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スマナサーラ長老、月例法話:慢との付き合い方

2011-07-23 23:29:42 | 仏教
法話を聞くのは2回目となる。
ある禅系のお寺の法話へ出かけていったとき、
スリランカ出身のスマナサーラ長老の法話の
パンフレットをみつけ、法話を聞きに
行ったことがある。それ以来。

スマナサーラ長老の書を見ると、
仏教は科学的ということを言って
おられるので、今回の講義を聞いても、なるほど、分析して、
論理的に考えておられるというのがわかる。

今回のテーマは「慢との付き合い方」
慢とは、パーリ語で、図る、測る、計る
という意味がある。
パーリ語では、慢のことをmanaという
(似ているから言語学的につながって
いるのもあるのかもしれない)

はかるという意味であるが、何をはかるか?
→自分を測る。
測るときに、何を元に測るのか?→
天びんにたとえると、片方がおもり(分銅)で、片方が自分。
おもりとは、ここでは、「他人」。
自分のエゴ存在感を測る。

なぜ測るのか?

自分に自信がない。他人と比較して自我確立をしたい。
測れば測るほど、自分の価値が変わっていく。
自我確立のつもりが、自我不安に陥ってしまう。

自分(自我)の価値とは?→
自分の価値を知らないと不安になるから、
自分の価値を知ろうとする。
自分の価値を知る=慢
もの価値を判断して、対応の仕方が決まる。
たとえば、人がオトシモノを見つけ、
10円程度だったらあまり見向きもしないが、
10000円だったら、価値がある。どうしようかと迷う。
動物園でいうと、パンダはすごい人気で、
レッサーパンダだったら、人気がない。
価値の判断により、執着の強さを決める。
執着には、プラスの執着もあるし、
マイナスの執着もある。

自分の価値にも「分類」はあるか?→
あります。たとえば、重い、等しい、軽い。
つまり、高慢、同等慢、卑下慢。

慢は3つだけ?→
いいえ。9つあります。
1.自分よりすぐれている人と比較して
 自分がすぐれている。同じ。自分のほうが下。
2.自分と同等の人と比較して
 自分がすぐれている。同じ。自分のほうが下。
3.自分より下の人と比較して
 自分がすぐれている。同じ。自分のほうが下。

しかし、時には、あの人より優れていると思っていても
実は劣っているということもあるのだが。

測ることは絶対悪いか?→
条件による。
理性に元ずいて、自分を向上させるため、
人と比較するのはかまわない。
自我の錯覚を肯定する測りは悪い。
測ることで悪い感情が起きるなら、
自分の能力がおとろえるなら、悪い。
仏教の解脱を目指す人には悪い。

慢とは、自分のアイデンティティでしょう?→
アイデンティティとは、自分と他人を区別すること。
価値観がないと、凡人は生きられません。
全生命にとっては、慢が本能で不可欠。
完全なさとりに達するまで、慢はなくならない。
慢はいろんなトラブルを引き起こす原因にもなる。煩悩。

慢の悪いところは?→
わがまま、自我をはかることは、悪いということは常識的に
知っている。常識だから悪いというだけではなく、
人の経験で悪いということが示されている。

慢の元は何か?→
おおもとは、無明。
人には自我意識がある。自分に究極の価値をつけたがる。
自我意識は、慢に化ける。これが高慢。

最後に、慢に対してどうすればよいか?→
現実にあわせて高慢、同等慢、卑下慢に変えると良い。
慢を逆手に取る。
慢があっても理性は保つ。
慢とうまくつきあっていく。(たとえばどうしても
直らない病気があったとしたら、病気と一生つきあって
いくしかない。)
善悪の区別を明確にして、
自分のプライドをばねにして善を行う。
とてもすぐれている人と比べて、卑下慢になって、
頑張ってみる。
無知な人、道徳観がない人を見て高慢になる。
(この人たちのようにはなりたくないと努力する)。
同等のグループにいるとき、
このグループからはずれたくないと努力する。




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