はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

2007/06/17

2007-06-17 19:42:54 | 会社
2007/06/17

 日曜日。町の体育施設は混んでいた。サッカーやテニス、社交ダンスに少林寺。老若男女で溢れかえる中、広さ20畳ほどの研修室を借りることに成功した。折り畳みの机を壁際に並べ、コンセントからノートPCの電源をとり、DVDの映像を流した。肌も露な美男美女たちが踊り狂う様を参考にしながら、同僚5名とともにダンスの特訓を行った。断じて趣味ではない。切っても切れぬ渡世の義理のせいだ。
 筋トレ、空手と普段から鍛えているので体力には自信があった。しかしリノリウム張りの床の上を素足で飛び回るという荒行が膝に負担をかけ、前後でも旋回でもない横への衝撃が足指の付け根の皮膚を裂いた。
 血の滲んだ足を抱えながら、しかしどこか納得している自分に気づいた。予想以上にダンスの進行がうまくいったからだ。個人個人の慣れ不慣れはともかくとして、最初から最後までの通しての振り付けは、素人なりに頑張ったほうなのではないだろうか。皆で無い知恵を絞り合いひとつのものを作り上げたという自己満足に、今日はどっぷりと浸っていた。

2007/06/15

2007-06-15 12:32:42 | 会社
2007/06/15

 Mから見せられたDVDには、金髪アフロにサングラスをかけた肌の浅黒い男が歌い踊り狂う映像が映っていた。ホスト風なのや髪を編みこんだの、肌も露な無数の女たちとともにステップを踏み、うねり絡み合う様はまったく感心するほど楽しそうだ。
他でもない自分がそのダンスを躍らされることになると知った時の僕の第一声は「カスタネット担当とかないすかね」だったが、これはまったく無視された。日頃世話になっている人の結婚式の余興だと駄目を押されては、ぐうの音も出ない。
 感慨深いものだ。結婚式が、ではない。ダンスのことだ。金髪やピアスなどとともに「ちゃらいもの箱」にしまい込み遠ざけていたダンスを踊らなければならない。空手やサッカーなど、いずれやるときがくるかもしれぬとぼんやり夢想していたものとは違う。完全に対岸にあったものが、今やこなたにある。
 多忙な日程の合間を縫ってしなければならぬ練習。その恥ずかしさのことを思うと、暗澹たる気持ちになるのだった。

ヴィンランド・サガ①

2007-06-14 19:41:07 | マンガ
 暖炉の中で火が爆ぜた。外は吹雪だが、狭い小屋は10人以上も子供がひしめいていて暑いくらいだ。子供らは一様に興奮し、身を寄せ合うように座っている。輝く目の先には小柄な老人の姿があった。
「マルクランドを後にし、ワシらの船はさらに南へ下った……」
 立派な口ひげを蓄えた老人は、もったいぶるようにしてパイプをふかした。服装自体は地味なヴァイキングの装束だが、頭に立派な羽根飾りをかぶっていた。
「もっともっと豊かな土地が南にある。風がそう告げていたのだ」
 老人の話は佳境に入っている。大ウミヘビ(ヨルムンガルド)の住まう西の海を越えて旅をしてきたという突拍子もない彼の話を、子供らは憧れをもって聞いている。寒さで凍え死ぬことも、食い物がなくて餓死することもない楽園の話。奴隷商人どころか戦すらもない概念上の理想郷。
「そしてワシは見つけたのだ。果物が実り、草原波打つあの新天地をな。ワシは彼の地に小屋を建て名をつけた。ヴィンランドと」  

