たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

学生寮の記憶・その8

2022年03月29日 21時38分53秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

◯自動車運転免許取得事情
昭和30年代中頃、M男が北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて、外で集団生活を始めた頃の話である。
記憶は定かで無くなっているが、確か、入寮してから半年余り経過した秋のことだったと思う。学内のクラブ活動部だったのかどうかの記憶曖昧だが、「自動車部?」、「自動車クラブ?」の、「運転免許証を取りたい者集まれ・・!」的なポスターだったかチラシだったかが、寮にも回ってきて、「ベラボーに安い講習費で運転免許が取れるぞー」と言った雰囲気が漂ったような気がする。ただ、そうであっても、金銭に余裕等無しの貧乏学生の集団、おいそれと申し込む者等、ほとんどいなかった気がするが、たまたま、M男には、そのタイミングで、臨時収入?が有り、これ幸いと申し込んだような気がする。
それは、当時、日本育英会の貸与額は、月額2,000円だったが、入寮してまもなく、増額申請をして認められ、申し込んだ月まで遡って、その差額が一時金として受領出来たからだった。その合計額はわずか6,000円だったが、M男にとっては大金。本来は、のちのちの学費や寮費支払い等充当するべきものではあったが、後は野となれ山となれ、その一部活用?で、その運転免許講習が受けられることが分かり、またとないチャンス、逃してなるものか、同室の先輩等にも相談したりしたはずだが、思い切って、運転講習を受けることにしたのだった。当時はまだ、M男の郷里、北陸の山村では、マイカー(乗用車)等所有している家は皆無で、貧乏だった家のM男等は、自分が乗用車を運転するなんてことは夢でしか無かったものだが、一躍先頭に躍り出たような気分がしたものだった。
いざ、運転講習へ。ところが、指定された講習日、講習場所へ行って、びっくり。建設ゴミ置き場の如くの草茫々のだだっ広い空き地、車1台通るだけの凸凹道が、ぐにゃぐにゃ有るだけの荒れ地。車ときたら、ポンコツ車数台、一度エンストしようものなら、前に回って、クランク棒を回しエンジンを掛けないとならない代物、学生のやること、廃車寸前の車を譲り受けて、運び込んだものだったのだろう。ブルン、ブルン、ガタン、ゴトン、半クラッチ、坂道発進等、微妙なエンジン音の変化等、分かるはず無しの代物だったが、何しろ、生まれて初めて乗用車のハンドルを握り、運転する興奮が有った気がする。講習が、何日間有ったのかの記憶も無くなっているが、当時は、現在のように自動車運転教習所で所定の教習を受けなければ、免許取得出来ない・・というのではなく、いきなり試験場に申し込み、合格しなければ、何回でも受け、免許取得出来た時代だったようで、M男も、自信等有ろうはず無かったが、講習を受けた皆と共に、運転試験に臨んだのだった。(もしかしたら、モグリだったのかな)。今でも覚えているのは、最初に運転した試験車は、テールランプが縦型のセドリックだった(と思う。当時は車の車種もなにもあまり知らなかった)。講習で、ガタン、ゴトン、ブルン、ブルン、空き地で運転したポンコツ車とはダンチであり、まず面食らい戸惑ったが、次第に馴れて、運転免許試験であることすら忘れ、乗用車を運転出来ることにウキウキ、気分良しだった気がする。試験官に、「どこかで運転してたんじゃないの?」って言われて、どう答えていいか分からなかったことが思い出される。ただ、所詮、まともな車で運転練習もせず、学科も、本屋で買った教本、問題集を一夜漬けで臨んだといういい加減さ、実地、学科で、2回、3回落ちた気がする。試験には、1回毎に受験料?が必要で、それがもったいなくて(あるいは、足らなくて)、どんどん、日にちが過ぎてしまい、結局、全部合格し、運転免許を取得できたのが、年末ギリギリ、12月26日だったようだ。当然、その年末年始に帰省した際には、そのことを家族に事後報告したと思うが、「車」、「運転」等に無縁な家族は、びっくり仰天、「なんということを・・」と叱られたような気がする。とりあえず、運転免許証を取得したと言っても、運転する機会等有る分け無しの学生寮生活、実際に一般路上で初めて運転したのは、就職して数年後、運転免許取得してから7~8年後のことで、今でも覚えている。その頃出回り始めたばかりの360CC軽自動車だった。長期出張で勤務先から貸与された車、いきなり運転することになり、どぎまぎ、勝手分からず、緊張、失敗、こっそり、人車の通らない田舎道で、練習したものだった。その場所は、広島県福山市の、直ぐ近くに大きな川が有った気がする道路だった。待った無しの営業で、初心運転者が、よくもまあ、尾道、世羅、御調等を地図を見ながら走り回ったものよと思う。最初に運転免許取得してから60年が過ぎ去り、無事今に至っているが、あの日、あの頃が、遠い昔のことのようにも、昨日のことのようにも思い出される。

