVDもなかった時代に、この映画は黄金期のミュージカル映画を伝承する役割を果たしました。かつてMGMは“星の数よりも多いスター”をキャッチフレーズにしていただけに約120人ものスターが登場します。
名場面の合間にはフランク・シナトラやエリザベス・テイラーら、当時存命だった11人のスターが思い出を語ります。中でも、フレッド・アステアがジーン・ケリーを、逆にケリーがアステアを、ライザ・ミネリが母のジュディ・ガーランドを紹介するところは見ものです。
私はこの映画のおかげで、アステアとジンジャー・ロジャースを、ケリーを、そして水中レビューのエスター・ウィリアムズなどを知り、ひいてはミュージカル映画の歴史の一端を知ることができました。
今は名場面のそれぞれはYou Tubeなどで手軽に見られるかもしれません。しかし、この映画の存在価値は名場面を適切に配置して編集し、スターの語りを融合させ、ミュージカル映画の歴史を語った点にあります。ミュージカル映画初心者にはこれ以上の“入門書”はないでしょう。
私のお気に入りの名場面は、『雨に唄えば』(54)のどしゃぶりの雨の中でジーン・ケリーが歌い踊るシーンと、ドナルド・オコナーが文字通り体を張って笑わせる「メイク・エム・ラフ」、そして『ショウ・ボート』(51)でウィリアム・ウォーフィールドが朗々と歌い上げる「オール・マン・リバー」です。
あなたもこの映画を見て、自分だけのお気に入りの名場面を見つけてください。続編として『PART2』(77)『PART3』(94)も製作されているのでこちらもぜひどうぞ。
『SF/ボディスナッチャー』(78)
人間不信の恐怖
1955年に発表されたジャック・フィニイの小説『盗まれた街』の2度目の映画化です。最初の映画化となったドン・シーゲル監督の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56)には、赤狩り、冷戦といった当時の世相が巧みに取り入れられ、宇宙生命体によるボディスナッチ=“人体乗っ取り”の形を借りて、マスヒステリーや人間不信(家族や隣人が外見はそのままで別人になる)の恐怖が描かれていました。
このフィリップ・カウフマンが監督したリメーク版になると、そうした設定に加えて、70年代後半という時代を象徴する環境問題が絡められています。登場する俳優の中で一番不気味な感じがするドナルド・サザーランドに、最後までボディスナッチに抗う男を演じさせた点が逆説的で面白いです。公開当時は、人間と犬が合体して複製されてしまった“人面犬”の登場も話題になりました。
この手の映画や吸血鬼ものなどを見ると「迷わず、逆らわずに同種になった方がむしろ幸福なのではないのか」とも思いますが、実はそう思わされることの方が怖いのかもしれません。
この映画の後も、同じ原作を使って、アベル・フェラーラ監督の『ボディ・スナッチャーズ』(93)とオリバー・ヒルシュビーゲル監督の『インベージョン』(07)が作られています。この原作が何度も映画化されるのは、時代や背景がどう変化しようとも、一番怖いのは人間不信だという真理が根本に描かれているからでしょう。
わずかながらも期待したのだが…
戦国時代にタイムスリップした高校生のサブロー(小栗旬)は、自分と瓜二つの織田信長(小栗二役)と出会う。そして病弱で家を捨てた信長に代わって、信長として生きることになる。
『戦国自衛隊』(79)の個人版ともいうべき、歴史に無知な現代の高校生が信長となり、戦国時代で活動したらどうなるか…という発想は、自分が信長になった気分でプレーする歴史シミュレーションゲーム的なもの。だが、そこで大事になるのは戦国時代の基本的な約束事やディテールがしっかりと設定されているかということ。タイムスリップものならばなおさら行った先の時代描写が大事になる。
その点、この映画の作り方はひどいものだった。登場人物の言葉遣いやキャラクター設定も含めて、フィクションと歴史的な事実を中途半端に混ぜ合わせるからおかしなことになる。この上ない違和感を抱かされ、感情移入ができなかった。これは、原作漫画もテレビドラマも全く見ていない自分ような者が、一本の映画として見た故に抱いた違和感なのか。
その上、映像的にはスローモーションを多用し過ぎるからテンポがずれること甚だしい。これは最近の若い監督たちの悪しき傾向だと思う。小栗の二役もあまり生きてはいない。新種のタイムスリップものとして、わずかながらも期待したこちらがばかだった。
『カプリコン・1』(77)
発想が秀逸なSF政治サスペンス
アポロ11号の月面着陸はうそだったのではといううわさがありました。この映画はそこから発想を得て作られたと言われています。監督・脚本は才人ピーター・ハイアムズ。まさにアイデア賞ものの映画です。
火星探査ロケット、カプリコン号が打ち上げ寸前に発射中止に。3人の宇宙飛行士(ジェームズ・ブローリン、サム・ウォーターストン、OJ・シンプソン)は身柄を拘束され、砂漠の基地に移送されます。そこには火星の着陸予定地がセットで作られており、3人はそこでテレビ中継用の芝居をすることを要求されます。
その間にロケットは無人のまま打ち上げられます。宇宙局は、カプリコン号の打ち上げが失敗すると宇宙計画がとん挫すると考え、苦肉の策としてこの計画を実行しました。ところが、火星からの帰途、無人のロケットは遭難してしまいます。つまり3人は生きながら死んだことになったわけです。
ここからは身の危険を感じて基地から脱出した3人と当局が放った追っ手との追跡劇になります。最後に残った一人(ブローリン)の逃亡を、取材中に事実を知った新聞記者(エリオット・グールド)が手助けします。
彼らが乗った旧式のプロペラ機が最新鋭の軍事ヘリコプターを負かす場面は見ものです。そして衝撃のラストシーンが用意されています。
SFの形を借りたポリティカル(政治)サスペンスとして忘れ難い作品です。ジェリー・ゴールドスミスの音楽も耳に残ります。