「ヴィンランド・サガ①」幸村誠

 11世紀フランク王国領。フランク族同士の小競り合いを見つめる一団があった。精悍無比なデーン人(ヴァイキング)100名からなる傭兵団と、その長アシェラッドだ。
 砦に篭る200人を攻めあぐねている寄せ手側に助っ人して利を得る。立ちはだかる者を切り伏せ、血の装束を身にまといながら宝物庫を襲う。残忍な計画を笑顔で組み立てると、アシェラッドは後ろに呼びかけた。
「トルフィン。出番だよ」
 呼びかけに応じ現れたトルフィンは、伸ばした金の前髪の隙間から陰惨きわまる眼光を走らせた。まだ子供といって差し支えない年齢だが、自分より遥かにデカい大人たちの間にいながらまったく臆するところがない。
 寄せ手の親玉に軍使として話をつけてくるようアシェラッドに命令されると、トルフィンは面倒なことは何一ついわず、代わりに褒美を約束させた。金貨でも財宝でもなく、酒や食い物や美女ですらない。欲しいものは、ただひとつ……。
 お前の首だ。
 殺意のこもった目で、アシェラッドをねめつけた。
 
 親の敵の爪牙となって、短剣二刀流で敵中を暴れ回る。そんな皮肉な境遇のヴァイキングの少年トルフィンの登場を描いた第1巻。前半は砦落としと対アシェラッドの一騎打ち。後半は幼児時代のトルフィンとその周辺の話だ。
「プラネテス」の作者によるこの作品は、ヴァイキングという地味極まりない題材をモチーフにしながら、活劇のうまさと、なにより個性的なキャラクター付けで一躍人気漫画となった。
 クールでお茶目なアシェラッド。陽気で素直なヴァイキングたち。対照的に陰にこもった主人公トルフィンは、若くて美形なくせに無愛想で剣呑で、親の敵討ちのことしか頭にない。まさに抜き身の刃といったところだが、その切っ先は他人だけではなく自分にも向けられている。走狗に成り下がった自らの不甲斐なさに歯噛みしながら、孤独にしかし戦士の誇りを胸に抱いて生きていくトルフィンの横顔から目が離せない。

銭⑤

2007-06-12 21:38:37 | マンガ
 商人とは恥ずべき職業で、お金自体卑しいもので……。
 お金のことについて、あまり学んでこなかった。算数の時間に習った果物の値段の計算以来、深く商売について教えてもらったことがない。

「銭⑤」鈴木みそ

 ジェニー、チョキン、マンビ。3人の浮遊霊が世の中のお金の仕組みについてお勉強していくコメディの五巻目。
「骨董の値段」
 前巻から引き続き、骨董など各種美術品の交換会の実態についてだ。骨肉の遺産相続争いに遭遇したジェニーたちが、思い入れのある骨董を売られた老婆の幽霊に付き添い、交換会会場を訪れた。
 交換会には会主がいる。その場を取り仕切る責任者で、会主が最初に値踏み、それを基準として競りが行われていく。会主の懐には場の取引の5%が手数料として入る仕組みだが、ものが売れなければ自腹で買い取りというリスクがある。昼飯代、場所代、駐車場料金すべて払わなければならないものの、それでも5%というのは悪くない。
 買い手の利益としては、まず店の不良在庫が捌ける。商品の回転を上げ、客に目星がついているならば安全にプラスを得られるというのはわかるが、場の支払いが1ヶ月から数ヶ月伸ばせるという特典もついているのが面白い。下手を打つとまさに自転車操業なのだが、上手くいったときは濡れ手に粟の大儲け。人生を台無しにする人が続出するのも納得だ。
 ものの価値と値段の推移。金の亡者の末路について学んだジェニーたちが老婆の家に戻ってみると、そこは親族同士のののしり合いの真っ最中で……。
「骨肉争うのは足りなかった愛情の取り合い」という結論はロマン的にすぎるか。
「メイド喫茶の値段」&「秋葉原のビジネス」
 舞台はジェニーたちが偶然訪れたメイドカフェ。メイドカフェ開店を考える二人組みと、霊が見えるメイドのエミの会話が面白い。
 狭い店内に小さな机と椅子のセットを並べ、レンジで一発の料理を臆面もなく提供し、客に張り付くほど人数のいない女の子たちが時々思い出したように接客しに行く。そんな商売が成立する不思議を、エミはこう説明する。
「想像力が愛なんデスよ」
 それを受けたカフェコーディネーターのコメントが秀逸。
「ざっくりいっちゃえば、なんのインテリアもない部屋にミッキーマウス1匹置いて、ディスニーランドが成立するかということね」
 秋葉原という特殊な立地と客層の持つイマジネーションが補完することで成り立つメイドカフェ。それをこんなきれいなファンタジーにまとめるとはお見事。
「エロの値段」
 コミックブームの編集者と沖縄出身の霊能力のある彼女が再登場。AV製作の裏側を描きつつ次巻へ続く。

