田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

大谷翔平「50-50」達成

2024-09-20 20:58:46 | 名画と野球のコラボ

 ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が、敵地ローンデポ・パークでのマイアミ・マーリンズ戦で、3打席連発を含む6安打10打点2盗塁を記録し、メジャー史上初のシーズン通算50本塁打、50盗塁の「50-50」を達成し、「51-51」まで記録を伸ばした。

これまでのドジャースの歴代シーズン本塁打記録は、
2001.ショーン・グリーン49本
2004.エイドリアン・ベルトレ48本
2019.コディ・ベリンジャー47本
1956.デューク・スナイダー43本
2000.ゲーリー・シェフィールド43本
加えて、1試合10打点はドジャースの球団記録。

 打点も120とし、05年に松井秀喜が記録した日本人MLBシーズン最多記録の116を塗り替えた。イチローがルーキーイヤーの01年に記録した56盗塁の更新も視野に入ってきた。

 ローンデポ・パークはWBCで優勝を決めた球場。最後の打席は内野手がピッチャーをやっていた。全然レベルが違うけど、ある意味、二刀流から二刀流が打ったのだから面白い。

 マーリンズの地元放送局「バリースポーツ・フロリダ」で実況を務めたポール・セベリーノのこんな言葉が素晴らしい。

 「私たちはもちろんマーリンズの野球をよく見る。毎晩、マーリンズの勝利を祈っている。ただ、同時に幸運にもこのシーンを見ることができた。スポーツのそばにいる私たちは、心からの野球ファンだ。そして、この男(大谷)が成し遂げたことを見ることができた。1年の大部分は(大谷を)遠くから見ることしかできない。しかし今週、そして今日はここで直接見られた。本当に全てが感動的だ」

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大谷翔平、40-40を達成

2024-08-24 22:50:35 | 名画と野球のコラボ

 ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平が、シーズン40本塁打40盗塁、いわゆる40-40を同日の試合で達成。しかもシーズン最速で、サヨナラ満塁ホームランというおまけ付き。いやはやまたしても漫画のようだ。

過去の達成者は
88.ホセ・カンセコ(オークランド・アスレチックス)42本塁打.40盗塁.
96.バリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)42本塁打.40盗塁.
98.アレックス・ロドリゲス(シアトル・マリナーズ)42本塁打.46盗塁.
06.アルフォンソ・ソリアーノ(ワシントン・ナショナルズ)46本塁打.41盗塁.
23.ロナルド・アクーニャ・ジュニア(アトランタ・ブレーブス)41本塁打.73盗塁.

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甲子園球場100年

2024-07-09 14:00:44 | 名画と野球のコラボ

 阪神甲子園球場が8月1日に誕生100年を迎える。数々の高校野球の試合や巨人×阪神の名勝負が思い浮かぶ。

 その甲子園球場が登場する映画は、長嶋一茂が覆面をつけた阪神のリリーフ投手を演じた『ミスター・ルーキー』(02)、戦前の夏の甲子園での嘉義農林の活躍を描いた台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(14)。これにはセットで再現された初代甲子園球場が登場する。ほかに、マスターズ甲子園を描いた『アゲイン 28年目の甲子園』(15)もある。最近ではドラマ「下剋上球児」(23)のラストで登場したが、こうして並べてみると意外と少ない。

 漫画ではやはり『男どアホウ甲子園』『ドカベン』『大甲子園』などで水島新司が描いた甲子園がダントツ。『巨人の星』の川崎のぼるの甲子園の絵は結構適当だったような気がする。


『アゲイン 28年目の甲子園』『KANO~1931海の向こうの甲子園~』
野球を媒介に人と人とのつながりの大切さを描く
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/33b93ca35177b1566d1b601d3f91785e

「野球狂の詩」水島新司
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a8462128a24b0fdb39f95e4653e14df5

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「セイ・ヘイ」「ザ・キャッチ」史上最強の万能選手ウィリー・メイズ

