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たく「紅葉」に会う【JR九州多久駅 鉄卓のフォト・ウォーク2016-24】

2016-11-22 | JR九州ウォーキング
2016年11月20日(日)


(今日のマップ)

JR九州ウォーキング多久駅コースに参加。

佐賀駅で唐津行き乗換え、長崎本線の鍋島、久保田の各駅から唐津線に入り小城駅、東多久駅、中多久駅に停車し多久駅に着く。唐津線で通過するときに何となく気になっていた多久駅。降りるのは初めてだ。


(多久駅)


(多久駅)

多久市は人口2万人弱。佐賀県のほぼ中央部に位置し、四方を山に囲まれた盆地の町で、1953(昭和29)年、北多久町、東多久村、南多久村、多久村、西多久村の五町村の合併により多久市になっている。

車窓からも人口がそれほど多いとは思われぬ市に「多久」の名のつく駅が3つもある。調べると、多久駅と東多久駅は明治時代からの駅で、中多久駅は昭和39年の開業のようだ。

多久駅の住所は北多久町で、東多久駅は東多久町。合併時は北多久町が唯一の「町」で、他は「村」なので合併前より一番大きな地区だったのだろう。それで駅名も多久駅になった。当時の東多久村に出来た駅は東多久駅。合併後に出来たか中多久駅は、駅周辺が住宅街になり、市役所なども近くにあるので「中」がついた駅になったのだろう。調べているうちにそんなことを思った。

スタートし、しばらくは田園風景の中を歩く。


(道沿いで)


(田園風景の中を歩く)


(道沿いで)


(田園風景の中を歩く)

大きな通りに出ると、行と帰りが同じコースになっていた。もう帰りの人たちと会う。孔子園製茶でお茶の振舞いをいただいて、高速道長崎自動車道の下をくぐり、右手に曲って、行だけのコースになる。


(もう帰りの人も)


(高速道路付近の紅葉)


(歩く)


(椋ノ瀬橋から)

曲がって、曲がって、藩校弘道館で明治政府で活躍した大隈重信・副島種臣・江藤新平などの人材を育てた「草場佩川(くさばはいせん)生誕地碑」へ。


(草場佩川生誕地碑)

そこから、また、曲がって、曲がって、曲がったところの多久まんじゅう「秀島天満堂」で黒糖のあん入と甘酒のあんなし饅頭を買ってリュックに入れる。


(秀島天満堂)


(道沿いで)

またまた、曲がって、曲がって、曲がって「西渓公園」に着いた。正面に立派な銅像がある。杵島炭鉱を創設し炭鉱王といわれた「高取伊好」の立像で、公園は高取伊好が建設し号の「西渓」が公園名になっている。四季折々楽しめるようになっているようだ。紅葉祭りで人でも多い。出店もたくさん出ていた。


(西渓公園)


(西渓公園)


(西渓公園)


(西渓公園)


(西渓公園)


(西渓公園)

隣りの多久神社も紅葉に彩られていた。


(多久神社)


(多久神社)


(多久神社)


(多久神社)


(多久神社)


(多久神社)

多久神社を出て歩いていると、歩道に多久市の歴史が紹介されている。


(歩く)


(歴史の紹介)


(歴史の紹介)

原始は、「鬼の鼻山の山麓より産出するサヌカイトと呼ばれる硬質の安山岩を加工して槍先状をした尖頭器を制作した石器工房遺跡がこの一帯には群れをなして存在します。」などが書かれている。三年山遺跡や茶園原遺跡が有名。

古代は、「多久の地名は「和名抄」に小城郡高来郷、「延喜式」には高来駅が記されており「高来」と書いて、「たく」と呼んでいたものと考えられます。」などが書かれている。

中世は、「建久年間(1190-1197)には、鎌倉幕府の御家人多久太郎宗直が武功によって源頼朝より肥前国多久の地を与えられて下向し、下多久の庄に館を築いたと伝えられています。」などが書かれている。

