
▲立山砂防を代表する白岩砂防堰堤 108mの落差は日本一
10月6日、北アルプス立山連峰の弥陀ヶ原高原に隣接する広大な立山カルデラの侵食崩壊地と、そこで明治以降延々と続けられている砂防工事現場を、長野県犀川砂防事務所関係者16名が視察しました。
安政5年(1858年)4月に飛騨地方を襲ったマグニチュード7前後の直下型地震(安政大地震)により、立山カルデラの内側斜面が各所で崩落し約4.1億㎥もの大量の土砂が谷を埋め尽くし、その後この土砂は土石流となって下流の富山平野を幾度も襲いその度に甚大な被害を及ぼしてきました。
今日でも立山カルデラには約2億㎥の土砂が残り、常願寺川下流の富山市街地は危険にさらされています。このために国直轄による砂防工事が続けられているものです。
ここへの立ち入りは制限されていますが、今回は特別に許可を得て荒々しく崩壊する山肌と、今日まで進められてきた砂防工事の様子を見学しました。
早朝5時半一行を乗せたバスは麻績インターに入り、上越を経由して北陸道立山インターで降り、亀谷ゲートへ。有峰材料運搬道路の通行許可証を受領し、立山砂防事務所の方に同乗頂き9時15分立山カルデラへ向いました。
有料の有峰林道小見線から同真川線を通り1時間半ほどでカルデラゲートに。ここから有峰材料運搬道路に入り、いよいよ広大な侵食崩壊地「立山カルデラ」と日本有数の大規模な砂防工事現場の視察が始まりました。
<スゴ谷タイヤ洗浄所>
▼タイヤに付着した種などを持込まないためにタイヤを洗浄する
<六九谷(ろっきゅうだに)展望台>
六九谷とは、1969年8月の大豪雨によって安政大地震で埋った土砂を削りできたことから、この名がついたとのことです。
新雪の北アルプスの峰々が望めるはずであったのですが、ガスにまかれて見ることはできませんでした。
▼山腹工や堰堤工により緑が戻った六九谷
▼異常事態を監視するカメラ
<多枝原平(たしはらだいら)展望台>
▼幸田文の「崩れ」文学碑
<湯川12号堰堤>
▼平成21年に完成した堰堤(左の堰堤)
<立山温泉跡>
昔は湯治客や砂防工事関係者で賑わっていたとのことですが、1969年の大豪雨の被害を受け廃業し、今では浴槽の跡が残るだけです。
我々は小雨の中、温泉跡に建つ休憩所で昼食をとりました。
▼浴槽の跡が残るだけ
▼旅館跡に建つ休憩所
▼近くに建つ安政大地震の犠牲者の供養塔
<泥鰌(どじょう)池>
安政大地震によってできた堰き止め湖。淡い緑に包まれた美しい姿で迎えてくれました。
▼つり橋を渡って泥鰌池へ
▼周辺は熊が多く、看板もかじられている ~案内者の背には鈴が~
▼泥鰌池
▼周辺は紅葉が始まっていた
<天涯の水>
「天涯」とは、「天のはて、極めて遠く隔たったところ」という意味で、立山カルデラで働く人々の苦労を称えることから使われ始めたとのことです。
ここで地質調査のボーリングをしたら、7℃、pH7.09の美味しい水が湧き出したとのことです。
▼美味しい水でした
<白岩下流展望台>
ここから見る弥陀ヶ原台地の垂直に近い崩落の様子、堰堤や山腹工など砂防工事の景観は圧巻でした。
眼下に見える白岩砂防堰堤は、本ダムの高さが63m、7基の副ダムを合わせると落差が108mで日本一の高さとのこと。平成21年6月30日、砂防施設で初の重要文化財に指定されています。
▼立山砂防の中心となる堰堤
▼白岩砂防堰堤
▼堰堤から下流を望む
<天涯の湯>
ここは工事関係者の憩いの湯で、一般者は足湯のみが可能となっていました。
残念ながら足湯もせずに、徒歩で白岩トンネルを通り水谷出張所へ向いました。
▼入ってみたくなる男湯
▼湯加減最高の足湯
▼延長345mの白岩隧道を通って水谷出張所へ 普通車がギリギリ通れる
<水谷出張所>
天涯の湯から15分ほど歩いて到着。工事用トロッコに乗って、沿線の堰堤等の見学をしながら千寿ヶ原へ向かいました。
[立山砂防トロッコの概要] 水谷~千寿ヶ原間 17.7km、 高低差 640m、 スイッチバック 38ヶ所、 トンネル12ヵ所、 所要時間 1時間45分、 連絡所 6ヶ所、 最急勾配 1/20、 車両全幅 1m40cm、 軌道幅 61cm
贅沢は言えないのですが、とにかく狭い窮屈なトロッコでした。
▼冷蔵庫を備えた剱岳号
▼我々が乗る鳶号が入線
▼スイッチバックを繰り返して降りて行く
▼鬼ケ城連絡所
▼大きな山腹の崩壊が見える
▼各所で行われている堰堤工事
<立山砂防事務所>
午後4時10分、千寿ヶ原の事務所に無事到着。有峰材料運搬道路通行許可証を返却して、立山カルデラの現地視察を無事終了しました。
▼貴重な体験をした1時間45分のトロッコの旅でした
国交通省立山砂防事務所の皆様、そして関係者の皆様大変有難うございました。貴重な体験をさせて頂いたことに感謝します。