アイ・ラブ・坊っちゃん

2007-06-10 23:33:41 | 観劇
「アイ・ラブ・坊っちゃん」劇団:音楽座

 音楽座のミュージカル観劇のため池袋に降り立った。上演中に寝ないようA君に何度も釘を刺されつつ中ホールに入る。千秋楽を迎える今日はさすがの人出で、ほぼ満席だった。演目は「アイ・ラブ・坊っちゃん」。夏目漱石の「坊っちゃん」をアレンジした音楽座のオリジナル作品ということだが、正直「坊っちゃん」自体読んだことがないのでまったく予備知識がない状態だ。一応開演前にパンフレットに目を通したのがよかった。基礎知識があるとないとでは感動が一桁違う。

「我輩は猫である」で文壇にデビューした漱石。小説家一本で食っていきたいがふんぎりがつかずイライラを募らせ、妻子にあたってしまう最悪の状態の漱石のもとをひとりの男が訪れた。高浜虚子。数年前に亡くなった漱石の親友・正岡子規が編集長を務めていた雑誌「ホトトギス」の現編集長。新作の進行状況を聞かれると、漱石は得意になって題名を告げ、あらすじを語り始めた……。
 まっすぐな気性で、立身出世間違いなし。女中の清にかかると、無鉄砲なだけの自然児も前途有望な若者になる。父親兄弟から見離され勘当寸前だったところを清のとりなしで助けてもらった坊っちゃんは、いずれ清を自分の傍に仕えさせることを誓いつつ、後ろ髪引かれる思いで四国は松山へ向かった。
 新任教員として教鞭をとり始めた坊っちゃん。赤シャツ、たぬき、野だいこ、うらなり、山嵐……。同僚の教員たちに勝手にあだ名をつけるところから遠隔地での生活が始まった。個性豊かな面々の中でもとくに豪放磊落な若手の山嵐と打ち解けた坊っちゃん。松山の町を闊歩し、下宿を紹介され、なんとか暮らしていける自信がついたものの、生徒にはからかわれっ放しだった。
 江戸っ子気質で頑固者の坊っちゃんは、子供たちには格好の遊び相手。怒れば怒るほど面白がられるオチだった。しかしそこは子供。いたずらも幼稚で滑稽なものばかりだったが、曲がったことが大嫌いでプライドの高い坊っちゃんには我慢ならない。ちょっとした誤解から山嵐と仲違いし、絶交状態に陥って機嫌の悪い坊っちゃん。宿直の夜に布団の中にバッタを入れられたことで、その怒りは心頭に達する……。
 不思議なことに、同じような事件が「坊っちゃん」を書いている漱石の身にもおこる。誤解だとわかっているのに娘を泣くまで怒鳴り散らして自己嫌悪に陥ったりと救いがない。極限まで悪化した精神の病が、とうとうありえない映像を漱石の眼球に映し出した。死んだはずの正岡子規や嫂の登世、さらにはドン・キホーテやサンチョ・パンサまでが現れ、漱石を励まし、叱咤していくのだ。
「自分を信じて、思い切ってやりたいようにおやりなさい。坊っちゃんのように」
 誰のためでもなく自分のために小説を書くことを決意した漱石。物語は加速し、いよいよ佳境に入る。
 町一番の美女と結婚するため、その許婚であるうらなりを追いやろうと画策する赤シャツ。敵対する坊っちゃん。仲直りした山嵐。行動派の二人は赤シャツの罠にはまり、自分の生徒と師範学校の生徒の喧嘩を仲裁したのに、首謀者に仕立て上げられてしまう。山嵐は退職に追い込まれ、坊っちゃんも立場を失くす。だがもちろんそのままでは済まさない。聖職にあるのにも関わらず、また町一番の美女とねんごろになっているのにも関わらず芸者遊びをする赤シャツの朝帰りの現場をとらえたふたりは、赤シャツを投げ飛ばし、ぶん殴って天誅を加え……。
 そこで漱石は気づいた。そうされなければならないのは自分ではないか。思い悩み筆を止めた漱石に、再び子規が語りかける。
「もっと単純になれよ」
 子規にキャッチボールに誘われ、いわれるがままにボールを投げあい受け止めあう漱石。魂の触れ合いとか交流とか、人として大事なことを学んだ。教職を捨て小説一本で生きていくことに決めた。そしてストーリーは最後の数歩を刻んだ。
 坊っちゃんはその後、教師を辞任し東京に戻った。盟友山嵐とはそこで別れ、以後会っていない。街鉄の技師の職を得、清を約束通り女中として傍に置いた。安い給料で、清のいうような立身出世はできなかったが、それでも清は幸せそうにしていた。死ぬ直前に清が頼んだように、坊っちゃんは清の亡骸を自分と同じ寺に埋葬した。
「だから……清の墓は小日向の養源寺にある」
 結びの言葉とともに、話は終わる。漱石夫妻のほのぼのしたその後や、坊っちゃんの運転する街鉄に漱石夫妻が乗り込むシーンなどもあるが、蛇足に感じた。ただ、損得も利害も超えた無償の愛をうらやましく感じていた。清の死と俺自身の祖母の死を重ね合わせ、ほろりとしていた。
 
