goo blog サービス終了のお知らせ 

たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その63

2024年10月09日 10時14分43秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「櫛形山」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その63
「櫛形山」(再)

かれこれ27年前、1997年7月に、妻と二人で、山梨県の「櫛形山」を訪れたことが有った。当時はまだ、自営業を続けていた頃で、仕事仕事の日々、とても山歩き等の時間的、経済的、精神的な余裕等無かった頃だったが、その頃、「中高年の山歩き」等というテレビ番組が有り、たまたま、「櫛形山」が紹介された放送を見てしまい、行ってみようかということになったような気がする。
「櫛形山」は 甲府盆地の西に横たわって、丸山、唐松岳、裸山、奥仙重の4つのピークを持っている山で、そのなだらかな稜線は、甲府盆地から眺めると、丁度、和櫛を伏せたように見えることから付いた山名、稜線一帯に、アヤメの群生地があることで有名な山だった。
山の情報や知識にも疎く、山歩き経験も少ない類だけに、「櫛形山」も記憶に残る山旅のひとつになっている。
当時は、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、拙劣写真ばかりだが、ブログを始めてからのこと、プリントしてアルバムに貼ってあった写真を、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことも有った。
改めて引っ張り出し、コピペ、リメイクしたみた。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、写真やメモから記憶を蘇らせている。


歩行ルート・歩程等

県民の森グリーンロッジ駐車場→(中尾根登山道)→祠頭→バラボタン平→櫛形山(奥仙重)山頂→裸山→アヤメ平→(北尾根登山道)→県民の森グリーンロッジ駐車場 
(標準歩行所要時間=約7時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


自宅を夜明け前に出発し、
県民の森グリーンロッヂ駐車場に到着したのは、6時頃だったようだ。
早い時間帯に到着したこともあり、広い駐車場に駐車していた車両は3台だけだった気がする。

ムシムシする樹林帯の中を、ぐんぐん高度を上げて行く。

登山口を出発して、20分程の伐採地には、標高1,000mの標識有り、

キバナノヤマオダマキ

 

マイヅルソウ

 

 

 

フタリシズカ

タカネグンナイフウロ

 

 

途中、櫛形山林道を横切る付近では、富士山がバッチリ眺望出来・・・、

10時50分頃、櫛形山山頂(奥仙重)(標高2,053.5m)に到着、
樹林に囲まれた平坦な山頂、


展望は良くない山頂とされていたが、東側の樹木が伐採されていて、
富士山だけが、眺望出来た。

櫛形山山頂(奥仙重)から折り返し、
尾根伝いに、裸山に向かった。


途中、原生林に林立する巨木の枝幹に絡まっているものは、いったい何?
行き交ったハイカーから教えてもらった。
「サルオガセ」・・・、だった。
櫛形山で、初めて「サルオガセ」を知った夫婦、
以後、「櫛形山」と言えば、「サルオガセ」を、連想してしまうことになってしまった。
「サルオガセ(猿尾枷)」は、「霧藻」等とも呼ばれ、
ブナ等の広葉樹の樹皮に付着する地衣類の総称、
これが繁茂すると、樹木が立ち枯れする等の被害も出るようだ。

 

11時40分、裸山山頂(標高2,002.6m)、
白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)や富士山が眺めらる。

12時頃、アヤメ平に着き、昼食、休憩
アヤメの群生、
2000m級の山頂付近に、アヤメが群生していること自体、
違和感のような驚きも有り、

アヤメ平からは、さらに唐松岳に向かう尾根道が有るが、
北尾根登山道を下り、
13時30分頃、櫛形山林道を横切る。
甲府盆地、八ヶ岳、奥秩父の峰々等が、眺望出来・・・、

下り切ると、高尾伊奈ガ湖林道に出る。
その林道を30分程歩き、
14時30分頃、県民の森グリーンロッジ駐車場に戻り着いたようだ。
蒸し暑い一日で、しかも結構な標高差有り、ロングコースでもあり
全身、汗ダクになったこと、
それでもなんとか頑張って歩き通せた満足感もあったことが、蘇ってくる。
当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ・・・」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、
「櫛形山」もまた、遠い思い出の山になってしまっている。
あの時、思い立って訪ねていて、本当によかったとつくづく思っている。


