たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

2週間振りのスイミングレッスン

2017年09月06日 21時41分08秒 | スイミング

通っているスイミングクラブは 毎年この時期、1週間程の休館があります。
今年も 9月2日まで休館でしたが その前後も休んでしまって(サボってしまって) 今日の19時~20時の 成人クラスレッスン水曜日は 2週間振りの出席と相成りました。
2週間もブランクがあると やはり 息は上がるし 追いついていくのが精一杯となります。
後期高齢者とて 無理はしないと決めて掛かっていますが 泳ぎ始めると ついつい頑張ってしまい かなり疲れて帰ってきたところです。
9月第1水曜日の今日は クロール中心のレッスン
ストローク、姿勢、伸ばした手の位置やきっちりしたキック等について 指導を受けました。

レッスン終了の時点で ちょっと足が攣りそうな状態になっており 直ぐ引き上げるつもりでしたが 空いていたフリーコースが有り 結局 居残った TU氏、KAさん、TAさんと 500m泳いでしまいました。

毎度のこと 泳いで帰った後の遅い夕食には 今日は ビールの買い置き無し、焼酎の水割り、ほど良い疲労感とほろ酔いで いい気分になっているところです。
今日も かくして 終わろうとしています。
アリガタヤ、アリガタヤ・・・。

クロールのストローク

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不用品処分命令 その4 「大量のネガフィルム」

2017年09月06日 14時12分06秒 | 断捨離考

先日来 取り掛かっている 2階の押入れの一つの雑物整理、廃棄処分、なんだかんだ有って またまた中断していますが 引っ張り出したダンボール箱の一つを開けてみると なんと 多分 独身時代からのものと思われる ネガフィルムが ごっそり詰まっていました。

フィルムが高かった昭和40年代、就職してから どうしても欲しくなり 初めて買ったカメラは 確か 1コマで2枚写せるタイプのハーフカメラ、オリンパスペンだったと思いますが その当時のネガフィルムまで ちゃんととって有り、我ながら 驚き、呆れてしまいます。
当然 コンデジやデジタル1眼レフを購入するまでのものですが ざっと数えて 210本~220本程 有りました。
よくも 50年以上の間 捨てること無く・・・・。

当時 撮った写真は その都度プリントしてアルバムに貼っていましたので ネガフィルムをとっておく必要は無かったのですが 焼き増しするこも有り得ると考えたのか とりあえずは とっておこうとしたものが たまりたまったものです。

戦後の 物が乏しく貧しい時代に育ち 物は大切にしなければならないという観念が身についてしまい どんなものでも 「もったいない」という気持ちになり とりあえず とっておこうと考えてしまう昭和人間。そのほとんどは とっておいてもなんの役にもたたないもの、後年利用する可能性ゼロのものばかりにも拘わらず 仕舞いこんで そのまま 歳月が過ぎ行く・・・といった調子で 来てしまいました。

雑物整理、廃棄処分を ピッチを上げて進めようと思い立ってから久しいのですが 気が乗る時も有れば 頭から消え去ってしまう時も有り、なかなか進展していません。
時々 気まぐれに取り掛かっても なにか懐かしい物が出てくると 手が止まってしまうこと度々。そろそろ本気にならないと と思っている今日この頃なんです。

懐かしい物が出てきた時、どうしても捨てがたくなる気持ちが起きてしまいますが ケジメを付けることが第一。
先ず 見納めに(記念に)、写真を撮ります。撮った写真は とりあえず 外付けHD等に 保管します。
後日改めて思い出したりすること皆無だと思いますが 写真が残っていることで 気持ちがおさまります。
写真データだけであれば 遺された家族も 消去すれば お終い、誰にも迷惑が掛かりません。

同時に 自分に対して 「不用品処分命令」を下します。
命令ですから 即刻実施です。

上記 大量のネガフィルムにも 「不用品処分命令」を発し ゴミ回収に出して すっきりしたところです。

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はんごうすいさん

2017年09月06日 09時07分23秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

今朝の新聞を読んでいて えっ こんな字を書くの?て びっくりした記事がありました。
「悠仁様が 8月下旬に 長野県白樺湖周辺の林間学校で 飯盒炊爨を 経験された」という記事です。

「飯盒炊爨」(はんごうすいさん)、
昔から使っていた言葉ですが こんな字を書くんですね。目から鱗です。
なんとなく 読むことは出来そうですが いまさら覚えて 書くことは 絶対出来ないと思ったところです。

飯盒炊爨

昭和30年代の学生寮時代、寮の三食は貧弱で、夜中になると腹が減ってしかたなくなり 寮の共同湯沸し場で 飯盒炊爨し 腹を満たしていた記憶が蘇ってきました。当時は 当然 今のようなインスタント物等なく 貧乏学生の集団でしたので、やたら食べ物も買うことなんか出来ず、農家出身学生の実家から送られてきた米を 飯盒炊爨し 寄ってたかって食べていたものです。
炊飯器も無し、鍋も無し、誰かが持っていた飯盒が頼り、本来は 登山、キャンプ等の道具なんでしょうが 実際 野山で使用したことのない爺さん、飯盒炊爨というと そんな若い頃の 寮生活が思い出されるのです。

ネットから拝借した飯盒の写真

今でも キャンプ等で 使う人が多いようで 通販でも安く売られているようです。

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