 ……残念だ。こうして書いている今も、ストーリーがすべて把握しきれている自信がない。実際、漱石や漱石の生きていた時代のバックボーンを知らなければお話にならない。スタンディングオベーションで喝采を送る観客やA君のいる領域に到達するには、それほどまでに感動するためには、悔しいけれどもまだまだなのだった。

月の光

2007-06-09 21:04:39 | 小説
 娼婦たちは、なぜか俺にはやさしい。彼女たちは俺から自分たちと共通した匂いを嗅ぐのだろう。
 その匂いは、たぶんあきらめのに匂いだ。そしてひとりでいるときはこうしてメソメソセンチメンタルを気取っているが、人前に出れば妙に陽気になり、はしゃいで、唐突に腹を立て、すぐに反省する。

「月の光」花村萬月

 自己嫌悪と自己否定。そしてちっぽけな自尊心。それがジョーのすべてだ。若い頃に純文学で賞をとってから以後の作品がまったく売れず、三流紙の片隅に記事を載せることでようやく文壇と繋がりを保っている泣かず飛ばずの生活が、しばらくの間続いていた。倒産した印刷工場の事務所に格安で居を構え、唯一の財産ともいえる2000CCのハーレーと共に暮らしていた。趣味は20代から覚えた空手。道場の師範の娘に惚れながらも手を出せず、悶々としながら娼婦と遊んだりするろくでなしの30代。
 そんなジョーに転機が訪れた。ジョーの小説家としての顔に憧れ時折ファンレターなどを寄越していた松原が、ある日事務所の前で血まみれで倒れていたのだ。介抱しようと松原を事務所に運ぼうとしていたところを背後から殴られ、意識を失うジョー。気がついたときには松原の姿はすでになかった。家出して転がり込んできた師範の娘・律子をハーレーの後ろに乗せ、ジョーは松原を攫った連中のアジトを目指す。行き先は丹後半島。新興宗教団体・愛聖徳育会の本拠地だ。
 芥川賞受賞者の手による一風変わったハードボイルド。一連のオウム真理教事件の前に書かれた対宗教団体の話であることがわざわざあらすじに書かれている。何を大げさな、と思っていたのがだ、読了するとしみじみ無理もないと思わせられた。外界と隔絶され孤立したところを偏った論理で打ちのめして自我を崩壊させ、異常なストレス状態の中で何も考えられなくなったところに教義や教えを叩き込む。一時期新聞やニュースを賑わしたあのやり口がそのまま記されていたのだ。そして、その被害は律子の身にまで及ぶ。幼い頃から空手道を邁進し、心身ともに鍛え上げられたと思われていた彼女のトラウマ。その瑕疵につけこんだ奥村巡海の話術により、彼女は洗脳されてしまう……。
 愛する女がまるで違う人間に変わってしまう恐怖に震えた。律子を救うため、教団内部で孤独な戦いを繰り広げるジョーを応援せずにはいられなかった。

とめはねっ!