 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その62

2024年09月27日 20時36分15秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「栂池自然園」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その62
「栂池自然園」(再)

今から17年前、2007年8月13日のこと、
当時は、まだ、母親が北陸の山村で一人暮らしをしていて、認知症が始まり出し、「要支援」状態に入っていた頃で、自営業のスケジュールを調整しながら、妻と二人、その様子見に、毎月のように、車を飛ばし、1泊~2泊で、トンボ返りを繰り返していた頃だったが、毎年、帰省で大渋滞するお盆は避けていた。ただ、その年は、弟の初盆で、墓参りするため、8月10日に帰省、13日の早朝には、実家を後にしたものだったが、帰途、思い立って、「栂池自然園」を訪ねた。
毎度、車で、「安曇野」を通過、北アルプス、後立山連峰等を、横目でチラ見しながらも、時間に追われて、ただただ先を急いでいたものだったが、「少しは、楽しまないと・・」と思い立って、予め、山歩きの準備をしていたのだった。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、撮った写真は、プリントしてアルバムに貼っていたものだが、ブログを始めた後に一度、スキャナーで取り込み、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めたことが有った。その時の写真が、外付けHDに残っており、改めて引っ張り出し、思い出を辿ってみることにした。


歩行コース・歩程等

栂池ロープウエイ栂池自然園駅→栂池自然園入口→ミズバショウ湿原→楠川→展望湿原→風穴→栂池自然園出口→栂池ロープウエイ栂池自然園駅
(標準歩行所要時間=約4時間)

7時頃、栂池高原駐車場(標高831m)に到着。軽く朝食をとり、
7時30分頃、ゴンドラリフト「イヴ」に乗車、
ゴンドラリフト「イヴ」の営業時間は、通常、8時~16時20分だったが、シーズン多忙期のみ、
6時30分から営業されていた。
栂の森駅までの約20分間、ぐんぐん高度を上げ、雲一つ無い碧空の下、鹿島槍、五竜、唐松、白馬三山、小蓮華、白馬乗鞍等、展望を楽しみ・・・、
8時頃、栂大門駅(標高1,580m)で、栂池ロープウエイに乗り換え、
8時5分頃、栂池自然園駅(標高1,829m)に到着したようだ。
数分で、栂池自然園入口・ビジターセンター(標高1,860m)、
ミヤマシシウド、ハクサンボウフウ、オニシオガマ等々の高山植物に迎えられ・・・、

ナナカマド(七竈)

 

       イワショウブ           オヤマリンドウ

 

                         オニシオガマ

 

       イワイチョウ         モウセンゴケ

 

      ミヤマトリカブト         シナノオトギリ

 

     ハクサンボウフウ          チングルマの花柱

 

ワタスゲ

      ゴゼンタチバナ            キヌガサソウ

 

シモツケソウ

   ミヤマアキノキリンソウ

 

     オオバギボウシ         オニシモツケ

 

     オオレイジンソウ         ヒメシャジン

 

振り返り見る栂池自然園

     ニッコウキスゲ        エンレイソウの実(種)

 

栂池自然園最奥部、展望湿原(標高2,010m)には、10時15分頃、着いたようだ。
白馬三山が眼前に展望出来る、栂池自然園最大のビューポイントだが、
ガスが吹き上げ始めており、見え隠れ・・・、
カメラを構えて待機するハイカー、大勢・・・、



展望台(標高2,020m)でも、眼下に雁股池は見えたが、白馬三山は、見え隠れ・・・、

イブキトラノオ

 

オタカラコウの群落

 

                  オオバミゾホウズキ

 

