たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「街」(再)

2022年01月26日 17時20分05秒 | 詩・エッセイ

8年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月10日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「街」と題した詩(もどき)も有った。「昭和40年5月5日」と記されており、今から57年も前、独身の頃に、感傷と妄想で書き殴ったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことであり、幼稚、拙劣、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って、恥も外聞もなく・・・。

(ネットから拝借画像)

「街」

           春の宵のそぞろ雨
           うるむネオンを慕いつつ
           濡れた舗道にたたずめば
           水銀灯に照らされて
           冷たく沈むビルの谷間を
           悲しくむせび泣くテナー・サックスの調べ
           我一人、足音を忍ばせん

           明るく華やかなり有楽街は
           夜の蝶ども行き来たり
           窓より洩れ来る熱っぽいムード
           時折陽気なバンジョーが弾み
           ペットも甲高く調子を上げる
           喜び悲しみ憎しみ全てが混沌として
           我もまた、ひとときの人生をここに忘れる

           ほの暗きコーヒー店の片隅は
           甘きスチール・ギターに酔いながら
           肩を寄せ合う二人の
           壁に写りしシルエット
           やさしく軽快にハワイアン
           今日の名残りを惜しみつつ
           ラストを奏でるアロハ・オエ
           
           アロハ・オエ、アロハ・オエ

(昭和40年5月5日)

 

 


おお寒 こ寒 山から小僧が泣いてきた ♫

2022年01月25日 17時58分37秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の最低気温は -3℃前後、最高気温は 6℃前後だったようだが、
風が有った分、体感的には、気温以上に、寒かった。
午後になってから、買い物ついでに、ちょこっと歩いてきたが、
寒!、寒!、
スマホの歩数計、3,000歩程で、引き上げてきた。

久し振りに、5~6羽、メジロの群れを見掛け、
カシャ、カシャ、

 

 

 

 

シジュウカラ

 


シモバシラ(霜柱)

2022年01月25日 14時54分04秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

「シモバシラ(霜柱)」と言えば、放射冷却等で氷点下になった朝等に見られる、地面から伸びる氷の柱のことだと、子供の頃から知っていたが、草花に疎い爺さん、「シモバシラ(霜柱)」という名の植物が有ることを知ったのは、つい数年前だったような気がする。きっかけは、ある年の冬に、親友から「シモノハナ(霜の花)を見に、高尾山・城山へ行かないか」と誘われたことだった。最初は、「なんのコッチャ?」と思ったものだが、教えられて、「へー!、そういうこと」、目から鱗・・になった記憶がある。

例年、12月中旬頃から2月頃、放射冷却等で厳しく冷え込み、気温が氷点下になった朝等に見られる氷の華「シモバシラ」。気温が氷点下でも、雨や雪が降ったり、風が強かったりすれば出来ず、出来ても、気温が上がれば解けてしまうため、条件が揃わないとなかなか見事な氷の華を見ることが出来ないということで、その後も、何度か高尾山・城山を訪れたが、最も良く見れたのは、5年前の2017年1月16日に、単独で訪れた時だった気がする。その時の、コンデジでやたら撮った写真は、以前「デジブック」にしていたが、すでに終わってしまっているため、改めて、外付けHDから古い写真を引っ張り出して「ZUISO」にしてみた。新型コロナウイルス感染拡大が始まった頃から、高尾山も近くて遠い山になってしまっている。


ZUISO
「冬の高尾山 氷の華 霜柱(シモバシラ)」
👇
こちら


シモバシラ(霜柱)

シソ科、多年草、
    別名 ユキヨセソウ(雪寄草)
原産地 日本、
    日本固有種で、関東以南、本州から九州にかけて分布している、
草丈 40cm~70cm
花色 白色
開花時期 9月頃~10月頃
     花後、地上部の茎は枯れてしまうが、根は活動し続け、冬の厳寒期、
     根から吸い上げた水分が、枯れた茎の裂け目から噴き出し、
     氷点下の外気で氷りながら伸びて、まるで花のように見える。
花言葉 「健気」


シモバシラ(霜柱)の花
(ネットから拝借)

 

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陽射しとはうらはら寒風の午後爺散歩

2022年01月24日 18時42分35秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、朝の内、曇っていたが、昼頃から快晴になり、
気温も、11℃前後まで上がったようだ。
好天に誘われて、午後、やおら重い腰を上げ、ちょこっと歩いてきたが、
北からの冷たい風が強く、体感的には、結構、寒さ厳しい1日だった。
スマホの歩数計で、約9,500歩。

宿り木

 

ロウバイ

 

ジョウビタキのオス

 

キセキレイ

コガモのオス、           コガモのメス、

 

カワラヒワ・・・かな?