近世は、「(有田焼の開祖李三平は)初め多久領内の唐人古場・高麗谷(皿屋)・大山に窯を築きましたが、良質の土がなく成功しませんでした。」などが書かれている。

もう一つの近世には、東原庠舎の初代教授である「川浪自安」、頼山陽をおどろかせた詩文や人柄で名声を得た「石井鶴山」、「草場佩川」が紹介されている。

近代は、明治時代の刑法の起草者としてしられている「鶴田皓」、明治17年森鷗外らとともにドイツに留学した物理学の先駆者「飯盛挺造」、日本最初の工学博士で電気学会の創設者「志田林三郎」が紹介されている。

近代もう一つには「多久にとって石炭は米麦に次ぐ重要な産業でした。早くから採掘され、寛延元年(1748)以後は記録も現存しています。(中略)土着の経営者高取伊好は初め東松浦地方を開発し、刻苦の末、明治42年杵島炭鉱操業に成功地元大手の名をあげました。」などが書かれている。

「西渓公園」から「多久聖廟」に向かって歩いていると、並んでいる順は書いたのとは逆で、近代から順に歴史を下って読むことになる。

多久聖廟に行く前に物産館に寄った。お昼前だったが中にある「麺工房こうき」でマップのグルメ情報にある「肉味噌うどん」を注文した。出てくるまでかなり退屈したが、出てきたのは「肉・味噌うどん」ではなく、「肉味噌・うどん」だった。肉味噌のみそが徐々にうどんの汁の中に溶けて、味噌味にもなっていく。野菜も入っていて、うどんも軟らかめの九州のうどんで一気に食べて、汗ばんでしまった。


(ひまわりが咲いている)


(ひまわりが咲いている)


(肉味噌うどん)

食べ終わって、直ぐ横の公園内にある「多久聖廟」に向かう。

多久聖廟は、1708(宝永5)年、多久邑を治めていた多久茂文が孔子像を安置し、領民に「敬」の心を培わせるために建てた孔子廟で、昭和8年国指定重要文化財に指定されている。創建以来続いている春秋2回の釈菜は祭官が深衣という中国の儒者の服を着て、中国式に行われている。


(多久聖廟)

同じ公園内にある東原庠舎(とうげんしょうしゃ)も多久茂文茂文が起こした。朱子学の学校で、明治になるまで、漢学や和学、武芸などの文武両道を教えた。平成3年に再建され、学校などのクラブ活動の研修場として利用されている。


(公園内)


(東原庠舎)


(東原庠舎)


(公園内)


(公園内)


(孔子像)

後は、ゴール多久駅に向かって帰る。専称寺を過ぎると、行と帰りが同じコースに出る。朝、曲がってその道に来た地点も曲がらずに真っ直ぐに歩く。


(道沿いで)


(道沿いで)


(専称寺で)


(専称寺で)


(何だろう)


(行きにお茶をいただいた孔子園製茶)


(道沿いで)


(田園風景)

しばらく歩いて、右に曲がったところで足湯に浸っているウォーカーがいて、声をかけれた。福祉の増進やまちづくりの推進、そして青少年の健全育成を図る活動をしている地域共生ステーション「のんびらぁと」が運営している、「ほのぼの横丁」の敷地内道路沿いにある足湯。温泉かどうかは分からないが、ぬるぬるして気持ちよかった。


(足湯)

農産物直売所「たくさんかん」は少しだけ覗いて、多久駅にゴールした。次の佐賀行列車が出るまでには50分ほどの時間がある。


(たくさんかん)

多久駅は立派な駅舎だが、正式には多久市まちづくり交流センター「あいぱれっと」で、駅は業務委託駅のようだ。改札口では物販もされている。

あいぱれっと内の休憩スペースで、秀島天満堂で買った饅頭を食べる。少しだけ後悔。饅頭を買ってすぐの西渓公園で食べようと思ったが、あまりお腹も空いていなかったので、食べずにここまで持って来た。温かいうちに食べた方がより美味しかっただろうと思いながら食べ終わる。食後は読書。どうもビールを飲む雰囲気ではない。


(秀島天満堂のお饅頭)

列車待とうとホームに行ったら、最後も紅葉を入れて撮れた。今日のウォーキングを終える。


(帰りの佐賀行き列車)


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