11時55分頃、栂池自然園出口・ビジターセンター前に戻り着き、小休憩。
登山者、家族連れ行楽客、ツアー観光客等で、溢れており・・
早々に下山へ
12時10分頃、栂池自然園駅から栂池ロープウエイに乗車、
栂大門駅からゴンドラリフト「イヴ」で栂池高原駅へ、降り立った。
途中、白馬村の蕎麦屋で、昼食をとり、
出来る限り、中央自動車道の大渋滞にはまらないように、
早めに出発したが、やはり、笹子トンネルや小仏トンネルを先頭にして大渋滞が発生。
ノロノロ運転の連続、家にたどり着いたのは、21時頃になったようで、
クタクタになったような気がする。
「栂池自然園」は、子供が小さい頃、「白馬岳」登山した際に、通過したことが有り、その内いつかは、訪ねて見たいと思いながら、なかなか、実現しなかったもので、その時が初めての入園だった。
その2年後の2009年には、今度は、「栂池自然園」の紅葉風景を一度見てみたい一心で、旅行会社の格安バスツアーで訪れており、斯々然々、「栂池自然園」には、2回訪れたことになる。
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「栂池自然園」もまた、遠い思い出の山旅となっており、あの時、思い立って訪ねて、本当によかったと思っているところだ。


振り返り記事・「紅葉の栂池自然園」
👇️
こちら


 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その61

2024年09月24日 13時38分12秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その61
「アヤメ平から尾瀬ヶ原」(再)

今から15年前、2009年8月に、思い立って、妻と二人、鳩待峠からアヤメ平、尾瀬ヶ原を巡ったことがあった。まだまだ自営業を続けていた頃のこと、切れ目無い仕事の合間を縫っての山歩き、毎度のこと、前日に仕事にケリをつけ、自宅を深夜に出発、山小屋1泊の慌ただしい山歩きだったが、天候にも恵まれ、大満足の山歩きだったような気がしている。


山行コース・歩程等

1日目 鳩待峠→(鳩待通り)→横田代→中原山→アヤメ平→セン沢田代→富士見小屋→
    (長沢新道)→竜宮十字路→ヨッピ橋→東電小屋→赤田代分岐→
    見晴(下田代)十字路・原の小屋(泊)

    (標準歩行所要時間=約5時間30分)

2日目 見晴(下田代)十字路・原の小屋→下田代→竜宮小屋→竜宮十字路→中田代→
    中田代三叉路→牛首→上田代→山の鼻→鳩待峠

    (標準歩行所要時間=約3時間)

(昭文社「山と高原地図・尾瀬」から拝借)


1日目、標高1,591mの鳩待峠駐車場に到着したのは、早朝5時40分頃だったようだ。
駐車可能台数120台とされていたが、すでに山荘前の駐車場はほぼ満車状態、
なんとか滑り込みセーフ駐車出来たが、後続車は、峠下の駐車場に誘導されていた。

持参した朝食を簡単にとり、6時30分頃、「鳩待峠」を出発、「鳩待通り」を、
「アヤメ平」方面に向かう。

 

途中、「横田代」等で、池塘、至仏山眺望等を満喫しながら、
「アヤメ平」には、9時15分頃、着いたようだ。
天上の楽園、池塘、燧岳眺望、満喫

9時40分頃、「富士見小屋」に到着、小休憩、ヤナギランが咲き誇っており・・・、

 

「富士見田代」、池塘に映える逆さ燧?、・・・、のはずが、写って無い、

長沢新道を下り、11時50分頃、尾瀬ヶ原、竜宮十字路(標高1,397m)

 

西方に至仏山

「ヨッピ橋」

「東電小屋」

14時頃、下田代十字路(見晴十字路)(標高1,415m)に到着、
山小屋

入浴、周辺散策、ゆったりした時間が流れ・・・、
山小屋の灯・・・、
消灯は、19時

2日目、7時30分頃、下田代十字路(見晴十字路)の山小屋を出発、
尾瀬ヶ原をゆっくり、のんびり、池塘風景、至仏山、燧岳眺望を満喫しながら、

晴天の下、至仏山

池塘風景、

 

振り返れば、燧岳、

9時30分頃、「山の鼻」に到着、小休憩、
「山の鼻」から鳩待峠までは、標高差200m程の登りだが、
これから尾瀬ヶ原・・というハイカーとすれ違いながら、
順調に歩け、鳩待峠には、11時頃帰着したようだ。

