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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その72(1)

2024年12月11日 09時48分08秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その72(1)
「二度目の苗場山・老いらく山行」(再)


「苗場山」は、かれこれ25年前の1999年6月に、当時、一時所属していた山の会の仲間と、初めて訪れていたが、「どうしても、もう一度訪ねてみたい山」の一念が有り、その17年後の2016年8月に、ようやく、妻と二人で訪れることが出来たのだった。
当時はまだ自営業を続けていた頃で、時間的、精神的、余裕の無い頃だったが、すでに、「その内いつか」等と言ってられない歳となっており、「今年こそは!・・・」と思い立ち、お盆を過ぎてから、前日までに仕事のけりつけ、夜中に自宅を出発、山小屋1泊の、慌ただしい山歩きをしたのだった。
この「二度目の苗場山」も、だいぶ前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に、書き留めていたが、コピペ、リメイクし、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

第1日目 第2リフト町営駐車場→和田小屋→(祓川コース)→下ノ芝→中ノ芝→上ノ芝→
     小松原湿原分岐→股スリ岩→神楽ヶ峰→富士見坂→雷清水→お花畑→雲尾坂→
     苗場山山頂・苗場山自然体験交流センター・苗場山頂ヒユッテ(泊)
     (標準歩行時間=約4時間30分)
第2日目 苗場山山頂→雲尾坂→お花畑→雷清水→富士見坂→神楽ヶ峰→股スリ岩→
     小松原湿原分岐→上ノ芝→中ノ芝→下ノ芝→和田小屋→第2リフト町営駐車場
     (標準歩行時間=約3時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


深夜に起床、自宅を出発、関越自動車道を快走し、
「湯沢IC」から、国道17号線を「三俣」まで戻り、
「三俣」から、車でおよそ25分~30分、
8時頃、「第2リフト町営駐車場」(標高約1,200m)に、到着したようだ。
駐車場満車を懸念していたが、余裕有りで安堵、ゆっくり準備をした気がする。

 

 

 

天気良し、気分良し、
とは言え、老いらく2人、
途中で、へばることも想定、
身体と相談しながら、
無理と判断したした場合は、潔く引き返すことも
念頭にいれながら、
8時30分頃、「第2リフト町営駐車場」を出発、
9時頃には、「五合目・和田小屋」(標高1,370m)に到着、

 

 

 

 

 

 

 

和田小屋からしばらくは、冬季、ゲレンデになる急登を登り・・・

次第に、湿気の有る樹林帯に入っていく・・・、

 

 

 

ガケカンバ

樹林帯の中の急登、汗だくになり、喘ぎ、
「稲荷大神」で、休憩、一息ついていた時、
目の前でちょこまか動く小さな生き物が有り、
「ナンダ?」、
逃げる様子もなく、親しげに周りを掛け回っており、
慌てて、カメラを向けたが、すばしっこい動きについていけず、
ほとんどが、ピンボケ。
なんとか、2~3枚、撮れ・・・、
家に帰ってから、調べてみたら、「オコジョ」だった。
山歩き中に、「オコジョ」に出会ったのは、もちろん初めてのこと、
以後、「苗場山」と聞くと、「オコジョ」を、思い浮かべることになってしまった。

 

                        モウセンゴケ

 

 

 

 



 

急登の連続・・・、

 

10時30分頃、「下ノ芝」(標高1,703m)で、小休憩、

 

湯沢方面?だろうか・・、

11時30分頃、「中ノ芝」に到着、
ここで、大休憩、早めの昼食としたような気がする。

 

「上ノ芝」を経て・・・、

 

12時30分頃、「小松原湿原への分岐点」に到着、
急登と蒸し暑さで、かなり、ペースダウン、
まだまだ、先が有り、これからが本番?、・・・・、だが、
なんとか、大丈夫そう?、
体調を気にしながら、「神楽ヶ峰」「苗場山」方面に向かったのだった。

(つづく)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その71

2024年12月08日 15時56分40秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その71
「初めての苗場山」(再)


かれこれ25年前の1999年6月に、当時、一時所属していた山の会の仲間と、「苗場山」を訪れたことが有った。それまで、上信越地域の山には、ほとんど訪れたことが無くて、当然、「苗場山」も初めて訪れる山、不安と期待を抱きながら参加したような気がしている。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケットサイズのフィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、ピンボケ、拙劣写真ばかりだが、撮った写真は、プリントして、アルバムに貼ってあり、「OCNブログ人」でブログを始めてまもなくの頃、スキャナーで取り込んで、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留め置いたことが有ったが、その写真が、外付けHDに残っており、久し振りに引っ張り出して、改めて「古い写真から蘇る思い出の山旅」の一つに加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


深田久弥著 「日本百名山」
「苗場山(なえばさん)」
(一部転載)