カワセミ(メス)

カルガモ

 

 

 


「中学生日記より」その56(再)

2022年01月24日 11時09分35秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その56 「 「明星」、「平凡」をこっそり見たり 」

昭和30年(1955年)10月9日(日)、天気 雨、
起床 6時30分

1、今日は、雨なのでさんざ遊んだ。
  正君の家へ行って、「明星」、「平凡」など、みせて(見せて)もらった。
2、昼から(午後)、すこし(少し)、トマト畑の整理となす(茄子)畑の整理となたね(菜種)の植えかえ。

1、すっかり忘れていた言葉「さんざ」が出てきた。「さんざ」、「さーんざ」とは、「長時間」「沢山」「だいぶ」等という意味合いで、聞いたり、話したりしていたような気がする。日曜日なので、晴れていれば、農作業の手伝いをさせられるところ、「遊んできていいよ」と言われて、近所の正君の家に遊びにいったようだ。
「正君の家」とは、従兄弟で同級生で近所の正君の家(M男の父親の生家、本家)で、当時、藁葺きの大きな百姓屋だったが、その頃はまだ、M男の父親の7人兄弟姉妹の末弟が独身で同居しており、M男にとっても、正君にとっても叔父にあたるわけで、まだ20代?の若者だったが、「オジチャン」と呼んでいた。そのオジチャンが、当時、月刊雑誌「明星」、「平凡」等を買っていて、オジチャンが寝起きしていた奥座敷の横の小部屋には、いつも転がっていた。「明星」「平凡」は、大人向けの雑誌で有り、子供がそんな雑誌を見たりすると、「不良」等と見られたりした時代、多分、「子供が見る本じゃない」と、再三、叱られたと思うが、当時の女優等、スターのカラー写真が満載、やたら華やかな雑誌に、中学生ともなれば興味津津、オジチャンが留守の時間帯等に、従兄弟が引っ張り出してきては、二人でこっそり見ていたような気がする。因みに、そのオジチャン、鉛筆で描く女優のデッサン画が得意だったようで、いろいろ見せてもらった分けではないが、壁に貼って有った、初々しい「若尾文子」を描いた1枚が、まるで写真のように見事だったことが思い浮かんできた。

(ネットから拝借画像)

2、午後は、雨が弱まったのか止んだのか、多分、収穫を終えたトマトの畑、ナスの畑の片付け作業、なたね(菜種)の植えかえの手伝いとなったようだ。大人用のゴム合羽を着て、ゴム長靴を履いて、泥んこになったんだろうと思う。
菜種の植え替え」・・、そう言えば、当時、周辺の農家のほとんどが、田んぼ、畑の一角に菜種を栽培していて、採取した種から絞って出来た油を、天ぷら油として使うのが、当たり前だったような気がする。M男達にとっては、その頃はまだ、童謡の世界、抒情的な黄色い「菜の花畑」の風景等、イメージに無かったような気がする。

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君の名は?鳥に尋ねつ陽だまり散歩

2022年01月22日 16時42分55秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の最高気温は、10℃前後だったようだが、
風が無くて、陽射しが強かった分、
昨日の厳寒に比べると、やや寒さが緩んだ感じがして、
午後になってから、ちょこっと歩いてきた。
鳥に疎い爺さん、
君の名は?鳥に尋ねつ陽だまり散歩
スマホの歩数計で、約8,000歩。

昨夜から未明に掛けての放射冷却で出来た霜柱(3~4cm)

早咲きの梅が、一斉に開花し始め・・・、

シジュウカラ・・・かな?

エナガ・・・かな?

セキレイ

キセキレイ

ジョウビタキのオス・・・かな?

 

 

 


ふっと思い出した故郷の言葉 No.65 「なす」

2022年01月22日 07時03分55秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し(ブログ カテゴリー)「懐かしい故郷の方言」に 書き留め置くことにしている。

懐かしい 昭和20年代、30年代の農村風景
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。


No.65 「なす」

借りていた物やお金を「返す」ことを、「なす」と言っていたような気がする。一般的に、「なす」と言えば、「成す」、「為す」の意だと思われるので、多分、方言なのだろう。

例えば

「キンノウ ◯◯カラカリタカネ、ハヨ ナシテコイヤ」
(昨日、◯◯から借りたお金、早く、返してきなさい)

「キョウ ◯◯クントコヘ ホン、ナシニイッタ」
(今日、◯◯君の家へ、本を返しに行った)

「ナストキャ キレイニシテ ナサニャ」
(返す時は きれいにして 返さなければなりませんよ)


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「オレ・グワッパ(Ole Guapa)」(再)