仕事の予定有りで、ゆっくり出来ず、小休憩後、即、帰途に付き、夕方には帰宅、
仕事モードに切り替えたような気がする。
なんとも慌ただしい山旅だったが、天候にも恵まれ、大満足の山旅だったと思っている。


やたら撮った拙劣写真は、数年前に、「フォトチャンネル」にしてあり・・・・。
👇️
「古い写真から蘇る山の思い出・アヤメ平から尾瀬ヶ原」


あの当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ・・・♫」的な気分だったと思うが、足、腰、痛!、痛!、気力体力減退してしまった今となっては、「尾瀬」もまた、遠い思い出となってしまっている。やっぱり、あの日あの時 思い切って行ってきて、本当に良かったとつくづく思っている。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その60

2024年09月22日 11時41分33秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「栂池自然園」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その60
「紅葉の栂池自然園」(再)

今から15年前、2009年9月26日~27日に、旅行会社の格安バスツアーで、長野県の「栂池自然園」を訪れたことがあった。まだまだ自営業を続けていた頃ではあったが、すでに気力も体力も減退し、山歩きも、「その内いつか・・」等と言ってられない歳になっていて、「もう最後のチャンスかも知れない」、「今でしょ!」等とばかり、思い立って申し込み、出掛けたものだったが、ちょうど紅葉が期待通りの見事な時期で、大満足の山旅だった気がする。
足、腰、痛!、痛!、の今となっては、「栂池自然園」もまた、もう二度と訪れることも叶わない、遠い思い出の山旅になっており、あの時、思い切って訪ねて、本当によかったと思っている。
コンデジでやたら撮った写真は、以前、「デジブック」にしていたが、「デジブック」がすでに廃止になってしまったため、3年前に、改めて外付けHDから古い写真を引っ張り出して、自分アルバムとして、YouTubeにしたものが有り、懐かしがっているところだ。

「思い出の紅葉山旅 栂池自然園」


古い写真から蘇る思い出の山旅・その59

2024年09月13日 16時32分05秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その59
「越前岳(えちぜんだけ)」(再)

かれこれ14年前の秋、2010年(平成22年)10月2日に、富士山の南側に位置する愛鷹山塊の最高峰、「越前岳」を訪ねたことが有った。
「越前岳」の山名は、元々知っていたと思うが、それまで、その方面の山を訪ねる機会等まるで無く、初めての「越前岳」だった。たまたま、その夏に、富士山の山麓、十里木に有った、旧い友人H氏の別荘に、初めて招かれ1泊したことが有り、その時に、目の前の「越前岳」を意識してしまったのだった。まだ自営業を続けていた頃だったが、手帳の予定表とにらめっこしながら、思い立って、忙中、敢えて、閑を作り?、早朝、コンビニで、菓子パン、おにぎりを調達、単独、車を飛ばしたのだった。


山行コース・歩程等

愛鷹山登山口バス停→(大沢林道)→愛鷹神社→愛鷹山荘→富士見峠→黒岳展望台→黒岳山頂→黒岳展望台→富士見峠→鋸岳展望台→富士見台→越前岳山頂→十里木高原展望台→十里木駐車場
(標準歩行所要時間=約5時間)

(昭文社・山と高原地図「富士・富士五湖」より拝借)

あらかじめ調べておいた、十里木街道の十里木駐車場(無料)に車を置き、
十里木バス停から、富士急路線バスで、愛鷹山登山口バス停へ、移動。
9時30分頃、「愛鷹山登山口」を、出発したようだ。

180

186

192

194
富士見峠

202_1
11時頃、黒岳山頂(標高1,086.5m)に到着、
小休憩、誰もおらず、
眼下の自衛隊演習地から、大砲の轟音が断続的に響いてくるのみ、

217
雲が纏わり付き、待望の富士山展望は成らず・・、

211

 

216 

鋸岳展望

223_1

富士見台

225

富士見台と岡田紅陽
富士山の撮影に一生を捧げた岡田紅陽は、戦前戦後を通じて幾度か当地へ撮影に来ています。
越前岳から展望する富士山が、三ッ峠や天子ヶ岳等と共にそのすばらしさはよく知られています。
昭和十三年に発行された五十銭紙幣の図案に採用された富士山は、こ
の富士見台から撮影された富士山です。