わが国には郷土人がそれぞれ自慢にする山を持っていて、校歌や市町村歌はもちろん、民謡にまでその山の名が取り入れられる。駿河の富士山、越中の立山、加賀の白山、といった風に、たいていの国にはその代表的な名山がある。
ところが、信州や越後のように面積が広くて、しかも山が多い国では、その代表をきめるのはむつかしい。越後ではどこだろう。米山や弥彦山はさておいても、北越には飯豊山、中越(魚沼)には、八海山、南越(頸城)には妙高山、などの立派な山がある。
「苗場山は越後第一の高山なり」で始まる鈴木牧之(すずきぼくし)の「苗場山」によって、この山もまた越後の名山であることが広く知られた。もっとも越後で最高ではない。妙高、火打の方がずっと高い。
大たい昔から名山と称せられているものは、平野からよく見える山である。ところが苗場山は奥山で,街道筋からは見えない。そんな隠れた山に、どうして古くから社が祀られたり参拝者が登ったりするほど、あがめられたのであろうか。
鈴木牧之の住んだ塩沢町のある魚野川の谷からも、苗場山は見えない。終戦後私は越後湯沢に住んだことがあって、その裏の大峰へ幾度か登ったが、たしかこの頂上からも神楽ヶ峰(かぐらがみね)が邪魔して、苗場山は見えなかった。大峰から高津倉山の方へ進むと、初めてあの厖大(ぼうだい)な背を持った苗場山が現れてきた。
おそらく魚沼の住人も、朝夕苗場山を仰ぐというわけにはいかないが、時たま高いところへ登った時、前山の彼方にこの山を見つけて、それを言い伝え、おのずから信仰の山となったのであろう。
(中略)
この奥山が東京から見えると言ったら、おどろく人があるかもしれない。小暮理太郎氏がそれを証明した。山岳展望に熱心だった小暮さんはいろいろ検討の末ついにそれを認めた。東京から見える山の中では、一番遠く、直径にして約百六十キロあるという。もっとも見える日は一年を通じて四、五日に過ぎないそうだから、普通の東京人には無縁である。
(中略)
私が登ったのは、もう四十年前の大正十四年(1925年)の五月で、まだ上越線も沼田までしか通じていなかったから、そこから歩いて三国峠を越え、清津川を遡って赤湯へ入った。無人の赤湯で一晩泊まって、翌日熊ノ沢から登ろうとしたがどうしても道がわからず、断念して清津川を引き返す途中、温泉宿の人の上ってくるのに出会った。再び赤湯に戻り、翌日宿の人から聞いた道で、難なく頂上に登った。曇っていて眺めは利かず、あのだだっ広い頂で、五月半ばだというのに吹雪に出あった。それ以後私はスキーで神楽ヶ峰までは二度登ったが、その上から苗場を眺めただけで、まだ再遊を果たさずにいる。


山行コース・歩程等

1日目、かぐらみつまたスキー場第2リフト町営駐車場→和田小屋→下の芝→中の芝→
    上の芝→神楽ヶ峰→雷清水→苗場山山頂・苗場山頂ヒュッテ(泊)
    (標準歩行所要時間=約4時間30分)、
2日目、苗場山頂(苗場山頂ヒュッテ)→苗場山頂湿原南東端→(昌次新道)→
    フクベノ平→赤湯→見返りの松→鷹ノ巣峠→(赤湯林道)→元橋、
    (標準歩行所要時間=約7時間)、

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


1日目、
各自、上越新幹線や在来線や他の交通手段により、
午前9時に、JR越後湯沢駅改札口に集合。
JR越後湯沢駅からは、2台のジャンボタクシーに分乗、
苗場山登山口・かぐらみつまたスキー場に向かったようだ。
午前10時頃、町営駐車場を出発、
梅雨の真っ只中、雨覚悟の山行でしたが、
出発時点では、時々青空も見え、気分は弾んでいたようだが、
高度を上げるにつれ、すっぽり雲に覆われてしまい、
展望全く無し、
10時30分頃、「和田小屋(標高1,380m)」に到着、
冬季はゲレンデになる斜面を登り、次第に樹林帯になり、
急登の連続、ひたすら、ベテランの山仲間のペースに合わせて、
歩むのみだった気がする。
11時30分頃、「下の芝(標高1,703m)」に到着、
周辺はお花畑、昼食、休憩、
当時はまだ、高山植物にも疎く、珍紛漢紛だったが、
草花に詳しい女性達から
あれは◯◯、これは◯◯、
花名を教えられながら・・・、
「中の芝」、「上の芝」、「小松原への分岐」を辿り、

足元に咲いていた、ショウジョウバカマ(猩猩袴)、
教えてもらい、その時、初めて知った花名だった。

                   コイワカガミ

 

    イワイチョウ(岩銀杏)?        ギンリョウソウ?

 

チングルマ?

      ワタスゲ(綿菅)、

 

ハクサンチドリ(白山千鳥)

ベニサラサ?

      シラネアオイ(白根葵)、     ウラジロヨウラク?

 

13時30分頃、「神楽ヶ峰(標高2029.6m)」からは、
いったん急下降し、「雷清水」を経て、
「雷鳥坂」の急登を登り返すと、
苗場山山頂湿原北東端に・・・、

残雪と池塘の風景が広がるが、ガスが掛かり、視界10数メートル、

14時45分頃、「苗場山山頂(標高2,145.3m)」に到着したようだ。
時々、ガスが切れ、
期待していた、湿原、池塘風景が広がり、
早速、周辺散策、


ところが、再び、天候急変、悪化、
濃いガスが掛かり出し、展望、全く叶わずになってしまい・・、
宿泊先の山小屋「苗場山頂ヒュッテ」に戻り、
食堂に集合、懇親会となったような気がする。
夕食は、18時30分からだったが、
21時の消灯時間まで、仲間と交歓したのだった。