2022年01月21日 18時05分53秒 | 懐かしいあの曲

今日は、1日中、寒過ぎ、
炬燵で読書・・・と決め込んでみたものの、
30分も経たない内に、船を漕いでしまうし、
キョウヨウ無し、キョウイク無しは、しんどい。
夕暮れ時、手持ち無沙汰な時間帯、
例によって、古いレコード盤等を引っ張り出して聴いているところだ。
キンキンに凍て付くような西の空が焼けて、山並みのシルエットが浮かんでいる。
今夜も、厳しい放射冷却になりそう?
なんとなく、タンゴを聴いてみたい気分になり、取り出したレコード盤は


アルフレッド・ハウゼ楽団の
「ベリー・ベスト・オブ・コンチネンタル・タンゴ」(全14曲)

ジャケットの隅には、「40.12.24」と、マジックで書き込まれており、今から56年も前、まだ就職してまもなくの頃に、薄給にも拘わらず、無理して買ったレコード盤のような気がする。ずっとお気に入りのレコードで、若い頃には、良く聴いていたものだ。溝は磨り減り、音質はかなり悪くなっているが、廃棄することが出来ず仕舞い込んでいたものを、最近になって、引っ張り出して、アナログならでは・・・等と気取ってみたりして、時々、聴いている次第。

「碧空」「夜のタンゴ」「バラのタンゴ」「夢のタンゴ」「真珠採り」「月下の蘭」「モンテカルロの一夜」「オレ・グワッパ」「ヴィオレッタに捧げし歌」「奥様お手をどうぞ」「ジプシーの嘆き」「小さな喫茶店」「カプリ島」「ジェラシー」
いずれも、アルフレッド・ハウゼ楽団(Alfred Hause And His Tango Orchestra)のタンゴを代表する楽曲ばかりだが、その内の1曲、「オレ・グワッパ(Ole Guapa)」を、YouTubeから共有させていただいた。
ジャケットによると、「オレ・グワッパ」は、アルゼンチン・タンゴに傾注していたオランダのマランドが作曲した楽曲だったが、アルフレッド・ハウゼの、颯爽とした小気味よい演奏の「オレ・グワッパ」の方が世界的にヒットしたようだ。

「オレ・グワッパ 」・アルフレッド・ハウゼ楽団 

Let’s Dance Tango !

 

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一段と寒さ厳しく

2022年01月21日 14時30分09秒 | 暮らしの記録

日本列島上空に強い寒気が流れ込んでいるため、全国的に寒さが厳しくなっているが、当地も、今朝の気温は、ー5℃前後、晴れているが、日中も、5~6℃位までしか上がらず、家籠もり、炬燵でまるくなっている。
関東西部山沿いの当地、冬季の気温は、市街地より、だいたい1~3℃低く、毎年、最低気温が 氷点下になり始める頃からは、水道の凍結破裂を防止するため、屋内、屋外の水道蛇口をわずかにゆるめて、ポタ、ポタ、水を垂れ流しているが、今朝、屋外の蛇口の下には、氷柱が出来ていた。ポリ容器等の水は、しょっちゅう氷が張るが、氷柱まで出来ることは滅多になく、昨夜から未明に掛けては、放射冷却効果も有り、最低気温、ー7℃、ー8℃、あるいは、もっとだったのかも知れない。


「中学生日記より」その55(再)

2022年01月21日 09時51分49秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

 


「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その55 「本をなしにいった?」

昭和30年(1955年)8月20日、土曜日、天気 雨、
起床 6時、就床 20時30分、

1、朝、本をなしにいった(返しに学校へ行った)
  かぎがないっていっていたがあった(鍵が無いと言っていたが有った)
  また、かりてきた(借りてきた)
  「海底大陸」

全く記憶に無かったことだが、多分、夏休み中、何回か、学校の図書室を開く日が有って、その日、借りていた本を返しに行って、また借りてきたということだと思う。
「本をなしにいった」とは、「本を返しに行った」の意味で、すっかり忘れてしまっていた言葉(方言)「なす」が、書かれており、当時の記憶が蘇ってきた。
当時、「なす」は、「為す」「成す」の意味ではなく、「返す」という意味で使っていた言葉(方言)だったのだ。
1学年1クラスの小さな山村の小学校中学校併設校とあって、図書室等と呼べるものではなく、廊下の突き当り、階段の脇の1畳程の空間に、僅かな蔵書が並んでいただけだった気がするが、「本は大事な物」という観念が有り、どうもその入り口に鍵を掛けていたようだ。生徒会?に、「図書委員?」とか「図書係?」がいたのかどうか記憶は無いが、誰かが鍵を管理していて開閉していたのだろう。その日、鍵が見当たらなく、右往左往したのかも知れない。
幼児書にしろ、児童書にしろ、文学書にしろ、おいそれとは買ってもらえなかった時代、学校の図書も貧弱で、当時、毎年、生徒達は、もぐさいなごを学校へ持ち寄って、業者に買い取ってもらい、その売上金で、少しづつ蔵書を増やしていたような気がする。


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「リヤカーでもぐさを学校へ」


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「いなご(蝗)とり」