230

 

233_1

13時30分頃、越前岳山頂(標高1,504.2m)の到着、
流石に人気の山、
家族連れ、夫婦連れ、グループ、女性単独ハイカー等々で、いっぱい。
雲が途切れ始めたので待機してみたが、お目当ての圧巻富士山展望は成らず、残念・・、

240

254 

15時頃、十里木駐車場に帰還したが、
気温高く、湿気が強い1日で、全身汗ダクになってしまった気がする。
帰途に有る温泉施設で一浴・・、のつもりも有ったが、
途中で、急な仕事の電話も入り、
中央自動車道の渋滞を気にしながら、気忙しく、帰途についたような気がする。


因みに、「越前岳」は、福井県(越前)ではなく、静岡県(駿河)にあるのに、何故「越前岳」?
いろいろな説が有るようだが、そのひとつに、静岡県裾野市駒門付近から見ると、「前岳」が高く見え、その「前岳」より向こう側に有る山として「越前岳」と呼んだのだという説が有る。


当時は、まだ、「また来る時には笑っておくれ・・・♫」的気分だったと思うが、今となっては、「越前岳」もまた、二度と訪ねること叶わない、遠い思い出の山となってしまった。

コメント (2)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その58

2024年09月04日 15時23分58秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その58
「浅間尾根(せんげんおね)」(再)

かれこれ26年前、1998年(平成10年)11月8日、妻と二人で、奥多摩の浅間尾根を歩いたことが有った。自営業を続けていた頃であり、たまたま、日曜日、仕事の予定無しで、確か、山梨県方面の山にでも出掛けようかと迷ったものが、行楽のシーズン、中央自動車道の行き帰りの大渋滞を嫌い、急遽、奥多摩の「浅間尾根」に切り替えたような気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、フィルム代、プリント代を気にしながら撮った写真は、ほんの数枚だが、プリントして、アルバムに貼って有り、以前スキャナーで取り込んだものが、外付けみHDに残っており、改めて引っ張り出し、思い出を辿ってみることにした。


山行コース・歩程等

仲ノ平バス停→藤原峠→一本松→浅間嶺山頂→峠の茶屋(高嶺荘)→時坂峠→払沢の滝駐車場
(標準歩行所要時間=約4時間)

(昭文社・山と高原地図「奥多摩」より拝借)


自宅を、早朝6時頃、出発、7時頃には、払沢の滝駐車場に到着したようだ
車を駐車場に駐車し、歩いて桧原街道へ戻り、
吉祥滝バス停、7時30分頃発の、西東京バス数馬行きに乗車したようだ。
8時頃、仲ノ平バス停で下車、
「浅間尾根舟久保登山口」という小さな標柱が有り、民家の脇を通って杉林に入った気がする。
いきなり、ジグザグの急登?、一汗かいて、
8時50分頃、浅間尾根上縦走路に到着、
やれ、やれ、の休憩、

 

日曜日とあって、何組ものハイカーと行き交いながら、
快適な尾根道を東へ・・・、

次第に展望が良くなり・・・、

御前山も・・・、

浅間嶺小広場(標高839m)には、休憩所、トイレも有り・・、

11時15分頃、浅間嶺山頂(標高903m)に到着

グループ等、大勢のハイカーでいっぱい、
桜並木展望台有り、北方に御前山、大岳山、南方には、笹尾根、富士山の頭も見え、
時間に余裕有り、昼食、休憩、たっぷり約1時間、

12時30分頃、十字路(標高839m)を通過、ひらすら下り、
途中に、瀬戸沢の一軒家(高橋季博)、民家(国司昭夫)が有り、
13時15分頃、峠の茶屋(高嶺荘)に到着、

 

「浅間尾根道」解説板

奥多摩の主稜線から尾張峠でわかれ、
東西にゆるやかな上下をくりかえすのが浅間尾根です。
浅間という名称は富士山の見られる所につけられており、
この尾根からも時々、富士山が遠望できます。
この尾根につけられた道は、以前は南・北両秋川沿いに住む人々が
本宿・五日市に通う大切な生活道路でした。
また、甲州中道とよばれ、江戸と甲州を結ぶ要路となっていたこともあります。
昭和の初め頃までは檜原の主要物である木炭を積んだ牛馬が
帰りには日用品を積んでこの道を通っていました。

峠の茶屋からは、車道歩きとなり・・、
13時30分頃、時坂峠(標高480m)を通過

時坂峠からは、樹林帯の中の急下降となり、

10月桜?