2日目、
5時に起床したが、風雨共激しく、最悪の状況。
しかし、リーダーの判断で、予定通りのコースを辿ることになり、
6時30分頃、「苗場山頂ヒュッテ」を出発、
濡れた木道を辿ると、
池塘のほとりには、チングルマ、イワカガミ、ショウジョウバカマ、ヒメシャクナゲ、イワイチョウ、ワタスゲ、が激しい風雨に揺れており、
女性達の歓声も聞こえ、立ち止まるも、
カメラ等、取り出せる状況でなく、ひたすら前進するのみ、
7時頃、苗場山頂湿原東端地点(標高2,088m)に着き、
急下降が始り、「昌次新道」へ。
岩、泥、根っこ、の悪路、
9時頃、「フクベノ平」を経て、
「赤湯」直前の鉄橋、渡渉箇所では、増水しており危険な状況だった気がする。
ギリギリセーフで通過。
11時頃、「赤湯」・山口館前に到着、
雨は降り続いていて、ぐっしょり濡れた状態だったが、
軒先を拝借して、昼食タイム。
僅かな休憩時間に、ベテランの女性数人が、
雨中、露天風呂に入浴したようで、アッパレだった、
秘湯、赤湯を、二度と訪れること等叶わなくなった後年になってからのこと
あの時、赤湯で一浴出来なかったこと(一浴しなかったこと)を、
悔やんだものだった。
14時頃、全員無事、「赤湯林道ゲート」に到着、
「元橋」までの予定を省略し、
予約していたタクシーに分乗し、
JR越後湯沢駅に、帰還したのだった。
2日目の写真は、1枚も無い。
最悪の天候の中、写真どころではなく、
高山植物数多有りだったが、余裕が無かったということだ。
初めて、山の仲間と訪れた「苗場山」は、
自然の厳しさを教えてくれた山だった。

その17年後の2016年には、「苗場山は、どうしても、もう一度訪ねたい山」の一念が有って、妻と二人で訪れたものだが、足、腰、痛!、痛!、の今となっては、「苗場山」もまた、遠い思い出の山となってしまった。それにしても、よくもまあ、2度も「苗場山」を訪ねることが出来たものよと、我ながら信じがたい気もしている。

 

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古い写真から蘇る思い出の山旅・その70(2)

2024年12月01日 16時00分56秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その70(2)
「西岳・権現岳・三ッ頭」(再)


第2日目
前夜には、好天を期待していたものだったが、山の天気は分からないもの、
夜半から強風が吹き荒れ出し、
小屋の窓ガラスのガタガタ鳴る音で目覚めた。
ガスも、ものすごい勢いで流れており、
リーダーが、出発予定時間を1時間遅らせる判断をした。
8時頃になり、ようやく風が弱まり始め、「青年小屋」を出発、
予報通り、天候は、急速に回復し、ガスも途切れて・・・、

振り返リ見る、青年小屋と編笠山、

      ヨツバシオガマ            イワギキョウ

 

     イブキジャコウソウ?        ミヤマダイコンソウ?

 

 シロバナヘビイチゴ?             

 

ハリブキ

権現岳ノロシバ

 

高度を上げるに従い展望が広がり出し、八ヶ岳主峰赤岳も・・、

 

 

「ノロシバ」、「ギボシ」から、権現岳に向かう鞍部にある「権現小屋」。
フィルムの予備持参を忘れていて、権現小屋で購入した記憶が有る。

10時15分頃、「権現岳山頂(標高2,715m)」に到着したようだ。
狭い山頂で、証拠写真?


権現岳からは、一旦下り・・・、
三ツ頭の後方には 富士山も、雲間にチラッと見え、歓声!、

11時20分頃、「三ッ頭山頂(標高2,580m)」に到着、
展望良好、
権現岳から辿ってきた登山道、八ヶ岳主峰赤岳や阿弥陀岳をバックに証拠写真?

「三ッ頭山頂」からは、明るい尾根歩きで、
「前三ッ頭(標高2,364.m)」を経て、
高山植物に詳しい女性陣から、花名を教えられながら、
下山に掛かった気がする。

 ミヤマハンショウヅル?       ミヤマオトコヨモギ?

 

       ミヤマキンポウゲ?          ハクサンイチゲ?

 

    カニコウモリ?            ミヤマキンバイ?

 

14時30分頃、「天女山山頂(標高1,528.8m)」に到着、
駐車場有り、あずまや有り、観光客、行楽客わんさかだった気がする。
休憩無し、そこからは、カラマツ林の遊歩道を下山、
15時頃、八ヶ岳高原道路・「天女山登山道入口」に到着したようだ。
計画書では、「JR小海線甲斐大泉駅」まで歩く予定だったが、
「青年小屋」出発時間が1時間遅くなったこともあって、
省略し、そこからは、タクシーを呼んで、「JR中央線小淵沢駅」に戻る旨、
リーダーの説明が有り、タクシー到着までは、ショートミーティング。
計画通り、JR中央線小淵沢駅、15時42分発、普通列車・高尾行に乗車し、
帰途についたのだった。
当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ・・・」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、
「西岳・権現岳・三ッ頭」もまた、遠い思い出の山になってしまった。
あの時、思い立って訪ねていて、本当によかったとつくづく思っている。

(おわり)

 

コメント (2)

古い写真から蘇る思い出の山旅・その70(1)

2024年11月28日 11時15分45秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、6年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「西岳・権現岳・三ッ頭」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その70(1)
「西岳・権現岳・三ッ頭」(再)

かれこれ26年前の1998年7月に、一時所属していた山の会の仲間と、「西岳・権現岳・三ッ頭」を訪れたことがあったが、その時の写真が古いアルバムに貼ってある。
当時は、すでに、デジタルカメラが普及し始めていた頃だったと思われるが、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っておらず、拙劣な写真ばかりだが、ブログを始めたばかりの頃、スキャナーで取り込み、外付けHDに保管して有る。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、写真を見ると、あの日あの場所が思い出される。


山行コース・歩程等

第1日目 富士見高原ゴルフ場登山道入口→不動清水(長命水)→
     西岳山頂→(源治新道)→乙女の水(金命水)→青年小屋(泊)
     (標準歩行所要時間=約6時間)

第2日目 青年小屋→権現小屋→権現岳山頂→三ツ頭→前三ツ頭→
     天ノ河原→天女山山頂→八ヶ岳高原道路天女山登山道入口
     (標準歩行所要時間=約7時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

第1日目
9時45分にJR中央線小淵沢駅前に集合、タクシーに分乗して、
富士見高原ゴルフ場登山道入口へ向かったようだ。
10時30分頃、登山道入口を出発、
しばらくは、カラマツ林、樹林帯の中、強い日射しは当たらないものの、
蒸し暑く、付きまとう虻(あぶ)の群に悩まされながらの登り・・・、

       ゴゼンタチバナ          マイヅルソウの実(種)

 

シャクジョウソウ

高度を上げるに従い、展望が開け・・・、
南方 甲斐駒、北岳 等々が・・・、

ハクサンシャクナゲ

 

  ミネウスユキソウ?          タカネスミレ?