元イーグルスのグレン・フライが亡くなった。まだ67歳…。ほぼリアルタイムで聴いてきた人だけにショックは大きい。イーグルス時代はドン・ヘンリーのリードボーカル曲群の陰に隠れがちだったが、各アルバムに必ず1曲はグレンの光る曲が入っていた。
『イーグルス・ファースト=Eagles』(72)
「テイク・イット・イージー=Take It Easy」ジャクソン・ブラウンとの共作。ブラウンの『フォー・エヴリマン』にも入っている曲だが、こちらはカントリー調で、バーニー・リードンが奏でるバンジョーがいい味を出している。イーグルスは最初はカントリー色が強いバンドというイメージだった。
『ならず者=Desperado』(73)
西部開拓時代のならず者をテーマにしたコンセプト・アルバムでは「テキーラ・サンライズ=Tequila Sunrise」。
『オン・ザ・ボーダー=On The Border(74)
「過ぎた事=Already Gone」
『呪われた夜=One Of These Nights(75)
「いつわりの瞳=Lyin' Eyes」コーラスが美しい名曲。
『ホテル・カリフォルニア=Hotel California』(76)
「ニュー・キッド・イン・タウン=New Kid In Town」“新参者”ということで、引っ越してからしばらくこの曲を留守電のBGMに入れていたことも。グレンの曲ではこれが一番好き。
『ロング・ラン=The Long Run』(79)
「ハートエイク・トゥナイト=Heartache Tonight」ロックンロール調だが、詩は当時のグレンやドンの心境を反映したような曲。偶然ドジャースタジアムで耳にして、あらためていい曲だなあと思った覚えがある。
イーグルス解散後、ソロとなって最も精彩を放ったのはグレンだった。時節柄デビッド・サンボーンらのサックスをフィーチャーした曲が多い。
『ノー・ファン・アラウド=No Fun Aloud』(82)
軽快な「サムバディ=I Found Somebody」とメロウな「恋人=The One You Love」。
『オールナイター=The Allnighter』(84)
「セクシー・ガール=Sexy Girl」「ヒート・イズ・オン=The Heat Is On」『ビバリーヒルズ・コップ』のテーマ曲としても有名に。
「ユー・ビロング・トゥ・ザ・シティ=You Belong To The City」(85)
TVシリーズ『マイアミ・バイス』の挿入歌。グレンは俳優として出演もしたが演技の方は…。
『ソウル・サーチン=Soul Searchin'』(88)
「トゥルー・ラブ=True Love」「ソウル・サーチン=Soul Searchin'」ロックンロールからバラードまでを網羅したグレンの最高傑作アルバム。
「パート・オブ・ミー パート・オブ・ユー=Part Of Me, Part Of You」(91)
(『テルマ&ルイーズ』の挿入歌)
『ストレンジ・ウェザー=Strange Weather』(92)
今となってはイーグルスのライブを見られたことが貴重な体験に。1995年11月の「Hell Freezes Over Tour」は友人たちと横浜アリーナと東京ドームで。中にはすでに亡くなった友も…。確かこの時もグレンの体調が心配されていた覚えがある。
2004年10月31日の「Farewell I Tour」は妻と共に東京ドームで。グレンが「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット=Take It to the Limit」を歌う前に、「僕のカードの残高はリミットいっぱい。これはランディ・マイズナーと作った曲だよ」と語っていたが、グレンと大ゲンカをしてランディがイーグルスを去ったことを思うと何だか複雑な気がした。今度はランディも呼んであげなよ、なんて思ったものだが、もはやそれも叶わぬことになってしまった。
『ひまわり』(70)(1975.11.8.名画座ミラノ)
喜劇から悲劇への変転が見事
この映画は、イタリア、ナポリを舞台に、第二次世界大戦によって引き裂かれた一組の夫婦の悲劇を描いています。ビットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニという名トリオは、この映画の前に『昨日・今日・明日』(63)『あゝ結婚』(64)という艶笑コメディの傑作を生み出しました。
この映画も、前半はマストロヤンニとローレンが演じるアントニオとジョバンナ夫妻のやり取りが明るくコミカルに展開され、お得意のパターンかと思わせます。ところが、アントニオがロシア戦線に出征し、行方不明となる中盤は一転して悲劇となります。この喜劇から悲劇への変転が悲しみを倍加させます。
デ・シーカ監督は『靴みがき』(46)『自転車泥棒』(48)などでイタリアンネオリアリズムの先駆者として知られますが、その一方、コメディ映画も数多く手掛けた人。だからこそこうした芸当ができるのです。
ジョバンナは夫を捜しにロシア(現ウクライナ)に赴きますが、行き倒れて、一時記憶喪失となったアントニオは、命を救ってくれたマーシャ(リュドミラ・サベリエーワ)と一緒に暮らし、子まで生した仲になっていました。このマーシャがとてもいい人なんです。だからこそ夫を返してくれとは言えないジョバンナ。3人の関係を見ているとなんとも切なくなります。
絶望したジョバンナはアントニオの目の前で列車に飛び乗り、去っていきます。その時、ヘンリー・マンシーニ作曲のテーマ曲がまさに絶妙のタイミングで流れはじめて…。ずるいと思いながらも涙せずにはいられない名シーンです。そして、アントニオはジョバンナに会うためにイタリアに帰国するのですが…。
ローレンがイタリア女性の情の深さとたくましさを体現して見事です。彼らは誰も悪くない。悪いのは彼らの人生を狂わせた戦争なのだということを強烈に感じさせる恋愛メロドラマの傑作です。