ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

坂本、引退!

2006年11月24日 | その他
日本と東洋のライト級王座に就き、世界にも4度挑んだ
「平成のKOキング」坂本博之が、ジムのHP内で
引退を表明した。来年1月の試合が最後になるという。

2002年10月、佐竹政一の持つ東洋太平洋スーパー・ライト級
王座に挑んでTKO負けした後、悪化するヘルニアの手術のために
ブランクを作り、昨年5月に再起したものの再びTKO負け。
今年1月、遥か格下のタイ人相手とはいえ約3年半ぶりの勝利を収め、
6月にもKO勝ち。

腰の具合も落ち着き、いよいよ今後は徐々に対戦相手のレベルを
上げていくのだろうと勝手に思っていたので、この引退発表は唐突な
感じがした。しかし、見えないところでは、完治しない腰痛との戦いが
続いていたということなのだろう。


坂本は、ボクシングという分野においては、確かに世界チャンピオンには
なれなかった。しかし、もはやそんなことはどうでもいいと思えるほど、
坂本の存在感、人々に与えた影響、人々から受けた敬意の大きさは、
並みの世界チャンピオンを遥かに凌駕するものがあった。

「ボクシングは結果が全て」本当にそうだろうか。
「記録は永遠に残るが、記憶はいつか消えてしまう」本当にそうだろうか。
高い地位や多くの金。それらを得た人は「勝ち組」と呼ばれる。
世界チャンピオンになれず、巨額の富を築くことも出来なかった坂本は
「負け組」なのだろうか。

手段を選ばず、地位や金を得ることだけが目的化してしまっている
人たちがいる。そこにはその人なりの大義があるのかもしれない。
しかし、僕はどうしてもそんな人を尊敬する気にはなれない。
目に見えることも確かに大切だが、目に見えないことの方が実は
大事なのではないだろうか。

記録など単なる文字に過ぎない。それよりも、多くの人に語り継がれる
「記憶」こそが実は人間にとって重要であるような気がする。
むしろ、勝った負けたという事実の方が、長い目で見れば刹那的で
瑣末なことのように思えてくる。


全くもって取りとめのない文章になってしまった。
「坂本が引退」情報にすればたったそれだけだ。たったそれだけの
ことで、こんな取りとめのない文章が溢れてきてしまった。

一ボクサーとしての坂本のファイトスタイルは、実はそれほど
好きではなかったし、取り立てて熱心に応援していたわけでもない。
ただ、坂本博之というボクサーには、そんな人間ですら立ち止まらせる
何かがあった。見る人の心に何かを刻み込む、そんな類の男だった。
熱心なファンでなかった僕ですらこうなのだから、ファンの人たちの
心中は察するに余りある。

人は、心で生きている。心を動かされたことを、人は一生忘れない。