 

タカネバラ?

右方に 編笠山を望みながら・・・、

14時30分頃、西岳山頂(標高2,398m)に到着、
八ヶ岳方面の展望抜群・・、

西岳山頂からは、いったん下り、源治新道を辿る、
途中に、「乙女の水(金命水)」が有り、水補給。

16時30分頃、青年小屋(標高2,380m)に到着、
入口の「遠い飲み屋」赤ちょうちんと、縄のれんが、印象的な山小屋。

 

編笠山


余裕の有る山小屋泊山行とて、夕食前に、先ずは ビールで乾杯し、
18時に夕食、20時頃には、就寝したようだ。

さらに、「青年小屋」について、「青年小屋経営者・日本山岳ガイド協会理事・シンガーソングライター竹内敬一氏」について、下記のメモが残っていた。


窓からは、夕陽に映える編笠山が望める。静かに暮れ行く山小屋のひととき。夕食後、談話室に全員が集まって、小屋主の竹内敬一氏のギター弾き語りを聴いた。小屋主おごりの酒を飲みながら、フォークソング談義、まだ若い小屋主の生き様に感動。コーヒー1杯注文しても、フランス料理店のようなおしゃれな容器で出され、そのこだわりに、女性陣からは歓声が上がる。
山小屋の入口には、「遠い飲み屋」の赤ちょうちんが、ぶら下がっている。
家庭的な雰囲気、くつろげる空間、いろいろな工夫、細かい気配り、こだわりのおしゃれムードが溢れている。
酒を酌み交わし、星空を眺めながら、夜遅くまで、山を、人生を、語り合う、そして歌う、そんな山小屋なのだろう。
小屋主は、数日後には、東京の国分寺駅ビル・ホールで、ミニコンサートを催すとのこと、やはり、ユニークな魅力的な人物、酒をグイグイ飲みながら歌う、いい声している。
星空が広がって、明日の好天が期待される。
満ち足りた1日だった。
小屋主から、「もっと付き合ってよ」と引き止められながらも、20時には散会、眠りについた。


(つづく)


古い写真から蘇る思い出の山旅・その69

2024年11月17日 17時02分59秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「景信山」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その69
「ぶらーり景信山」(再)

それほど昔のことではなく、7年前の2017年6月のある日、当時はまだ自営業を続けていた頃だったが、たまたま仕事の予定が無かった午前中、好天に誘われて ちょこっと 山歩きしたい気分になり、10時頃になってから、急遽思い立って、夏山歩きの足慣らし山歩のつもりも有って、景信山へ出かけたことが有った。

山行コース・歩程等

小仏峠下駐車場→(ヤブ沢コース)→景信山山頂→(南東尾根コース)→小仏峠下駐車場 
(標準歩行所要時間=約2時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

午後には仕事の予定が有ったのだろう、時間節約のため、車で、小仏バス停のさらに先にある駐車場まで入り込み、ヤゴ沢コースを登り、景信山山頂へ、そして、南東尾根コースを下って、駐車場に戻ることにしたのだった。

遅い時間の到着とて、仕方ないこと、
狭い駐車場は、ほぼ満車状態。なんとか工夫して駐車。


ヤゴ沢コースは、昭文社の「山と高原地図」には載っていないこともあって、その日、初めて歩くコースだった。
駐車場から小仏峠に向かって出発して直ぐに、特に景信山への案内板、道標等無いが、右方、ヤゴ沢作業道に入る。

しばらくは、水音も涼しい沢沿いの緩やかな登りで、良く整備されていた気がする。

3回ばかり、沢を渡り、左岸、右岸を歩き・・・、

水場。カップが置いてあり、喉を潤すことが出来る。

フタリシズカ

ヤブレガサ

水場を過ぎる辺りから、
薄暗く、ヒンヤリした杉林の中のジグザグ急登になり・・・、

駐車場を出発してから、およそ1時間で、
稜線上、高尾山・陣馬山縦走路(奥高尾縦走路)に、飛び出すが、
ここにも、ヤゴ沢コースへの案内、道標は無い。
この合流点から景信山山頂には、数分で到着する。

メインコースを、高尾山方面に向かう女性ハイカー、

景信山山頂(標高727m)に到着。

茶店は、営業していなかったが、丁度、お昼時、
見晴らしのいいテーブルは、女性グループ等で、いっぱいだった。 

新宿高層ビル群やスカイツリー、
やや霞んでいたが、一望出来・・・・、

大休憩の後、下りに掛かった。

小下沢への分岐

大胆な間伐

景信山登山口

駐車場には、13時頃、戻り着いたようだ。
満車状態のままで、他県ナンバーも数台有り、入れ替わり立ち替わり
駐車していた様子だった。

駐車場の近くに有った白い葉の木、マタタビ?