2024-06-19 13:44:15 | 名画と野球のコラボ

 伝説の、史上最強の万能選手ウィリー・メイズ(ニューヨーク→サンフランシスコ・ジャイアンツ、ニューヨーク・メッツ)の現役時代は、残念なことにほぼ見ていない。

 よって彼に関するイメージは後付けの映像や読み物によるが、それらは走攻守のどれもが強烈で、同時代に活躍したニューヨーク・ヤンキースのミッキー・マントルと共に、リアルタイムでプレーを見たかったと思う選手の一人だった。

 昔、1954年のワールドシリーズでメイズが披露した「ザ・キャッチ」のオーロラのプラモデルを作ったことがある。かっこいい。

 人の名前を覚えるのが苦手だったメイズは、誰かに呼びかける時は「Say Hey!! (おいっ、あんた)」が常。いつしか、「Say Hey Kid」がメイズのニックネームになった。その言葉がタイ・カッブとジョー・ディマジオと一緒に歌詞の中に出てくるのが、ジョン・フォガティの「センターフィールド」という曲。

 映画『メジャーリーグ』(89)には、メイズとボブ・ヘイズ(陸上とアメフトのスター)にあやかったウィリー・メイズ・ヘイズ(ウェズリー・スナイプス)という名の選手がいた。このように、ウィリー・メイズは紛れもなく野球のアイコンの一人なのだ。


「センターフィールド」ジョン・フォガティ
https://www.youtube.com/watch?v=Xq3hEMUeBGQ

Willie Mays the Catch
https://www.youtube.com/watch?v=7dK6zPbkFnE

Say Hey! Willie Mays
https://www.youtube.com/watch?v=5abB64ISJo8

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ダルビッシュ有が日米通算200勝を達成

2024-05-22 23:47:11 | 名画と野球のコラボ

 北海道日本ハムファイターズ、テキサス・レンジャース、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス、サンディエゴ・パドレスで勝ち星を重ね、ダルビッシュ有が日米通算200勝を達成した。野茂英雄、黒田博樹以来3人目の快挙。

 あの野村克也が著書『最強のエースは誰か?』の中で、「150キロ台後半のストレートを持ちながら、スライダー、カーブ、ツーシーム、カットボール、スプリット、チェンジアップといった七色の変化球を操り、その全てが一級品。ストレート、変化球、どのボールでもストライクが取れる。加えて、野球頭脳も優秀で、試合中に状況に合わせて投球を変えることができる。本格派にして技巧派。過去にこのような投手は存在しなかった。投手としての能力は、ほぼ完ぺきに近い」と絶賛している。通好みというか、同業者の間での評価が特に高い。

 若い頃はいろいろと問題もあったが、今は“野球人格者”となった。スポーツが人を育てる典型。全て先発での200勝は立派の一言。見ていて楽しいピッチャーの一人だ。

 

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「ミュージックMLB」(NHK)

2024-03-28 22:41:10 | 名画と野球のコラボ

メジャーリーグのスタジアムで流れる曲の魅力に迫るミニ番組。

ニューヨーク・ヤンキース(ヤンキースタジアム)「ゴッド・ブレス・アメリカ」(アービング・バーリン)

 アメリカの第二の国家とも言われる曲。9.11同時多発テロ以後にヤンキースタジアムでも流されるようになったという。この曲が最も印象的に歌われるのが『ディア・ハンター』(78)だ。


サンフランシスコ・ジャイアンツ(オラクル・パーク)「ドント・ストップ・ビリーヴィン」(ジャーニー)

 同点もしくは劣勢で8回裏の攻撃を迎えると、ファンは逆転を信じてこの曲を合唱するらしい。ジャーニーのボーカルだったスティーブ・ペリーは大のジャイアンツファンで、2014年のポストシーズンには球場に現れてファンと一緒にこの曲を大合唱。その年ジャイアンツは見事ワールドチャンピオンに輝いた。


