「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(以上 過去記事コピペ文)
その33 「ツベルクリン反応検査」
昭和30年(1955年)7月26日(火)、天気 晴、
起床 5時10分、 就床 9時、
1限目、音楽、(朝そうじ)、
2限目、英語、
3限目、数学、
4限目、体操、継続観察発表会(?)、
1、ツー反をうった。(昼から)、
2、昼そうじをしなかった、
3、主事先生 来校、小(学)3年生の事業(授業)視察、
帰家(宅)17時40分、
1限目の音楽の時間は、授業無しで、掃除をしたようだ。
通常は、授業が終わった後に、教室、廊下等の掃除をすることになっていたと思うが、その日は 教育委員会の主事?が、授業視察に来校するということで、各クラス共、1限目の授業をつぶして 掃除をしたのだと思われる。
4限目、継続観察発表会って・・なんのことだか分からない。
1、昼から(放課後)、ツー反をうった・・と書いて有る。
「ツー反」とは ツベルクリン反応検査のこと。
当時は、まだまだ、結核が死に繋がる恐ろしかった時代だった。結核予防法により、乳幼児や小中学生に対して行われていたもので、ツベルクリン抗原を注射し、結核菌感染の陽性反応、陰性反応を診断するものだったが、子供のこと、チクッと注射をされること自体を嫌がったものだ。
注射した跡が、直径5mmとか、8mmとか、10mmとか、赤い円形が出来ると陽性(結核菌感染抗体が出来ている?)、全く赤くならない場合は、陰性(結核菌に対して全く抗体が出来ていない?)ということになるのだと思う。
陰性と判断とされた場合は、BCGの接種を受けることになる。結核に対する免疫を作る?ために必要な処置なのだが、その注射はまた非常に痛く、注射した跡の皮膚が膿んだり、やけどの跡のように残ることを知っている子供達は、なんとかBCG接種から逃れたい一心で、ツー反結果検査当日には、注射の跡をつねったり、もんだり、叩いて 見せ掛けの赤い円形を出そうと、無駄な努力?をしたものだ。一見赤くなっても、所詮、ツベルクリン反応で出る色と形とは違うもので、ごまかしは効かないものだった。因みに、この年、M男も陰性で、BCG接種を受けたと、数日後の日記に書いて有る。
2、夏休み直前、授業は午前中だけだったようだ。朝掃除をしたため、下校前の掃除は 免除されたようだ。
3、年に1回だったか2回だったか、「主事が来校、視察」というのが有ったような気がする。
「主事」という肩書がいかほどのものなのか等、M男達は知るよしも無かったが、やたら,校長、教頭、教師が,ペコペコしていた情景が有って、その1日は とにかくお偉いさんがやってくる、という緊張感が学校に漂っていたような気がする。1学年1クラス、小学校中学校併設の小さな学校で その日は 小学3年の授業を視察したと 書いてある。
懐かしいですね、今だとコロナですね。
検査前に手首を擦って、医師がノギスで測るのをドキドキして見つめていました。
結局、5年生の時にBCG注射を受ける羽目になりました。
そんなに痛くはなかったのですが、後々まで跡が残りました。
コメントいただき有難うございます。
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