2007-06-07 21:02:27 | マンガ
 高校生くらいの少女が仁王立ちで棒を頭上に持ち上げている。50センチほどの長さで手貫きがついていて、先端には黒く染まった長い毛足がついていて……。
 題名と考え合わせると、ひとつしか答えはない。でも待てよ。いやいやまさか。そんなもの絵になるわけが……。

「とめはねっ!」河合克敏

 そのまさかだった。「帯をギュッとね!」で柔道を、「モンキーターン」で競艇を描いた河合克敏の最新作は、まさかまさかの書道もの……。
 カナダ帰りのがっかり帰国子女(そうは見えないという意味で)大江縁は、入学式でひたすら感動していた。書道部有志による揮毫「青春アミーゴ」に……ではなく、隣の席に座った望月結希のかわいさに。3人しかいなくて廃部寸前の書道部が思いを込めて書いた力作ではなく、生身の人間に。ほのかな想いがその後おかしな形で実を結ぶとは露とも思わずに、ただ望月の隣に座れた幸運に感謝していた。
 のぞきに間違われたことをネタに書道部に入れられた縁と、その縁を怪我させたことをネタに無理矢理書道部と柔道部の掛け持ちをさせられた望月。なんとか部員を5人揃えて形を保てた書道部は、とにもかくにも二人の育成に励む。一という字を一日500本書かせ、それができたら今度は十を書かせ、その次は永(「永字八法」といって一つの中に書道に必要な技法がすべて入っているらしい)の字を書かせ、さらには書道大会用の出典作品を書かせと、スポ根チックな展開もある。
 ともに書道とは無縁の生活を送ってきた二人。だが字のうまい祖母と幼い頃から手紙をやり取りしていた縁と、柔道しか知らずに育った普段着ジャージの望月では出来に雲泥の差がある。男らしくない縁に女らしくない望月が焼いたり、逆に望月の男らしさに縁が感心したりといったシーンもあるし、この二人の対比と融和が作品通しての筋なのだろうか。
 天使のようにやさしい部長ひろみ。元ヤンくさい加茂、策士の三輪と、書道部を構成する面子(全員女性)も賑やかで飽きない。
 全体的にソツなくまとまっているのはさすがだが、どうも一抹の不安が拭えない。それはやはり、書道というテーマ性だ。喧嘩だったら相手をぶん殴る。スポーツだったら決まった得点を入れる。テーブルゲームだったらゴールを目指す。ミステリだったら犯人探し。サバイバルだったら生き残り。なんにだって目標ってものがある。また、そうでなければ盛り上がらない。書道の場合はどうだろう。コンクールで賞をとることか? 基準はどうする? 美醜なんてどうやって表現するのだ。
 もちろん、あらゆる話がきっぱりはっきり何かをすることを目的として作られているわけではない。はっきりしないもやもやしたものの中に答えを見出す作品なんていくらでもある。だから不安なのだ。柔道に競艇といったわかりやすい作品ばかり描いてきた人がいきなり新分野に挑戦するのが。まだ1巻しか出ていないが、この先打ち切られずに続けていけるのか。目新しいネタだけに、是非完成させてほしいという気持ちが強い。河合克敏の今後に期待だ。

少女ファイト(2)