スマホの歩数計で、約7,000歩。
たいした運動にはなっていなかったようだが、
仕事の合間の気分転換になったような気がする。

 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その68

2024年11月11日 14時30分37秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その68
「湯ノ丸山」(再)

かれこれ27年前の1997年6月に、妻と二人で、長野県の東部、群馬県との県境にある「湯ノ丸山」を訪れたことが有った。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕も、精神的余裕も無かった頃だったが、6月下旬の土曜日、たまたま仕事の予定無しで、「6月上旬から下旬にかけて、山肌を真っ赤に染める湯ノ丸山のレンゲツツジの花期も終盤」等という情報も目にして、折しも、台風8号が九州に接近中、梅雨前線が刺激され、各地で大雨という天気予報が出ていて、甲信越地方も、まったく天気回復の見込み無しの、最悪の状態だったが、「現地に行って見なけりゃ分らない・・・」、等と、一縷の望みを持って強行した気がする。


山行コース・歩程等

地蔵峠駐車場→つつじ平→湯ノ丸山山頂南峰・北峰→つつじ平→地蔵峠駐車場 
(標準歩行所要時間=約2時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


毎度のこと、自宅を夜明け前に出発、
関越自動車道、上信越自動車道、小諸ICから国道18号線を走り、
7時頃、湯ノ丸高原、「地蔵峠駐車場(標高1,700m)」に着いたようだ。
国道18号線走行時には、やや雨雲が薄れ、天気回復を期待したりもしたが、
標高を上げるに従い、雨脚が酷くなり、駐車場到着時は、
「どうする?」、状態。
車の中で、思案しながら、一時待機。
諦めて、信州ドライブ旅にでも、切り替えようかと迷ったが、
続々とハイカーの車が到着、
みるみる、駐車台数が20台前後にもなり、
次々と雨具着用で出発していくハイカーを見て、
「その内いつかまた・・・」なんて言ってられないという思いも有り、
背中を押され、やおら 雨具、スパッツを着用、出発と相成った。
もともと、レンゲツツジの見頃は、梅雨時期と重なるため、
雨降りは覚悟は上で、その準備はしていたのだったが・・・。
雨中山歩きだったこともあり、
バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、
証拠写真?的スナップ写真、数枚しか撮っていなかったが、
プリントした写真が古いアルバムに貼って有る。
ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、
ブログに書き込んだことが有ったが、
その写真、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、
コピペ、リメイクしてみることにした。

7時15分頃、「地蔵峠駐車場」を出発、

       ゴゼンタチバナ、          コイワカガミ

 

つつじ平
レンゲツツジの群落、

9時頃、湯ノ丸山山頂(南峰)(標高2,103m)に到着、
残念ながら、雨は降り止まず、大展望叶わず、

 

9時15分頃、大きな岩が積み重なったような、
湯ノ丸山(北峰)山頂に到着、

 

お目当ての360℃大展望は、叶わずだったが、
一瞬、ガスが途切れ、眼下の「つつじ平」の景観が見られ・・、
ラッキー!、

天候が良ければ、湯ノ丸山から、さらに鳥帽子岳往復も予定していたが、
中止し、下山することにした。
皮肉にも、下山途中から雨が上がり始め、周辺が見えだし・・・。

11時頃、地蔵峠に戻った頃には、すっかり雨が上がって、周辺の山が見えだし・・・、
なんだかなーー、だったが、
とりあえずは、湯ノ丸山山頂までピストン出来たことと、
好天だったら、大変な人出だったはずで、
むしろ、静かな山歩きが出来たことで、納得、
時間的にはゆとりが有ったが、早々、帰路に着いたのだった。
当時は、「また来る時には、笑っておくれ♪」的気分だったはずだが、
その後、訪れる機会は無く、
足、腰、痛!、痛!になった今となっては、
「湯ノ丸山」も、遠い思い出の山になってしまっている。
雨で煙ったレンゲツツジ大群落の景観が、脳裏に焼き付いた山旅だった。


 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その67

2024年11月06日 14時40分40秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その67
「本仁田山・川乗山」(再)

かれこれ22年前、2002年5月5日、妻と二人で、東京都の西部、奥多摩の山「本仁田山(ほにたやま)・川乗山(かわのりやま)」を訪れたことが有った。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕、精神的余裕も無かった頃だったが、5月の連休中、たまたま、予定が入っておらず、行楽気分で、急遽出掛けたような気がする。
バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、証拠写真?的スナップ写真、数枚しか撮っていなかったようだが、そのプリントした写真が古いアルバムに貼って有り、ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有った。
その写真、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、コピペ、リメイクしてみることにした。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの日あの頃を思い出しているところだ。


山行コース・歩程等

奥多摩町営氷川駐車場→本仁田山登山口→大休場→(大休場尾根)→本仁田山山頂→
コブタカ山→大ダワ→十字路→川乗山山頂→大根ノ山ノ神→JR鳩ノ巣駅
(標準歩行所要時間=約7時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を早朝に出発、奥多摩町氷川駐車場に着いたのは、午前7時30分頃だったようだ。
奥多摩町営氷川駐車場は、30台程度駐車可能の駐車場だったが、連休中とあって、
すでに満車寸前だった気がするが、係員の誘導で危うく滑り込みセーフだった気がする。
JR青梅線奥多摩駅、奥多摩役場、北氷川橋、女天橋、氷川国際ます釣り場、除ヶ野集落等を進み、
8時20分頃、安寺沢集落、ワサビ田の前の「本仁田山登山口」へ。
熊出没要警戒の看板も有り、前後にハイカーの姿も無く、不安が過る。
いきなり、暗い杉林の中、ジグザグ急登が始まった。


途中、明るいカヤトが有り、御前山、鷹ノ巣山、六ッ石山等が、眺望出来た。
9時頃、川乗山から続く尾根、大休場尾根の上、「大休場」に到着。
標高差500m程の急登に喘いだ後で、「大休場」の地名に納得、
夫婦連ハイカーが休憩中で寸談、
コースに仲間が有って、なんとなく安心した気がする。