14時頃、払沢の滝駐車場に、帰着、

「浅間尾根」は、いわゆる「登山道」ではなく、かって山里と町を結ぶ交易路だったもので、当然、緩やかなアップダウンの安全な尾根道で有り、春の桜、新緑、秋の紅葉、冬の雪踏み、四季を通じ楽しめるハイキングコースとして人気が高く、一度は訪れてみたいと思っていて、その日思い立って出掛けたものだった。
残念ながら、紅葉時期にはちょっと早過ぎ、中途半端だったが、三頭山、御前山、大岳山等、奥多摩の山々や、笹尾根の上から富士山も遠望出来て、快適な山歩きだったような気がする。
当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ♫」的な気分だったと思うが、今となっては、「浅間尾根」もまた、二度と訪れること叶わない思い出の山となってしまっている。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その57(5)

2024年08月20日 13時30分16秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57
「白馬三山と白馬鑓温泉」(再)
(5)
「白馬鑓温泉で一浴後、猿倉へ」


10時15分頃、白馬鑓温泉小屋に到着、
白馬鑓温泉は、標高2,050mに有り、
標高2,100m付近で湧き出す日本最高所の天然温泉。
登山口猿倉から直接向かっても、4時間は掛かる雲上の温泉。
登山者だけが、味わえる至福の温泉。
長年の願いが叶った瞬間だった。
中途半端な時間帯の到着で、入浴する人も少なかったが、
まずは、露天風呂で一浴。(入浴料=300円)、
苗場赤湯温泉の女将さん?(74歳)等、女性3人等と混浴。
小屋の裏の巨大な岩の割れ目から勢い良く湧出する、43℃~45℃の源泉掛け流し、
日焼けした肌には厳し過ぎ、飛び上がってしまったが、
次第に慣れ、至福のひととき。


(参考・参照)
👇️
白馬鑓温泉小屋公式ホーム・ページ
(2024年現在)


白馬鑓温泉滞在、約1時間、
11時15分頃、猿倉に向かって出発、
小屋直下の雪渓の下に、温泉が無尽蔵に潜り込んでいる風景、
モッタイナイナー!、等とつぶやきながら・・・、。
周辺には、ミヤマキンポウゲの群落

カライトソウ?

ミヤマトウキ?

クガイソウ

ミヤマダケブキ

 

     オタカラコウ?        ウサギギク?

 

                          ニッコウキスゲ

 

シモツケソウ

雷岩、山腹をトラバースする緩い登り、
周辺は、お花畑、

   ミヤマトリカブト

 

     オオバギボウシ         シナノオトギリ?

 

 12時30分頃、小日向のコル、     小日向のコル下湿原で昼食タイム、

 

イワギキョウ

    ヤマジノホトトギス        キヌガサソウ?

 

白馬鑓温泉から猿倉までは、下りでも、長い長い道程だった。
白馬鑓温泉で一浴し、気をよくしたこと等ご破算?、
全身汗だく、ヘトヘトに疲れ切って 
15時頃、猿倉に帰還したようだ。

1日目、大雪渓を登り詰めた葱平付近で、登山靴の靴底が突然パカーンと剥がれ、一瞬泡を食った山旅ではあったが、なんとか応急処置で最後まで歩くことが出来、お目当ての高山植物にも出会え、念願だった白馬鑓温泉一欲も叶い、大満足の山旅だった気がする。
当時はまだ、多少は、「また来る時にも、笑っておくれーー♪」的な気分だったはずだが、今となっては、白馬岳もまた、二度と訪れること叶わない遠い思い出の山となってしまっている。

(おわり)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その57(4)