シカゴ・カブス(リグレー・フィールド)「ゴー・カブス・ゴー」(スティーブ・グッドマン)

 本拠地リグリー・フィールドでチームが勝つたびに流れるこの曲は、シカゴ生まれのシンガーソングライター、スティーブ・グッドマンが1984年に発表。この年カブスは39年ぶりのポストシーズン進出を果たしたが、20歳の頃から白血病との闘いを続けてきたグッドマンは、カブスが地区優勝を決める数日前に、36歳の若さでこの世を去った。今永昇太が入団会見の時に引用したことでも知られる。


ロサンゼルス・ドジャース(ドジャースタジアム)「アイ・ラブL.A.」(ランディ・ニューマン)
ニューヨーク・メッツ(シティ・フィールド)「ピアノマン」(ビリー・ジョエル)

 前者には「寒いくてジメジメしているからニューヨークは嫌いだ」という歌詞がある。対するビリーには、「マイアミビーチやハリウッドよりもニューヨークがいい」と歌う「ニューヨークの想い」や「さよならハリウッド」があるのも面白い。何だか巨人ファンと阪神ファンの言い争いみたいでおかしい。

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「サムライの魂を持つ男」

2024-01-07 21:16:42 | 名画と野球のコラボ

 【BS5局共同企画 テレビが伝える“プロ野球”】「サムライの魂を持つ男」という番組を見た。

 WBC日本代表の一員として活躍したセントルイス・カージナルスのラーズ・ヌートバーを中心に、さまざまなチームで活躍し、最後はロサンゼルス・エンゼルスで大谷翔平ともバッテリーを組んだカート・スズキら、日系人選手にスポットを当て、斎藤佑樹がリポートした。

 興味深かったのは、斎藤がカリフォルニア州フレズノを訪れ、"日系人野球の父"といわれる銭村健一郎の足跡をたどったシーン。銭村は、ベーブ・ルースとも親交があり、戦時中に入れられた強制収容所内に「ゼニムラ・フィールド」を作り、野球を通して収容所の人々に勇気を与えた人。彼の墓石には「The Dean of the Diamond(ダイヤモンドの主)」と彫られている。

 銭村のことは、後に広島カープの選手となった息子のハーヴェイ銭村(銭村健四)について書かれた、池井優の『ハロー、マニエル元気かい プロ野球外人選手列伝2』で知った。

 未見だが、銭村をモデルにした主人公を中村雅俊が演じた『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』(07)という映画があるようだ。見てみなくては。

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野茂英雄のその後

2023-12-20 07:05:21 | 名画と野球のコラボ

野茂、デビルレイズへ(2005.1.29.)

 久々にメジャーリーグの話題を。ロサンゼルス・ドジャースを解雇されて心配された野茂の移籍先がタンパベイ・デビルレイズに決まった。マイナー契約らしいが、きっとはい上がってくるだろう。それにしてもあくまでメジャーリーグにこだわる野茂は、やっぱり佐々木主浩や伊良部秀輝とは志が違う気がする。否ただ頑固なだけか。いずれにせよ、頑張れ野茂!

 井口資仁はホワイトソックス、中村紀洋はドジャース、友利結はレッドソックスにそれぞれ決まったらしい。井口も中村もいい選手ではあるが、バッティングにむらがあると思うのだが、大ざっぱなメジャーの方が、意外と彼らには合っているのかもしれないとも思う。


野茂、開幕メジャー入り(2005.3.31.)