「大休場」からも、尾根歩きとは言うものの、厳しい登りが続き、
夏のような暑さで汗だくになりながら、ひたすら高度を上げ・・・、
10時15分頃、本仁田山山頂(標高1,224.5m)に着いたようだ。
予想外にも、3~4組の夫婦連れや単独行のハイカーが休憩中で、
結構、訪れる人多いコースであることを知った気がする。

本仁田山山頂からは、一旦下り、やや平坦な尾根道となり、再び急下降、
ところどころに、ミツバツツジは見られる程度で、目立った花も無く・・・、
「鉄砲指」、「コブタカ山」、を通過、
11時頃、「大ダワ」に着き、少休憩、

「大ダワ」から歩き始めて直ぐに分岐が有り、少し下降気味の右コースを辿ってしまったが、
巻き道的なコースで、30分以上時間ロスしたような気がする。
「船井戸」、「水場」、「十字路」を通過、

12時40分頃、川乗山山頂(標高1363.7m)に到着したようだ。
山頂は、細倉橋、百尋ノ滝方面から登ってきたハイカー、登山者で溢れており、
ほとんど、高尾山状態?
ここで、昼食とした。

13時15分頃、川乗山山頂を出発、
「水場」「船井戸」「大ダワ」まで、往路を引き返し・・・。

「大ダワ」から、下り一辺倒、
小さな祠が有る「大根ノ山ノ神」を、15時頃通過、
15時30分頃、JR青梅線鳩ノ巣駅に、着いたようだ。
駅周辺は、ハイカー、登山者がいっぱいだったが、
ほとんどが、青梅、立川、東京方面行き列車待ち、
奥多摩駅方面への乗客は極くわずか、
15時54分発、奥多摩行き列車に乗車、
なんとびっくり、
特別仕立ての普通列車で、車体全体カラフルな絵模様、
座席全席が南向き(多摩川向き)、窓が広い展望車風、
車内には、奥多摩風景写真展を模して、作品が飾られており、
わずか2駅だったが、楽しめた気がする。
16時、奥多摩駅に着いたが、
やはり、青梅、立川、東京方面に帰るハイカー、登山者、行楽客で、
駅周辺溢れかえっており、通勤ラッシュ並み?の混雑。
その中をすり抜けて、駐車場へ。
予想通り、奥多摩街道、青梅街道共、青梅を抜けるまでは大渋滞、ノロノロ運転で、
帰着したのは、19時だったようだ。
あの頃はまだ、「また来る時にも笑っておくれ♫」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「本仁田山」も「川乗山」もまた、
遠い思い出の山となってしまっている。
あの日、思い立って訪れていて、本当に良かったと、つくづく思う。

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その66

2024年10月29日 16時19分49秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その66
「初めての谷川岳」(再)

かれこれ31年前1993年10月9日に、初めて訪れた「谷川岳」の写真がアルバムに貼ってある。当時は、バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、証拠写真?的拙劣写真ばかりだが、ほんの数枚、プリントしたものだった。
ブログを始めた頃に、一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有ったが、その写真が、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、コピペ、リメイクしてみることにした。
当時も今も、毎年、9月下旬頃?になると、必ずといっていい程、新聞紙上等に、「谷川岳紅葉真っ盛り」等という見出しや写真が踊り出るが、その誘惑に駆られて、その年、思い立って出掛けたのだと思う。
当時はまだ、自営業を続けていた頃で、時間的余裕、精神的余裕も無かった頃だったが、たまたま、予定が入っていなかった土曜日、行楽気分で、急遽出掛けたような気がする。
ほとんど記録、メモがも残っておらず、何時頃に自宅を出発し、何時頃帰ったのか等の記憶も無いが、確か、まだ園央道も出来ていなかった時代、真夜中に自宅を出発し、深夜に帰宅したような気がする。
記録や記憶が無くても、古い写真を見ると、あの日、あの場所の情景が炙り出てくるから不思議である。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの日あの頃を思い出しているところだ。


山行コース・歩程等

谷川岳ロープウエイ天神平駅→(天神尾根)→熊穴ノ頭→肩ノ広場→
谷川岳山頂(トマノ耳)→谷川岳山頂(オキノ耳)→肩ノ広場→熊穴ノ頭→天神峠駅 
(標準歩行所要時間=約4時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を何時に出発し、谷川岳ロープウエイ駐車場に何時頃着いたのか等、全くメモが残っていないが、紅葉真っ盛りの土曜日とあって、すでに、駐車場は満車直前状態、ロープウエイ乗車待ちの長蛇の列が出来ていたことだけは、記憶に有る。

谷川岳ロープウエイ土合口駅

ロープウエイで、天神平駅までは、約10分。
高度が上がると、目指す谷川岳の双耳峰が見え、
「エッ!、あそこまで・・」
期待と不安が入り混じる。

谷川岳ロープウエイ天神平駅、

谷川岳ロープウエイ天神平駅を出発、
高度を上げていくと、次第に展望が広がり・・、

天神尾根を辿り、いざ、 あの谷川岳へ!

宣伝文句に偽り無し、紅葉満喫!