2024年08月18日 16時46分11秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57
「白馬三山と白馬鑓温泉」(再)
(4)
「杓子岳、白馬鑓ヶ岳、大出原(おいでっぱら)」


2日目は、午前5時頃、白馬山荘を出発、
丸山、杓子岳、鑓ヶ岳、白馬鑓温泉方面に向かったようだ。
東方には、越後の山々等が、雲海に浮かび・・・・・。
まずまずの天気に安堵・・、

西方には、劔岳、立山連峰の雄姿、


振り返り見る白馬岳、

杓子岳、鑓ヶ岳へ向かう、快適な尾根歩き。

白馬鑓ヶ岳への登りで、小休憩、

杓子、そして、白馬、小蓮華に続く稜線、
実に良き眺め・・・・、

鑓ヶ岳山頂(標高2,903.1m)

 

8時15分頃、後立山縦走路(主稜線)から外れて左へ
大出原、白馬鑓温泉に向かって下る。

急斜面の砂礫地帯に、コマクサの群落がみられ・・・、

クルマユリ

お目当ての一つだった、大出原(おいでっぱら)には、8時30分頃着いたようだ。
高山植物の宝庫、一面、お花畑。

ハクサンコザクラ         ハクサンフウロ

 

   テガタチドリ?

 

チングルマの群落                 ヨツバシオガマ

 

チングルマの花柱

 

大出原で、約1時間、休憩、お花畑を堪能、
9時30分頃、大出原下部を出発、白馬鑓温泉に向かって下る。
途中、一部に鎖場もあり・・・・、

やがて、下方に、白馬鑓温泉の建物が見えてきて・・・・、

10時15分頃、白馬鑓温泉に到着したようだ。

(つづく)

コメント (4)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57(3)

2024年08月17日 09時20分10秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57
「白馬三山と白馬鑓温泉」(再)
(3)
「白馬岳山頂」


14時30分頃、白馬山荘にザックをデポし、白馬岳山頂に向かう。
爽快、360度大パノラマ。「ヤッホー!」気分。
南方に、杓子岳、白馬鑓ヶ岳、

劔岳、立山方面

14時45分頃、白馬岳山頂(標高2,932.2m)に到着、

 

ブロッケン現象

しばし、山頂気分を堪能し、
15時頃には、白馬山荘に戻ったようだ。

2日目の好天を期待しながら、周辺散策・・・、

収容人数1,500人という日本一大きな山小屋,白馬山荘に宿泊、
全てが整っており快適、おしゃれな展望レストランは満員。
夜空、星を撮るカメラも無し、腕も無しで、
バタン、キューで、寝入った気がする。

(つづく)

コメント (2)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57(2)

2024年08月16日 11時01分51秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その57
「白馬三山と白馬鑓温泉」(再)
(2)
「葱平から お花畑、白馬山荘へ」


10時45分頃、葱平(ねぶかっぴら)を出発、

 

葱平周辺から上部への登山道の両側には、お花畑は広がり・・・、、
さすが「花の百名山」の一つ「白馬岳」、
高山植物の宝庫、お目当てのお花畑に、足が止まってしまい・・・・。

     クルマユリ            ミヤマキンポウゲ?

 

 

 

オタカラコウ?

 

 

ミヤマトリカブト

                      ミヤマクワガタ?

 

イワオオギ

    ハクサンフウロ             ミヤマダイモンジソウ

 

ミヤマシシウド?

イワギキョウ

 

ヨツバシオガマ

ミヤマアケボノソウ

 

村営頂上小屋の横を通り、尾根筋に上がると、さらに展望が広がり、
南方に、翌日歩く予定の杓子岳と白馬鑓ヶ岳の雄姿、

ウルップソウ

白馬山荘まで、あと少し・・・。
寝不足と疲労、気温上昇で、足取りが重くなり、一歩、一歩・・・、

13時頃、白馬山荘に到着。

早速、山荘前のベンチで、昼食タイム。
素晴らしい展望を堪能しながら、大休憩。
休憩中、女子中学生の大集団も到着、山荘周辺が一気に賑やかになった。

(つづく)