 去年のメジャーリーグはオレにとっては最高のシーズンだった。イチローがなんと84年ぶりにジョージ・シスラーの持つシーズン最多安打の記録を破る過程をリアルタイムで見ることができたし(シアトルタイムズの記者たちが書いた記事を集約した『イチロー262―地元紙が伝えるメジャー新記録への軌跡』(イースト・プレス刊)は、それを伝える最良のテキストでありドキュメントだった)、70年代からのひいきチームであるレッドソックスがこれまた86年の時を超えてワールドチャンピオンに輝く瞬間も味わえたからだ。

 ただ一つ気がかりだったのは、日本人メジャーリーガーのパイオニアであるロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄の不調とそれに続く解雇だった。その野茂が今年はタンパベイ・デビルレイズとのマイナー契約で生き残りを賭けていたのだが、先ごろ開幕メジャー入りが決まったらしい。ひいき目にみてもそろそろ選手生活の黄昏が近づいてきた野茂だが、オープン戦絶好調のイチロー、そしてヤンキースの松井秀喜らと共に今年も見守っていきたいと思う。


野茂、日米通算200勝を達成(2005.6.17.)

 イチローの通算1000本安打に続いて、ようやく野茂英雄が日米通算200勝を達成した。振り返れば、今はなき近鉄バファローズを経て、渡米後は1995~98年のドジャース、98年のメッツ、99年のブリュワーズ、2000年のタイガース、01年のレッドソックス、02~04年が再びドジャース、で今年はデビルレイズと流転の日々。

 その間、両リーグにまたがる2度のノーヒット・ノーランと奪三振王、新人王、オールスターの先発という栄光がありながら、けがやスランプによるトレード、マイナー契約などの苦汁もなめている。

 だが野茂の真骨頂はそうした中から何度もはい上がってくるタフさだ。確かに全盛期に比べればトルネードのひねりも弱くなり、球速も、フォークの切れも落ちてはいる。だから、出来れば最後は優勝を狙えるチームに落ち着いて、ぜひワールドシリーズで投げてほしいと思う。


デビルレイズが野茂を解雇(2005.7.17.)

 野茂がタンパベイ・デビルレイズを解雇されたらしい。確かに今年は苦しい投球が続いていた。果たして彼と契約する新たなチームはあるのか…。投手事情が苦しいニューヨーク・ヤンキースあたりは? あるいはボストン・レッドソックスに復帰とか…。


野茂、ヤンキースとマイナー契約(2005.7.28.)

 タンパベイ・デビルレイズを解雇され、その去就が注目された野茂がニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。ついに野茂がピンストライプのユニフォームに袖を通す可能性が出てきたのだ。こうなれば松井秀喜とともに、ぜひワールドシリーズに進んでほしい。さて松井だが、メジャーデビューからの連続出場記録が424試合に達し、“ミスター・カブ”こと往年の名ショート、アーニー・バンクス(カブス)の記録に並んだ。まさに無事是名馬、立派なものだ。


野茂が引退を発表(2008.7.18.)

 野茂がついに引退を表明したという。白地にドジャーブルーのロゴのドジャースのユニフォームに身を包み、メジャーデビューしたのは95年だった。あれからもう10年以上もたつのか…。後に続いたイチローや松井を例に出すまでもなく、野茂がメジャーリーグで果たした役割はとてつもなく大きい。

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“ボールを持ち過ぎた男”ジョニー・ペスキー

2023-12-19 09:18:14 | 名画と野球のコラボ

“ボールを持ち過ぎた男”ジョニー・ペスキー(2004.10.30.)

 オレの名前かい、ジョニー・ペスキーっていうんだ。もう今年で85歳になるが、こう見えても昔はメジャーリーガーだったんだよ。あのテッド・ウィリアムスやボビー・ドーア、ドム・ディマジオたちと一緒にボストン・レッドソックスでプレーしたんだ。オレたち4人は特に気が合ったんだ。ホラ吹くなって、それじゃあちょっと昔話でもしようか。

 そう、あれはオレやテッドが戦争から帰ってきた1946年のこと。テッドが最後の4割打者になって、ドムの兄貴でニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオが56試合連続安打なんていうとてつもない記録を作った年さ。あれからもう60年もたつんだなあ。

 あの頃オレはショートを守っていたんだ。自分で言うのもなんだが、結構いい選手だったと思うよ。今年イチローに破られるまでルーキーから3年続けてのシーズン200安打以上っていう記録も持っていたんだ。