爽快、

爽快

谷川岳山頂(トマノ耳)(標高1,963.2m)、
山頂は、老若男女で超満員。

谷川岳は、トマノ耳、オキノ耳、2つの山頂が有る双耳峰。
後方が、オキノ耳(標高1,977m)。

往路を戻り、谷川岳ロープウエイ天神平に戻り着いた時間帯は
下山する観光客や登山者が、ロープウエイに殺到する時間帯で、
乗車待ちの列が延々と伸びていた。
その最後尾について、多分、1時間以上は、待機したような気がする。
山歩き初心者、くたくたに疲れ果てながら、
渋滞の関越自動車道、一般道を、何時間位掛かったのか不明だが、
深夜に家に帰り着いたような気がする。
あの頃はまだ、そんな無理も出来たということだが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、
「谷川岳」もまた、遠い思い出の山になってしまっている。

 

 


古い写真から蘇る思い出の山旅・その65

2024年10月25日 20時44分23秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その65
「北八ヶ岳(北横岳・縞枯山・麦草峠)」(再)

かれこれ27年前の、1997年8月1日に、妻と二人で、北八ヶ岳北横岳・縞枯山・麦草峠を訪れたことがあった。当時はまだ、自営業を続けていた頃で、切れ目無い仕事の合間を縫っての山歩き、毎度のこと、急に思い立って、自宅を真夜中に出発、日帰りの慌ただし山歩きではあった気がする。
記録メモには、
「夏の太平洋高気圧が張り出してきて、やっと夏型の天気になってきた。(中略)、下界は、30度以上の真夏日でも、2,000m以上の山は、やはり変わり易い天候、朝の内の晴天も、次第に崩れ、お目当ての雄大な眺望は味わず、後半は、雨が降り出し、ピッチを上げなければならなかった。(中略)、雄大な眺望こそ満喫出来なかったが 高山植物は最盛期、ゴゼンタチバナ、キンロバイ、テガタチドリ、ハクサンシャクナゲ、コバイケイソウ、ハクサンフウロ、シナノオトギリ、シシウド、カニコウモリ、ミヤマオダマキ等々、夏山ならではの、いろいろな花に出会えたことで、満足した。(中略)、初級者向きとされているルートだが、かなり、歩行時間長く、前夜の飲み会、寝不足がたたって、最後、へばってしまった。(後略)」
等と、書かれている。
バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃のことで、証拠写真?的拙劣写真ばかりだが、プリントした写真がアルバムに貼って有り、ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有った。
その写真が、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、リメイクしてみることにした。。
記憶は次第に曖昧になってきているが、写真やメモを見ると、あの日、あの場所の記憶が炙り出てくるから不思議である。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながらも、あの日あの頃を思い出しているところだ。


山行コース・歩程等

ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅→坪庭→三ツ岳への分岐→北横岳ヒュッテ→北横岳山頂→北横岳ヒュッテ→三ツ岳(1峰・2峰・3峰)→雨池山山頂→雨池峠→縞枯山山頂→茶臼山山頂→中小場→大石峠→麦草峠・麦草ヒュッテ→狭霧苑地→五辻→ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅 
(標準歩行所要時間=約6時間40分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

自宅を真夜中に出発、「ピラタス横岳ロープウエイ山麓駅」の駐車場に到着したのは、早朝7時頃だったようだ。予定より早く到着出来たようで、ロープウエイ運行開始時刻8時までの間、ゆっくりと、コーヒーを入れ、パンで朝食を取ったようだ。

「ピラタス横岳ロープウエイ山麓駅」

100人乗りゴンドラの始発に乗り、
数分で、「ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅」(標高2,223m)に到着。
8時15分頃、「ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅」を出発したようだ。

「ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅」

「坪庭」を、北横岳に向かって登り・・・、

「坪庭」には、随所に高山植物が見られたが、
周回後に、時間が有ったら散策するつもりで、パス、
先を急ぐことに・・・、

ゴゼンタチバナ

カニコウモリ(蟹蝙蝠)

9時頃、「北横岳ヒュッテ」

9時25分頃、「北横岳山頂」(標高2,472.5m)に到着、
2~3組のハイカーグループが休憩中、
見る見るガスが吹き上がってきて、
お目当ての大展望は、叶わず・・・。

「北横岳山頂」から往路を引き返し、
坪庭への分岐を直進し、三ツ岳方面に進むと・・、
ゴツゴツした岩稜に、ハクサンシャクナゲが群生しており・・・、

 

タカネニガナ?

三ッ岳、3峰、2峰、1峰 を通過、

雨池山山頂(標高2,325m)からは、雨池峠にいったん下り、
雨池峠から、縞枯山に向かって登り返しになる。

12時30分頃、縞枯山山頂(標高2,403m)に到着、
およそ山頂らしくない樹林帯の中で、展望全く無し、

13時30分、茶臼山山頂(標高2384m)に到着し小休憩。

展望良し・・・、
だが、
雨雲が垂れ込めて・・・、

中小場(標高2,232m)、大石峠を通過し 
14時30分頃、麦草峠に到着。
メルヘン街道に沿った遊歩道を進み、
14時50分頃、「狭霧苑地」に到着し、小休憩。
様々な高山植物が咲いていたが、当時はまだ、花には余り興味関心が無く、
「とりあえず写真を撮ってきた」の感有りだが・・・。

コバイケイソウ?

 

      ハクサンフウロ?             ミヤマオトギリ?

 

ハリブキ?

     テガタチドリ?

 

     マルバダケブキ?         マルバノイチヤクソウ?

 

「狭霧苑地」から「ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅」に向かっては、
アップダウンの少ない、緩やかな登りの登山道だったが・・・、
15時30分頃、「五辻」を通過、
樹林帯に入ったところで、雨が降り出し、
とりあえずは、傘を差して、急げ!、急げ!、
ピッチを上げて・・・。

雨は、次第に激しくなり、
16時頃、「ピラタス横岳ロープウエイ山頂駅」に帰還した時は、土砂降りに。
戻ってから、「坪庭」を散策するつもりでいたが、中止し下山することにし、
16時30分頃には、「ピラタス横岳ロープウエイ山麓駅」に降り立ったが、
なんと、下は、晴天。
帰路、ビーナスライン、諏訪IC経由、中央自動車道は、順調だったが、
帰宅寸前に、車の前輪に異常音発生、
ロードサービスを受けたが、その待機所要時間が、1時間30分位、
結局、帰着は深夜になり、クタクタに疲れた山旅だった。