2007-06-05 17:42:19 | マンガ
 お前さあ、真面目にイジメられてんじゃねーよ。こんなもんお前次第でどうとでも変わるんだよ。

「少女ファイト(2)」日本橋ヨヲコ

 私立黒曜谷高等学校入学式。総代を務めるのはスポーツ科学科の小田切学だった。小学校の頃にいじめられっ子だった彼女は、その時救ってくれた大石練の言葉に突き動かされ、バレー部のマネージャーになって練が主人公の漫画を描くためにこの春同校を受験したのだった。
 入学式には、式島兄弟の弟ミチルや男子の総代三國などの男バレ軍団の他に、バレーボールの頂点に立つことを志す女子が参加していた。入学式後のエキジビジョンで、彼女たちは出会う。飴屋中のアイドル長谷川、コギャルのナオ、スケ番延友、委員長タイプの伊丹と個性派揃い。しかし彼女達の先輩はさらに輪をかけたような「魔女」揃いで……。
 成り行きでマネージャーではなく部員となった小田切と、ナオ、練の3人対長谷川、延友、伊丹の3人がレギュラーを賭けて3対3の試合をするのがこの巻の目玉。あまり試合シーンのなかった前回とは違って、いかにもバレーボール漫画という雰囲気になってきた。
 個性豊か、というより問題児揃いといった感のある新1年生たちと、ここでも一目置かれている練のやり取りが面白い。
「えっと……3人の特徴としては……。伊丹さんはセッターで、かなり精度の高いトスを上げてます。守備は一番上手くて……。ネット近くへの返球になると高さがない分2アタックで返すクセがあるかな。長谷川さんは瞬発力があってブロックと速攻が得意ですが、球質が軽くて拾いやすいかも。あと繋ぎとレシーブはあまりできません。延友さんは大砲タイプ。打ち分けは苦手でほぼクロス。レシーブは正面からだと上げられるけど予想外のコースには対処できてないかな……」
 なんて個人個人の分析を軽々としてしまうくせに、人間性が掴めてない練。
「昔あの子狂犬ってあだ名だったの知ってるー?それで私も最初すっげー練のこと怖かったんだけどさー。実際つきあったら拍子抜けするほどフツーでさー。すっかり忘れてたよ、今さっきまでは」
 昔のワンマンぶりの片鱗を見せてしまいナオに怯えられてみたり、
「私……昔自分の勝手な思い込みで辛かった時期があるので……。今は自分でなるべく確かめるようにしてるんです。本人にだってわかってない場合もあるんですから、人からのまた聞きなんてもっと当てになりませんよ。だから私は手触りがないものはあまり信じません」
 式島兄とのことで落ち込む練に、さらりといいことをいってのける小田切が、陰に日向にちょこまかと練の世話を焼いているのが微笑ましい。登場シーンも存在感も、バレーの実力も右肩上がりに成長する彼女が2巻の主役だ。練が好き、練に近づきたい。そんな受身の気持ちだけでなく、より踏み込んで幸せになってほしいとまで願っている小田切の思いはかなうのだろうか。二人は親友となれるのだろうか。気恥ずかしいようなもどかしいような気持ちで読み終えた。

風が強く吹いている

2007-06-04 19:22:39 | 小説
 あいつだ。俺がずっと探していたのは、あいつなんだ。
 清瀬の心に、暗い火口で蠢くマグマのような確信の火が灯った。見失うはずがない。細い道のうえで、あの男の走った軌跡だけが光っている。夜空をよぎる天の川のように、虫を誘う甘い花の香りのように、たなびいて清瀬の行くべき道を示す。
 風を受けて、清瀬のドテラが大きく膨らんだ。走る男を、自転車のライトがようやく照らし出す。清瀬がペダルを踏むたびに、白い光の輪が男の背で左右に揺れる。
 バランスがいい。興奮を必死に抑え、清瀬は男の走りを観察した。背筋に一本のまっすぐな軸が通っているみたいだ。膝から下がよくのびる。無駄な強張りのない肩と、着地の衝撃を受け止める柔軟な足首。軽くしなやかなのに、力強い走りだ。

