ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

世界王者は何人?

2006年11月15日 | その他
先日、僕のホームページにある「日本のジム所属の歴代世界チャンピオン」
コーナーから、ルイシト小泉の名を外した。どうも不自然な気がしたからだ。
フィリピン人のルイシト(本名:ルイシト・エスピノサ)は、確かに一時期
日本のアベジムに所属していたが、必ずしも日本を活動の拠点にしていたわけ
ではない。主戦場はフィリピンやアメリカであり、デビューから現在までの
60戦の中で、日本のリングに上がったのはわずかに5度のみだ。


日本のジムが生んだ世界チャンピオンは、何人いるのだろう。そう考えた時、
扱いに困るのは外国人選手、いわゆる「輸入ボクサー」の存在だ。

現在、日本のジムに所属する世界チャンピオンは過去最多の7人であると
報道されているが、日本の帝拳ジムに所属し、今後は日本を活動の拠点に
すると表明したエドウィン・バレロ(ベネズエラ)を入れれば8人になる。
しかしバレロは日本のジムからデビューしたわけでもなく、また「日本の
選手」として世界タイトルマッチに出場したわけでもないから、ここは
外しておくのが適当ではないかと思われる。

とはいえ、どこからどこまでを「日本のジムの選手」と呼ぶかについて
明確な定義がない以上、これはしょせん主観的な判断に過ぎない。


かつて「東京三太」なる珍妙なリングネームで協栄ジム所属の選手として
日本で数戦を行い、後にWBC世界ライト級王座に就き10度もの防衛を
果たしたミゲル・アンヘル・ゴンサレス(メキシコ)や、仙台ジムに所属した
「佐藤健太」ことエリック・チャベス(元IBF世界ミニマム級王者、フィリピン)の
場合はどうか。ゴンサレスは日本を離れた後に世界王者になっているし、
チャベスが日本に来たのは王座を失った後だ。よって、やはり「日本が
生んだ世界王者」と言うには無理があるように思う。

逆に、ゴンサレスと同じく協栄ジムに所属した外国人ボクサーの中でも、
旧ソ連出身のユーリ・アルバチャコフオルズベク・ナザロフのように、
日本のジムからプロデビューし、日本のジムに所属したまま世界王者になった
場合には、「日本の世界王者」のリストに名が加えられていることが多い。
ハワイ生まれの日系アメリカ人、藤猛(本名:ポール・タケシ・フジイ)も
このケースに近く、日系であるということも手伝ってか日本のボクサーと
位置付けられている。


タイ人であるイーグル京和の場合は、タイでプロデビューし5試合を行った後、
日本人女性との結婚を機に来日。スカウトのような形ではなく、たまたま
入った角海老宝石ジムでプロボクサーとしての活動を再開、現在に至るまで
同ジムに所属している。ゆえに「輸入ボクサー」とは呼べない。いずれにせよ、
完全に日本を拠点としていることから、ほぼ「日本のボクサー」という扱いに
なっている。

輸入ボクサーという区分から外れたところで更に細かく言うなら、
徳山昌守は朝鮮籍であるが、日本で生まれ育ち日本のジムからデビューし、
日本のジムで世界王者になっているのだから、日本のボクサーと呼ぶことに
さほど違和感はない。これも主観に過ぎないのかもしれないが、むしろ
「北朝鮮のボクサー」と言う方が不自然な感じがする。


このように様々なケースがあるが、「日本のジムからデビュー」「日本で
世界王座を獲得」「日本に住み、活動の拠点としている」という3つの
条件のうち、2つまでをクリアしていれば、概ね日本のボクサーと呼ばれる
ことが多いようだ。

とはいえ、何度も書いているように、これには厳密な定義がないので、
バレロやルイシトを日本の選手としてリストアップする人がいても
何らおかしくはない。

取りあえず僕は、「日本のジム所属の歴代世界チャンピオン」の数を、
現時点では「54人」としておきたい。


*本文とは関係ないが、エリック・チャベスの戦績を調べていたら、
 日本の「ウチダ・ミキオ」なる選手との試合のところに
 「Non Sanctioned Fight(未認可試合)」という記述があった。
 また(BoxRecの戦績は必ずしも正確ではないが)、この試合と
 その前の試合との間に、ウチダには7年ものブランクがある。
 名古屋で行われた試合のようだが、これは一体どういうもの
 だったのだろうか。ちょっと気になった。

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