時々、gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、なんとなく、嬉し、懐かしくなってしまい、つい、そんな記事を読み返してみたりしている。10年前の2012年、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事「夏休み・赤ふんどし事件」にも、度々アクセスが有ることに気付き、コピペ、リメイク(再編集)することにした。従来の紙ベースの日記日誌備忘録の類では、絶対考えられない、「デジタル」のメリットである。
「いなかっぺの赤ふんどし事件?」
昭和20年代から昭和30年代前半の頃、M男は、北陸の山村の、1学年1クラスの、小さな小学校、中学校併設学校に通っていた。当時、学校には、プール等は無く、周辺の町村にも、プール等という施設は皆無で、プールで泳ぐこと等、別世界のことのように感じていたと思う。M男達は、夏になると、専ら、集落から歩いて20~30分に有った川の淀み等で、飛び込んだり、流れに乗ったり、せいぜい犬かきや抜き手で岸まで戻ったりを繰り返し、時間を忘れて遊んでいたものだ。「水泳」等とは言わず、「水浴び(みずあび)」と言っていた位なのだ。その川も、いったん雨が降れば、急増水し、日照りが続くと涸れ川状態となる、大きな石がごろごろした荒れ川で、子供達が安心安全に遊べる川では無かったが、淀んでやや深みがある場所を見つけては、遊び場にしていたものだ。
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( ネットから拝借画像)
当時の農家は、夏の間、夜明け直後から朝食までの涼しい時間帯、(朝飯前(あさはんまえ)と言っていたが)に、草刈り等の農作業をし、昼食後、午後は、開け放った座敷や茶の間で、ゴロリ横になって昼寝をする習慣があって、子供達も、昼寝を強要されたりしたが、近所となりの子供達から、「水浴び(みずあび)、行こ!」等と声がかかると、とても昼寝なんかしておれず、大人達の制止を振り切って かんかん照りの中、飛び出していったものだった。みんな、麦わら帽子、ランニングシャツ、半ズボン、ゴム草履、手ぬぐい、といった、童謡の挿絵に出てくるような格好だった。
北陸の山村でプールの存在すら知らなかった子供達であり、当時はまだ、「海水パンツ」等の水着の普及もなく、男の子は皆、「サラシの六尺ふんどし」が当たり前だった。幼児に至っては、ヌードダンサーのバタフライの如くの三角布「きんつり」だった。M男が、小学校高学年から中学生の頃には、何故か、「赤いサラシの六尺ふんどし」が流行りだして、M男も親にせがみ、買ってもらい、得意げに締めていたものだ。
話は変わるが、M男が中学2年の夏休みのこと。第二次世界大戦末期、戦火を逃れ東京から疎開し、そのまま父親の生家の近くに定住したM男の家は、戦後の暮らしは苦しく、それまで、家族の誰一人、一度も上京すら出来ずにいたが、やっと落ち着いたのか、その年、祖母が10数年ぶりに、戦前暮らしていた東京、そして、埼玉、神奈川の親戚、知り合いを訪ねる旅が実現し、M男と弟H男が同行したのだった。転々と、親戚、知り合い宅に泊めてもらいながら、多分、1週間~10日間の旅だったように思う。当時、神奈川県の逗子には、母親の長兄、M男から見て叔父になるT叔父が住んでおり、T叔父宅にも1泊または2泊させてもらったような気がするが、そのT叔父宅を訪れ時の話である。逗子と言えば、当時も、鎌倉、江ノ島、葉山等と並んで、首都圏でも人気の高い海水浴場が有り、T叔父は、さっそく逗子海水浴場に、M男達を連れて行ってくれたんだと思う。ところが、脱衣所?で着替えて出てきたM男とH男の姿に、T叔父は、びっくり仰天。M男は、「赤ふんどし」、H男は、「きんつり」だったのだ。T叔父は、泡食って、町の商店街に飛んで帰り、それぞれの「海水パンツ」を買ってきてくれ、着替えたように思う。「赤ふんどし」で海辺を歩いたり、海に入った記憶は、M男には無いので、何かの陰にじっとしているように言われたのかも知れない。当時の逗子海岸で、「赤ふんどし」と「きんつり」の子供を見かけて、目に焼き付けてしまった方がおられるならば、それは、M男達兄弟に間違いないと思われる。北陸の山村で育ち、「井の中の蛙」だったM男、昭和30年代前半の北陸の農村の暮らしと、都会人であふれる湘南海岸の逗子海水浴場とのギャップが起こした事件であった。その「赤ふんどし事件」、「あの時は ぎょっとしたよ」等と、後年になって、冠婚葬祭等で会う度、T叔父の語り草になってしまったものだった。M男にしたら、早く忘れてしまいたい話であるが、未だにその情景が思い浮かび、冷や汗がでてくるから不思議である。
日中のかんかん照りの中、トンボ取り、セミ取り、キリギリス探し、魚取り、川での水浴び 等々 平気で遊んでいたM男達。全身真っ黒に日焼けし、背中は、水ぶくれで、一皮二皮、ペロリとむけて、2学期が始まる頃には、そのマダラ模様が、少しづつ消えていく、そんな夏休みを、毎年繰り返していたM男達。当時はまだ、大都会の暮らしとど田舎の暮らしは、相当なギャップが有り、M男が、初めてそれを実感した夏休みだったのではないかと思っている。