2021年4月10日(土)
今日は、鹿児島本線黒崎駅(福岡県北九州市)。
黒崎駅を10時過ぎにスタート。
黒崎駅前広場は九州で第一号のぺディストリアンデッキ。
橋上の改札口を出た駅前は、すぐに下りる階段は無く高架の駅前広場がある。
広場を通って、それぞれの方向へと向かい階段を降りる。
高架の下は国道3号線。
1984(昭和59)年に完成。現在の広さになったのは1989(平成元)年。
広場では様々な催しも開催されるが、今日は何もあっていない。
高架の駅前広場から国道3号線の向う側にあるアーケード商店街の方へ降りる階段を下り、3号線を小倉へと向かう。
3号線を黙々と歩いて、右へ。桃園球場などがある方を横目に進む。目には鮮やか緑。今年は新緑も早い。
まえだぎおん山笠通りを歩く。
前田の桜並木。ここも新緑。
桜並木を過ぎたあたりから右へ。
九州国際大学のある国際通りを横切り、九州健康総合センターの横を通り、道を横断。
キョロキョロすれば、新緑、新緑。
北九州市立八幡病院の裏を歩く。
皿倉山の登山口への道路を横断。
1889(明治22)年12月、博多駅~千歳川駅(現在の久留米駅の筑後川を渡らないあたり)間に九州で鉄道の第一号が走った。
鉄道を走らせたのは九州鉄道会社。
北へ南へと工事を進め、130年前の1891(明治24)年には、門司駅(現在の門司港駅)~熊本駅間が開通した。
開通当時、鉄道を敷設するルートを決めるには、軍が軍事上の理由で介入した。
敵の攻撃を受けやすい海岸沿いに線路を敷設するのは出来るだけ避けるようにすることが陸軍の意向としてあった。
そこで、黒崎駅~小倉駅間は現在の海岸沿いではなく、山沿いに線路が敷設された。
開業当初は、黒崎駅の次は小倉駅で間には駅が無かった。
小さな漁村だった八幡村に官営製鉄所の建設が決まり、1898(明治31)年に製鉄所も近く平たんな場所の大蔵に駅が設けられた。
1901(明治34)年には、官営八幡製鉄所が操業を始める。
石炭など物資輸送、働く人たちの移動などで海岸沿いに線路を敷設する必要性が高くなっていく。
1984(明治27)年~1895(明治28)年の日清戦争に勝利していた軍も軍事上の脅威も減り、海岸に鉄道を敷設することを容認した。
1902(明治35)年、小倉から戸畑、八幡、黒崎へと海岸沿いに新たな線路が開通した。
それまで本線であった山沿いの線は支線に。
支線となった線は、大蔵線と呼ばれるようになる。
1911(明治44)年には、現在の西日本鉄道(西鉄)が門司駅~黒崎駅間に路面電車を走らせる。
大蔵線は役割を終え、その年に廃止となる。
今日は、その大蔵線の遺構を訪ねるウォーキング。
これまで歩いてきた道がすべて大蔵線の線路があったところかどうかは分からないが、市立八幡病院の裏の道は、線路があった道の雰囲気が感じられる。
線路跡と思われる道から、少し脇に入り着いたところが「尾倉橋梁」。
旗生川に架けられたイギリス積みの煉瓦で築かれたアーチ橋。
川は道路の下に下水道として埋まっている。
トンネルをくぐってから階段を上り、歩いてきた道へ出て、再び、線路跡の雰囲気のある道を歩く。
「春の町一公園」で桜を見っけ。「残桜」。
大谷球場。この辺りも海岸線からはだいぶん高いが、官営製鉄所が出来てから海岸沿いは工場が占めていて、住宅は山の上へ上へと建っていった。
八幡東区役所の辺りでは道をくにゃくにゃと曲がった。線路もこんなにくにゃくにゃと曲がっていたんだろうか。
高低差もあるなぁ、と思いながら歩く。
住宅は山の上へ上へと。
少し下って、大蔵公園。
公園の一角に「九州鉄道大蔵駅」はあった。
公園からすぐのところに「大蔵橋梁跡」。
大蔵川(現板櫃川)の左岸で2013(平成25)年に発見された、橋脚、橋台が展示されている。
先へと進む。
この辺りは、毎年9月末に開催される無法松ツーデーマーチでスタートの小倉から八幡へと歩くコースを逆に歩いているのではと思いながら歩く。
やはりそう。無法松ツーデーで見慣れた「茶屋町橋梁」へ着く。
「尾倉橋梁」と同じくイギリス積みのアーチ橋。
槻田川に架かっている。
いつもは道路側から眺め足早に去るだけだが、今日は裏へ回って眺めよう。
係の人がパネルを持っていた。ご苦労様です。
ツーデーマーチのコースとは外れて、国道3号線へ。
九州歯科大学前の交差点を渡る。
JR九州小倉総合車両センターへ。
130年前の1891(明治24)年、門司駅(現在の門司港駅)~黒崎駅間の開通とほぼ同時に九州鉄道会社の小倉工場として発足。
展示されている車両を見て回る。
昨年の豪雨で被災し不通となっている肥薩線を走る「SL人吉号」は、ここで点検整備中。
肥薩線の早期復旧を願っているかのように、煙を上げ、汽笛を鳴らす。
車両センターを後に、ゴール西小倉駅(旧小倉駅)へ。
今日のウォーキングを終え、帰路しよう。
明日、またここへ。
*参考にした本
倉知英夫・大谷節夫著『九州の鉄道 陸蒸気から超特急まで』西日本新聞社発行、1980年
弓削信夫著『明治・大正・昭和 九州鉄道のおもしろ史』西日本新聞社発行、2014年
