「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

法話、築地本願寺2008.3/15

2008-03-15 23:10:32 | 仏教
法話というものを聞きに行ってみた。

八王子のほうの住職が、お話されていた。
金子みすずという詩人の詩を通して、
仏教についてお話があった。

お寺にお参りするときに、何々お願いします
という姿勢ではなく、自分がここにいて、
お参りしていますという姿勢が必要。

詩の引用から、さびしいとき、
周りの人たちははげましてもくれるが、
仏さまはさびしい。
~さびしければさびしくていいんだよ。
 さびしいい気持ちは、
 仏さまにそのままの形で写される。

法事は、故人をしばらく忘れられるためにするのでなく、
胸に刻み思い起こすために行うもの。

仏教とは、転迷開悟。迷いが転じて、悟りを開く。



あたりまえなことだと、思うより、
常に新鮮で、驚きももつ。
これも仏教の一面。

わり切らない。わり切ってはいけない。
金子さんの詩の引用で、
大漁でいいけれども、魚はかわいそう。
うれしい面もあるけど、悲しい面もある。
大漁でいいから、魚のことは考えなくていい
というわり切りはよくない。
わり切りをしないことも仏教の一面。

共生という言葉があるが。
自分の都合のいい人ばかり、周りにいるより、
いやな人がいるから、成り立っている。
いろんな人が周りにいるから、
自分がこうやって生きて生活している。



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