 引退してからはレッドソックスで監督やコーチもしたけど、ファンがオレのことで覚えているのは、残念ながら“ボールを持ち過ぎた男”としてだろうなあ。

 話はこうだ。ワールドシリーズの第7戦。相手はスタン・ミュージアルがいたセントルイス・カージナルス。勝った方がワールドチャンピオンになるっていう文字通りの大一番さ。だけどその大事な試合でオレはミスを犯してしまった。

 同点で迎えた8回裏カージナルスの攻撃、2塁にランナーを置いてヒットが出た。そこで外野からの返球を中継してホームに投げる時、ボールが手に付かず、長く持ち過ぎてしまったんだ。そのためにカージナルスに勝ち越し点をやってしまったのさ。で、結局ゲームに負けて、オレはファンから“ボールを持ち過ぎた男”というニックネームを頂戴した。

 もちろんあの時は、まさかこんなに長くレッドソックスがワールドシリーズで優勝できなくなるとは思っていなかったから、まあ次があるさぐらいの気持ちだったけどね。

 ところが、オレが監督やコーチをしていた時もチームは優勝できなかった。そのうちに“レッドソックスの優勝を見るまでオレは死ねないぞ”と思い始めた。思えばそれが後半生の生きる張り合いだったのかもしれないなあ。後に図らずもトンネルをしてシリーズの流れを変えてしまったビル・バックナーも同じような気持ちだったと思うよ。

 でも今回の優勝でオレもビルもひとまず“呪い”からは解放されたようだ。特にオレの場合は相手がカージナルスだったから、余計にうれしかったよ。生きていて本当によかった。正直言って、肩の荷がおりた気がするなあ。

 と、これはあくまで事実を基に、ぺスキーがこんな風に語ったら面白いと思って考えたフィクション。ところでぺスキー、ドム・ディマジオ、ドーア、そしてウィリアムスの友情を描いたデビッド・ハルバースタムの『鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情』(原題「チームメイト」)という本が以前から少々気になっていた。読んでみようかな。

【今の一言】ペスキーは2012年に92歳で亡くなった。


“バンビーノの呪い”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/8ae3d658efefad757a788d36154e46b5

“Bの恐怖”
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f07dfa665e2953579a305a42a5e79499

レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/15dc2fb6ed6053b4e2d33d766af2540e

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レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇 野茂ボストンに復帰か

2023-12-18 07:24:15 | 名画と野球のコラボ

レッドソックス、86年ぶりにワールドシリーズ制覇 野茂ボストンに復帰か(2004.10.29.)

 86年ぶり! ついにレッドソックスがやった!! それもストレート勝ちだ。長い呪縛が解ける時は案外こんな風にあっけないものかもしれない。オレが初めてテレビで見たワールドシリーズは、1975年のレッドソックス対レッズ。中でも第6戦のカールトン・フィスクのサヨナラホームランが忘れられない。

 だからオレにしてもここまで30年はかかっているわけだ。その間、野茂英雄やイチローや松井秀喜がメジャーに渡って、オレも随分浮気? をしたが、心の奥では今でもこのチームが一番好きだ。

 さて、まずはビル・バックナー良かったね。これで例のトンネルのシーンが流されることもあまりなくなるでしょう。本来あなたは名選手だったのだから。

 ペドロ・マルチネス、ひょっとしたらレッドソックスでの最後のシーズンになるかもしれないけど良かったね。ロジャー・クレメンスも野茂も、誰一人として成し得なかったレッドソックスのエースピッチャーとしてのワールドシリーズ制覇を遂に達成したね。

 その他、レッドソックスに在籍したすべてのスタッフ、選手たち、そして長く待ったファン諸氏、みんなおめでとう。ところで、ドジャースから戦力外を通告された野茂のレッドソックス復帰がささやかれている。なんとかもう一花咲かせてほしいものだが。

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