今日は、鹿児島本線黒崎駅(福岡県北九州市)。
黒崎駅を10時過ぎにスタート。
黒崎駅前広場は九州で第一号のぺディストリアンデッキ。
橋上の改札口を出た駅前は、すぐに下りる階段は無く高架の駅前広場がある。
広場を通って、それぞれの方向へと向かい階段を降りる。
高架の下は国道3号線。
1984(昭和59)年に完成。現在の広さになったのは1989(平成元)年。
広場では様々な催しも開催されるが、今日は何もあっていない。
高架の駅前広場から国道3号線の向う側にあるアーケード商店街の方へ降りる階段を下り、3号線を小倉へと向かう。
3号線を黙々と歩いて、右へ。桃園球場などがある方を横目に進む。目には鮮やか緑。今年は新緑も早い。
まえだぎおん山笠通りを歩く。
前田の桜並木。ここも新緑。
桜並木を過ぎたあたりから右へ。
九州国際大学のある国際通りを横切り、九州健康総合センターの横を通り、道を横断。
キョロキョロすれば、新緑、新緑。
北九州市立八幡病院の裏を歩く。
皿倉山の登山口への道路を横断。
1889(明治22)年12月、博多駅~千歳川駅(現在の久留米駅の筑後川を渡らないあたり)間に九州で鉄道の第一号が走った。
鉄道を走らせたのは九州鉄道会社。
北へ南へと工事を進め、130年前の1891(明治24)年には、門司駅(現在の門司港駅)~熊本駅間が開通した。
開通当時、鉄道を敷設するルートを決めるには、軍が軍事上の理由で介入した。
敵の攻撃を受けやすい海岸沿いに線路を敷設するのは出来るだけ避けるようにすることが陸軍の意向としてあった。
そこで、黒崎駅~小倉駅間は現在の海岸沿いではなく、山沿いに線路が敷設された。
開業当初は、黒崎駅の次は小倉駅で間には駅が無かった。
小さな漁村だった八幡村に官営製鉄所の建設が決まり、1898(明治31)年に製鉄所も近く平たんな場所の大蔵に駅が設けられた。
1901(明治34)年には、官営八幡製鉄所が操業を始める。
石炭など物資輸送、働く人たちの移動などで海岸沿いに線路を敷設する必要性が高くなっていく。
1984(明治27)年~1895(明治28)年の日清戦争に勝利していた軍も軍事上の脅威も減り、海岸に鉄道を敷設することを容認した。
1902(明治35)年、小倉から戸畑、八幡、黒崎へと海岸沿いに新たな線路が開通した。
それまで本線であった山沿いの線は支線に。
支線となった線は、大蔵線と呼ばれるようになる。
1911(明治44)年には、現在の西日本鉄道(西鉄)が門司駅~黒崎駅間に路面電車を走らせる。
大蔵線は役割を終え、その年に廃止となる。
今日は、その大蔵線の遺構を訪ねるウォーキング。
これまで歩いてきた道がすべて大蔵線の線路があったところかどうかは分からないが、市立八幡病院の裏の道は、線路があった道の雰囲気が感じられる。
線路跡と思われる道から、少し脇に入り着いたところが「尾倉橋梁」。
旗生川に架けられたイギリス積みの煉瓦で築かれたアーチ橋。
川は道路の下に下水道として埋まっている。
トンネルをくぐってから階段を上り、歩いてきた道へ出て、再び、線路跡の雰囲気のある道を歩く。
「春の町一公園」で桜を見っけ。「残桜」。
大谷球場。この辺りも海岸線からはだいぶん高いが、官営製鉄所が出来てから海岸沿いは工場が占めていて、住宅は山の上へ上へと建っていった。
八幡東区役所の辺りでは道をくにゃくにゃと曲がった。線路もこんなにくにゃくにゃと曲がっていたんだろうか。
高低差もあるなぁ、と思いながら歩く。
住宅は山の上へ上へと。
少し下って、大蔵公園。
公園の一角に「九州鉄道大蔵駅」はあった。
公園からすぐのところに「大蔵橋梁跡」。
大蔵川(現板櫃川)の左岸で2013(平成25)年に発見された、橋脚、橋台が展示されている。
先へと進む。
この辺りは、毎年9月末に開催される無法松ツーデーマーチでスタートの小倉から八幡へと歩くコースを逆に歩いているのではと思いながら歩く。
やはりそう。無法松ツーデーで見慣れた「茶屋町橋梁」へ着く。
「尾倉橋梁」と同じくイギリス積みのアーチ橋。
槻田川に架かっている。
いつもは道路側から眺め足早に去るだけだが、今日は裏へ回って眺めよう。
係の人がパネルを持っていた。ご苦労様です。
ツーデーマーチのコースとは外れて、国道3号線へ。
九州歯科大学前の交差点を渡る。
JR九州小倉総合車両センターへ。
130年前の1891(明治24)年、門司駅(現在の門司港駅)~黒崎駅間の開通とほぼ同時に九州鉄道会社の小倉工場として発足。
展示されている車両を見て回る。
昨年の豪雨で被災し不通となっている肥薩線を走る「SL人吉号」は、ここで点検整備中。
肥薩線の早期復旧を願っているかのように、煙を上げ、汽笛を鳴らす。
車両センターを後に、ゴール西小倉駅(旧小倉駅)へ。
今日のウォーキングを終え、帰路しよう。
明日、またここへ。
*参考にした本
倉知英夫・大谷節夫著『九州の鉄道 陸蒸気から超特急まで』西日本新聞社発行、1980年
弓削信夫著『明治・大正・昭和 九州鉄道のおもしろ史』西日本新聞社発行、2014年