当時はまだ、「また来る時には、笑っておくれ・・・」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、「北八ヶ岳(北横岳・縞枯山・麦草峠)」もまた、遠い思い出の山になってしまっている。
あの日、思い立って訪ねていて、本当によかったとつくづく思っている。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その64

2024年10月22日 10時51分20秒 | 山歩記

長男、次男がまだ保育園、小学生だった頃は、夫婦共働きで、時間的余裕も、精神的余裕も、経済的余裕も無い自営業を続けていた時代ではあったが、せめて子供達の思い出になれば・・・との思いが有って、春、秋の行楽シーズン等の休日には、忙中敢えて閑を作り、強引に?、家族で周辺の低山を、よく歩き回っていたものだった。その後、次男が小学生になった頃からは、「せめて毎年1回、夏休みには、家族で登山しよう」と決め込んで、尾瀬や八ヶ岳や白馬岳、乗鞍岳、木曽駒ケ岳、仙丈岳等、夏山登山をしていたが、それまで、登山の経験等ほとんど無く、体力にも自信が無く、山の知識情報にも疎かった人間が、よくもまあ思い切って出掛けたものだと、後年になってからつくづく思ったものだった。長男、次男が巣立ってからも、その延長線で、夫婦で細々、山歩きを続けてはいたが、10数年前に完全に仕事をやめてからは、時間が出来たものの、今度は気力体力が減退、あの山もこの山も、今や、遠い思い出の山となってしまっており、今となっては、あの頃、思い切って、登山を敢行していて、本当に良かったと思うようになっている。ブログを始めてからのこと、そんな山歩きの思い出を、備忘録、懐古録として、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込み、古い写真は、「デジブック」にし、ブログに貼ったりしていたものだが、その後、「デジブック」が終了したことで、ブログから写真が消えてしまい、改めて、順次、古い写真を引っ張り出して、過去の記事をコピペ、リメイク(再編集)しようと思っているところだ。昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その64
「霧ヶ峰高原・車山・八島ヶ原湿原」(再)

かれこれ28年前の1996年9月に、妻と二人で、「霧ヶ峰高原・車山・八島ヶ原湿原」を訪れたことが有った。当時はまだ、自営業を続けていた頃で、切れ目無い仕事の合間を縫っての山歩き、毎度のこと、急に思い立って、自宅を早朝に出発、日帰りの慌ただし山歩きではあったが、天候にも恵まれ、大満足の山歩きだったような気がしている。
当時はまた、バカチョンカメラ(ポケット型小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、拙劣写真ばかりだが、プリントした写真がアルバムに貼って有り、ブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込んで、ブログに書き込んだことが有った。
その写真、外付けHDに保管されており、改めて引っ張り出して、リメイクしてみることにした。。
記憶は次第に曖昧になってきているが、写真やメモを見ると、あの日、あの場所の記憶が炙り出てくるから不思議である。


山行コース・歩程等

車山肩→車山山頂→蝶々深山→八島ヶ原湿原→旧御射山→沢渡→車山肩
(標準歩行所要時間=約3時間30分)

自宅を早朝に出発し、ビーナスラインの「車山肩・コロボックル・ヒュッテ」の公共無料駐車場に到着したのは、10時30分頃だったようだ。
駐車場は、ほぼ満車状態だったが、一時停車の観光客の出入りがあり、スムーズに駐車出来たような気がする。
初秋の爽やかな青空が広がり、絶好のハイキング日和、
気を良くして出発、
ハイキングマップに従って、まずは、車山山頂に向った。

お目当ての「タカネマツムシソウ」が、出迎えてくれ・・・、

眺望を堪能しながら、ゆっくり登って、約45分、
11時50分頃、「車山山頂」(標高1,925m)に到着したようだ。
リフトを上がってきた観光客でいっぱい。

 

車山山頂からは、いったん下り、「車山乗越・夫婦岩」から、「蝶々深山」に向かった。
眼下には、「白樺湖」が見え・・・、

「車山山頂」の混雑とは別世界、快適な高原歩きが続く・・・。

 

 

12時20分頃、「蝶々深山(チョウチョウミヤマ)」(標高1,836m)に到着したようだ。
広々として、眺望も抜群。ここで、昼食、休憩とした。

13時頃、「物見岩」(標高1,792m)に到着、小休憩。
前方眼下に、向かう「八島ヶ原湿原」が見える。

「八島ヶ原湿原」に向かって、緩やかに下っていく・・・。

ぐんじ橋、奥霧小屋、奥霧オートキャンプ場、鎌ヶ池を通り、
14時頃、「八島ヶ原湿原」(標高1,620m)に到着したようだ。
多数の浮島が有り、「七島八島」とも呼ばれている。
草紅葉が始まっており・・・。

「旧御射山(モトミサヤマ))」(標高1、600m)、「ヒュッテみさやま」からは、
緩やかな登りにかかり・・・・、

「沢渡(サワタリ)」(標高1,650m)を経て、車山肩へ。

15時30分頃、「車山肩・コロボックル・ヒュッテ 駐車場」に、帰還したようだ。

日曜日で、絶好の行楽日和だったその日は、全国各地、行楽の人出が凄かったのだろう。
帰りの中央自動車道も大渋滞で、途中、勝沼ICから出て、国道20号を走ったり、右往左往、
帰宅出来たのは、23時頃で、疲れ果てた山旅だった気がする。

当時はまだ、「また来る時にも笑っておくれ・・・」的な気分だったと思うが、
足、腰、痛!、痛!の今となっては、
「霧ヶ峰高原・車山・八島ヶ原湿原」もまた、遠い思い出の山になってしまっている。
あの日、思い立って訪ねていて、本当によかったとつくづく思っている。