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仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

薬師寺東京別院、法話、仏教の名句・名言に学ぶ

2013-02-23 21:34:19 | 仏教
久々の薬師寺の法話。

今日は、目からうろこがでるような話だった。

数年前に、赤塚不二夫が亡くなったときに、
タモリが話した弔辞から、以下の文章を引用。

あなたの考えは、すべての出来事、
存在をあるがままに前向きに肯定し、
受け入れることです。それによって人間は、
重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、
また時間は前後関係を絶ちはなたれて、
その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。

この部分からは、仏教のありのままを受け止める
ところ、これでいいのだは、言い換えると、
「少欲知足」。欲を少なくして、そして、
足りていることを知ることにつながる。
という解釈があり、その内容そのものは
おどろくことはないのだが・・・。

この弔辞を、タモリが事前に準備して書いた文章ではなく、
弔辞が、実は白紙だったということにも、まず関心した。
前日、酒を飲みすぎて準備ができず、アドリブでの弔辞と
なったようだ。

赤塚不二夫という人は、ギャグであけくれた人生だったのかと
思っていたが、実は、仏教にも精通していた風というのも
今日の法話で知ることができた。
彼の作に「天才バカボン」があるが、バカボンは、仏教用語であるという。
バカでなく、ばきゃ。ばきゃは、如来という意味。
ボンは、梵語のぼん。
まったくのバカのふりを主人公にさせながら、
実は、仏教的に(?)、大切なことを伝えたかったのかもしれない。

不二夫は、本名では藤雄。不二は、仏教用語では、
2つのものが対立しない、それぞれの違いはあっても
それぞれを認めるというそんな意味があるようで、
仏教の精神がかいみられる言葉らしい。
あえて、不二という名前に変えたのではということらしい。

赤塚不二夫の戒名は、不二院釈漫雄で、
しゃれた名前をつけたなぁと言っていた。

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