ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBA世界Sバンタム級TM 佐藤修vsサリム・メジクンヌ

2002年10月09日 | 国内試合(世界タイトル)
佐藤修が初防衛に失敗した。WBA世界スーパー・バンタム級の新王者と
なったサリム・メジクンヌはフランス人。アマチュア歴も長く、佐藤の単調な
攻めを見切り、よく練られた戦略と安定感のある技巧で終始試合を支配した。
結果は大差の判定勝ち。佐藤はほとんど何も出来ずに敗れてしまった。

この結果を受けてサイト上では、これは佐藤個人だけではなく、「日本
ボクシング界の敗北だ」と言う者もいた。とにかく前へ出る攻撃重視の
ジャパニーズスタイルでは、試合をゲームととらえ、冷静に技術を駆使して
ポイントを拾っていくヨーロピアンスタイルには勝てない、ということだ。
そう考えると、この敗戦の意味は大きい。

今でこそ「ボクシング大国」と言えばアメリカだが、そもそもボクシング
発祥の地はヨーロッパである。それだけ技術や戦術にも厚みがあり、また
観客の間にも、高度な技術戦を楽しむ土壌が育っている。アマチュアの
キャリアも、当然日本とは比較にならないほど豊富だ。

ひるがえって日本ではどうだろう。やはり未だに激しい打撃戦を好み、
派手なKO劇を期待する。もちろんそれはそれでいいのだが、防御などの
技術面、そして周到な戦略や駆け引きなどの面で見応えのある選手が少ない。
川島・星野・徳山など、たまにそういう選手が現れて素晴らしい技巧を
披露しても、テレビの視聴率は芳しくない。

かつてドイツに、ヘンリー・マスケ(元IBF世界ライト・ヘビー級王者)
という選手がいた。ディフェンス重視の地味なスタイルだったが、その高い
技術が人気を呼び、テレビの視聴率も80パーセントを超えていたという。
ドイツと同じく、他の分野では日本も「技術立国」などと言われているが、
ことボクシングになると、技巧派が正当に評価されないのは不思議だ。

ファンがファイターばかり求めるからファイターが増えるのか、指導者が
ファイターばかり育てるからファイターしか評価できないのか、それは
分からないが、そろそろ日本でも、しっかりとした技術を教える指導者と、
技術戦を喜ぶファンが増えていかなければならないと思う。そうでないと、
欧米との格差はますます開き、いずれ日本には世界チャンピオンがいなく
なくなってしまうのではないか。

アジア人が多数を占める軽量級ならまだいい。しかし欧米の選手の多い
中・重量級においては、やはり未だに「世界の壁」は厚いままだ。
積み重ねてきた歴史の差は否定しようがない。しかし、日本人の優れた
頭脳を駆使して研究を重ねれば、欧米の選手に勝つことも決して不可能では
ないと思う。

そう言えば、イタリアの技巧派を駆け引きと変則的な攻撃で破って世界王者に
なった日本人が大昔にいた。輪島功一である。輪島は体格的に決して恵まれて
いたとは言えないが、そのハンデを克服するため、工夫に工夫を重ねて戦略を
練り、勝利を得た。勝ちたいという必死の思いが、あの変則を生んだのだ。

しかし、そういった戦い方は「心あるボクシングファン」から邪道呼ばわり
され、輪島が日本人の心をつかんだのは既にキャリア晩年、つまり倒されても
倒されても立ち上がり、無様に敗れて限界を囁かれながらもなお王座を何度も
奪回したその姿だった。それはそれでもちろん素晴らしいが、輪島の「全盛期」
のボクシングは果たして正当に評価されていたのだろうか。

誤解のないように言っておくが、僕はファイターを否定しているわけでは
ないし、派手なKO劇や「魂と魂のぶつかり合い」に胸が躍るのも事実だ。
例えば明日のジョッピーと保住の試合(WBA世界ミドル級戦)でも、技術や
経験で大きく後れを取る保住には、やはり「奇跡の一発」を期待するしかない。

しかし、しっかりとした技術がなければそれはただの粗暴な殴り合いに
なってしまうし、そんなものは見たくない。また、素人なりに技術面にも
注意を払わなければ、一生懸命修練を積んできた選手たちに失礼であろう。

日本人が技術で欧米人に勝つようになるには、突発的な天才の出現という
例外を除けば、まだまだ先のことになるだろう。しかしいずれはそれは
実現できるはずだ。そのためには、指導者も選手もファンも、もっともっと
多くの「完敗」を経験し、それを糧としなければならないのだと思う。

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