「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その55 「本をなしにいった?」
昭和30年(1955年)8月20日、土曜日、天気 雨、
起床 6時、就床 20時30分、
1、朝、本をなしにいった(返しに学校へ行った)
かぎがないっていっていたがあった(鍵が無いと言っていたが有った)
また、かりてきた(借りてきた)
「海底大陸」
全く記憶に無かったことだが、多分、夏休み中、何回か、学校の図書室を開く日が有って、その日、借りていた本を返しに行って、また借りてきたということだと思う。
「本をなしにいった」とは、「本を返しに行った」の意味で、すっかり忘れてしまっていた言葉(方言)「なす」が、書かれており、当時の記憶が蘇ってきた。
当時、「なす」は、「為す」「成す」の意味ではなく、「返す」という意味で使っていた言葉(方言)だったのだ。
1学年1クラスの小さな山村の小学校中学校併設校とあって、図書室等と呼べるものではなく、廊下の突き当り、階段の脇の1畳程の空間に、僅かな蔵書が並んでいただけだった気がするが、「本は大事な物」という観念が有り、どうもその入り口に鍵を掛けていたようだ。生徒会?に、「図書委員?」とか「図書係?」がいたのかどうか記憶は無いが、誰かが鍵を管理していて開閉していたのだろう。その日、鍵が見当たらなく、右往左往したのかも知れない。
幼児書にしろ、児童書にしろ、文学書にしろ、おいそれとは買ってもらえなかった時代、学校の図書も貧弱で、当時、毎年、生徒達は、もぐさやいなごを学校へ持ち寄って、業者に買い取ってもらい、その売上金で、少しづつ蔵書を増やしていたような気がする。
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