たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2022年、泳ぎ初め、

2022年01月05日 22時13分00秒 | スイミング

強い寒気の流れ込みと、南岸低気圧の通過で
明日は、関東南部の平地でも、降雪が予想されている。
今日のところは、快晴だったが、寒さは厳しく、
夕方からは、一段と冷え込んできて、
いったん炬燵に入ろうものなら、
重い腰が上がらなくなるところだったが、
通っているスイミングクラブの成人クラスレッスン
年末年始休館後、今日が、2022年の第1回目。 
休むわけにはいかないと、気合を入れ、
19時~20時のレッスンに出席し、先程帰ってきたところだ。
11日振り、2022年、初泳ぎである。

M4グループ、今日の出席者は、女性7人、男性2人。
いつもより、やや少なかったが、新年の挨拶から始まり
終始、和やかな1時間だった。
今日は、ベテランE指導員によるクロール中心のレッスンだったが。
年末年始のなまった?老体を考慮してのことだろう、
4種目を軽く流す等も組み入れて、軽めのメニュー。
気持ちよく泳げた。

レッスン終了後は、例によって居残り、
疲れを知らない?女性陣の後ろにくっついて、
5秒間隔スタート、クロール、50m✕10本、
4種目、25m✕4本、
足が、何度も攣る寸前になりながら
なんとか泳ぎ切って、引き上げてきた。

今年も、この調子で続けていきたいものだが、
いつ、どうかなってもおかしくない老体
どうなることやら・・・だ。

 

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ロウバイ(蝋梅)

2022年01月05日 16時42分25秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

当地、今日も 快晴だったが、日中の気温は、7℃前後止まり
風が強かった分、体感的には、冷え冷えする1日だった。
家籠りで、炬燵で丸くなっているだけじゃ・・・、
いかん、いかん
午後になってから、やおら重い腰を上げ、ちょこっと近くを歩いてきた。
スマホの歩数計で、約8,000歩。

昨年暮れから、民家の庭先等あちらこちらで見掛けるロウバイ
このところの厳しい寒さのせいか、開花もスローペース?

草花にも疎い爺さん、ブログを始めた頃までは、我が家の庭に咲く花であろうが、道端、空き地、畑、川原等で蔓延っている野草であろうが、公園や植物園等で鑑賞出来る草木であろうが、まるで関心も興味も無しで、見ても、花名も知らず、分からず、覚えられずで、ほとんど珍紛漢紛だった気がする。数多のブログを拝見するようになってから、その無知ぶりを痛感、初めて、花名等を知ろうという気になったものだったが、教えてもらっても、自分で調べても そのそばから忘れてしまう老脳、出来る限り、写真を撮ってきて、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に書き込むことで、少しづつだが、分かる草花が増えてきたように実感している。草花に詳しい人からは、「なーんだ、そんな花も知らなかったの?」と笑われそうだが、爺さんにとっては、新情報、新知識、「爺さんの備忘録的花図鑑」は、後日、また忘れてしまった時等に、確認したりするのに役に立つ存在になている。

振り返ってみると、「ロウバイ(蝋梅)」も、初めて意識して見て、
知ったのは、ほんの4年前だったような気がする。

2018年2月7日
埼玉県の「宝登山の蝋梅園」で撮っていた写真。

 

                      2018年2月
神奈川県の「曽我の里」で撮っていたロウバイ    「カタクリの里」で撮っていたロウバイ

 

2020年1月14日
東京都の「国営昭和記念公園」で撮っていたロウバイ

 

2020年1月21日
東京都の「府中郷土の森」で撮っていたロウバイ

 

2021年1月12日、
散歩・ウオーキング途中で撮っていたロウバイ、

 


ロウバイ(蝋梅)

ロウバイ科、ロウバイ属、落葉低木、
    和名「蝋梅」は、花びらが蝋のような色合いであること、
    臘月(旧暦12月)に花を咲かせること等に由来している。
    別名 「カラウメ(唐梅)」
原産地 中国
樹高 2m~5m
花色 黄色
開花時期 12月頃~2月頃
花言葉 「ゆかしさ」「慈しみ」「先導」「先見」


 


そり作り、そり遊び(再)

2022年01月05日 11時22分21秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和20年代から30年代前半、M男は、冬季には深い雪に埋もれる北陸の山村で、幼少期を過ごした。M男の家は、日本海に注ぐ河川により、北西方向に開いた盆地の山裾に有り、他の豪雪地帯から比べれば、まだ積雪量は少ない方だったのかも知れないが、子供の目からすれば、やはり、冬中、雪に閉ざされる雪国に感じられたものだった。
滅多に雪の降らない首都圏に住んで55年以上になり、記憶は曖昧になっているが、毎年、冬、日本海側の雪の情報を見聞きする度に、当時の断片的な記憶が炙り出されてくる。

車社会以前の時代、現在のような、除雪車や除雪機械等の普及も無く、降っては積り降っては積もる雪は根雪となり、道路は、雪割り(除雪)をせず、村落の住民は、かんじきで踏み固めた雪上の1すじの道を、往来していたものだった。すれ違う時が大変、どちらかが譲るが、ズボッと埋まり、長靴の中に雪が入り、片足立ちで、長靴を逆さにし、雪を出す光景が思い出される。

ただ、子供達にとっては、冬は、それ程、嫌な季節では無かったような気がする。学校から帰ると、よほどの悪天候でない限りは、外で近所の子供と、雪の中で遊ぶ日々だった。現在のような、スキーそり等、子供用の遊び道具も普及していなかったが、子供なりに工夫して、楽しんでいた気がする。
M男の家の裏手の山から下りてくる坂道が、ちょうど、子供のスキー遊びやそり遊びに恰好な坂だったため、近所のガキ大将から幼児までが、そこに集まって入り乱れ、アノラック等防寒着等も無かった時代、ビショビショに濡れながら、手は悴み、アカギレシモヤケでも平気の平左、薄暗くなるまで、夢中に遊んでいた気がする。、
当時、M男達が、そり(橇)と言っていたのも、現在の子供の遊具、プラスチック製のものではなく、大部分、竹や木で、自分達が作った、粗末なものだった。多分、大人達も手を貸してくれたに違いないが、青竹、木片を工作、自分で手掛けたので、未だにその幼稚な作り方が、かすかに記憶に残っている。

 

 

(1)青竹を、適度な長さに切り、割る。
(2)なた(鉈)や かんな(鉋)で、2本の板状にする。
(3)先端の曲げる部分を、水に浸しながら、何回も、いろり(囲炉裏)
   灰の中に突っ込み、加熱する。
(4)十分熱っせられた板状の竹を、作納屋の土台の隙間に挟み込み、
   グイッと曲げ固定。そのまま、数日置く。
(5)先端が曲ったスキー状の板が出来上がる
(6)そのスキー状の竹板に、4個の角木材を釘で打ち付け、
   その上に厚板を打ち付ければ、完成。

そのそり(橇)にまたがって、広げた両足の長靴の足と、縄紐で舵取りをして、滑り降りるという設定にはなっていたものの、スピードが上がれば、上手く行かず、所詮、もろい木材、単純な釘打ち固定の作りのため、勢い良く転倒でもしようものなら、たちまち、バラバラになり、その都度、修理、修理という塩梅の代物ではあったが・・。
今思えば、危険多し、まるでリスク管理無しだが、
当時は、大人も子供も、「そんなの関係なーい」だった気がする。
遠い昔の話である。

 

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