最初から 
免許の種類=「普通」「自動二輪」
となっていた免許証。
(注)現在の免許の種類は 「中型」「自動二輪」に変わっている。

(つづく)

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ナツトウダイ(夏灯台)

2022年03月29日 14時45分52秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまでやたら撮ってきた写真は、構わず外付けHDに放り込んで有るが、かなり大量に溜まってきている。時々は、その気になって、不要無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理を進めているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまうことがしょっちゅうで、そんな古い写真を引っ張り出しては、ブログネタにしているところだ。


今から23年前、1999年5月2日に、東京都西部の高尾山で撮っていた、「ナツトウダイ」の写真が目に止まり、引っ張りだしてみた。その頃はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っておらず、プリントしてアルバムに貼ってあった写真をスキャナーで取り込んだ拙劣写真だ。多分、写真を撮った当初は、「君の名は?」だったはずで、花名を知ったのは、かなり後年になってからだった気がする。しかも、しばらくの間、「ナットウダイ」と記憶してしまい、納豆橙?」「納豆代?」・・・、あやふや、いい加減だったように思う。高尾山は、当地からだと比較的気楽に訪れることが出来る山であり、新型コロナウイルス感染拡大、不要不急外出自粛が始まる以前は、毎年、年に数回は訪れていたものだが、最近になっては、体力、気力も減退し、ここ2~3年は、訪れていない。以前訪れた際等には、「ナットウダイ」「ナットウダイ」・・等と注意して歩いたように思うが、その後の写真は残っておらず、多分、うまく撮れなかったのだろう。
「ナツトウダイ(夏灯台)」・・・、今更になって、ネットで調べてみたが、「へー!そうだったの・・」である。

23年前の1999年5月2日に、確か、高尾山から城山、景信山への稜線上で
撮っていた「ナツトウダイ」



(ネットから拝借画像)


ナツトウダイ(夏灯台)

トウダイグサ科、トウダイグサ属、多年草、
    別名「イズナツトウダイ(伊豆夏灯台)」
    和名「夏灯台」は、草の姿形が、油火をともす灯台(室内照明器具)に
    似ていることからついた花名、「夏」の言われは、不明。
原産地・分布 日本、朝鮮半島、中国、(日本固有種)
       日本の各地の低山や丘陵地帯に自生している、
草丈 20Cm~50Cm
花色 緑色
   花は、特有の杯状花序で、茎頭の苞葉の上に付く、
   三日月形の花に、丸い実のような雌花がぶら下がる形で付く、
開花時期  4月頃~5月頃
花言葉 「控え目」「地味」


 

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花鳥に誘われ重い腰を上げ

2022年03月29日 10時59分41秒 | 散歩・ウオーキング

花鳥に誘われ重い腰を上げ、
腰、足、痛!、痛!の爺さん、
歩くことも、リハビリ?のひとつと心得えて、
無理せず、出来る範囲で、歩くことにしている。
ブログネタ探し探しの爺散歩
爺さんも歩けば当たるブログネタ
昨日の散歩・ウオーキングの途中、やたら撮った写真を羅列、

サクラ
満開に近いのもあるが、全体としては6分~7分咲き?といった感じかな

ツバキ

トサミズキ?、ヒュウガミズキ?・・・、
「ヒュウガミズキ」の札が掛かっており

ボケ

ミモザ

君の名は?     レンギョウ     ネモフュラ

コガモ ♂と♀

群スズメ            ツグミ      オオジュリン

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