 自転車に乗ったその男は、少し距離を取り、黙って走の横についていた。走も相手の出方をはかりながら、ペースを乱さずに走りつづける。コンビニの店員に頼まれて自分を追ってきたのか、それともまったく無関係なただの通行人なのか。走のなかで不安と緊と苛立ちが頂点に達しようとしたそのとき、穏やかな声が遠い潮騒みたいに耳に届いた。
「走るの好きか?」

「風が強く吹いている」三浦しをん

 東京箱根間往復大学駅伝競走。通称箱根駅伝。1月2日・3日に行われる関東地方の大学対抗の駅伝大会で、往路108.0km、復路109.9km、計217.9kmを10区間10人で走り継ぎ、総合順位で勝敗を争う。時期がちょうど正月三が日とかぶることもあり、年初の国民的イベントとなっている。
 寛政大学4年生の清瀬灰二(きよせはいじ)は、ひょんなことから同大学の新入生蔵原走(くらはらかける)と出会う。銭湯の帰り道に清瀬の目の前を通り過ぎたコンビニ泥棒が走だったのだ。長距離走者としての類稀な才能を有しながら故障により道を閉ざされていた清瀬と、同じく資質に恵まれながら高校時代の暴行事件により陸上に関わることを避けていた走。共にアスリートとしての辛酸を舐めつくした二人が出会った時、奇跡は起こる……。
 元サッカー部の双子、ジョータとジョージ。
 元陸上部だが自らの才能に見切りをつけヘビースモーカーに堕ちたニコチャン。
 クイズ王のキング。
 黒人の国費留学生ムサ。
 在学中だがすでに司法試験に合格している秀才ユキ
 物静かな田舎者、神童。
 漫画オタクの運動音痴、王子。
 そこに清瀬、走を加えた10人が箱根を目指す。陸上に関係のあった者もなかった者もいる。運動神経がある者もない者もいる。共通点は皆ボロアパート竹青荘の住人であるということだけ。箱根出場どころか、各区間の平均距離21㎞を完走できるかどうかすら怪しい寄せ集めの寛政大学陸上部は、しかし信頼感の厚いリーダー清瀬の多少(?)強引な音頭により、えっちらおっちらマイペースに陸上の練習を始めたのだが……。
 走ることを呼吸の一部としか思わない清瀬や走と、そうでないメンバーの間には当然軋轢と確執がある。
 どうしてこれくらいの距離が走れないんだ?
 どうしてそんなに真面目にやらなきゃならないんだ?
 仲の良かった竹青荘のメンバー間に諍いが絶えないようになる。しかし毎日の訓練と感情のぶつかり合いで信頼と友情を深めた一同は、一丸となり襷を繋ぎ、一歩また一歩と天下の険を目指す。
 シンプルイズベスト。さわやかなスポ根ものの小説だ。直木賞受賞作家三浦しをんの文章は、下記のように修飾が美しく、それが走るということのストイック差を浮き彫りにし、読む者の心に爽やかなものをもたらす。
「ああ、と走は思った。もしもハイジさんの言うとおり、走ることに対するこの気持ちが、恋に似ているのだとしたら、恋とはなんて、報われないものなんだろう。一度魅惑されたら、どうしたって逃れることはできない。好悪も損得も超えて、ただ引き寄せられる。行き先も分からぬまま、真っ暗な闇に飲まれていく星々のように。つらくても、苦しくても、なにも得るものがなくても、走りやめることだけではできないのだ。」
 走ることしか知らない走が八百屋の娘に恋をし、箱根常連校のエースとライバル関係になり、竹青荘のメンバーと襷を繋ぐことにより誰かと一緒になれることの喜びを知る。そんな清々しい成長ぶりを暖かく見守る清瀬との、年齢も性別も超越した(変な意味ではなく)結びつきは、スポーツを通してしか得られない魂同士の結合だ。そのまぶしさに、学校の運動部で切磋琢磨、という二度とは得られぬ関係のことを懐かしく思わされた。部活をやめてからも人生は続くとはいえ、あの一瞬だけはもう戻ってこない。手に汗を握り、涙を流した小説は本当にひさしぶりだ。文句なし、本当におすすめの一冊だ。

2007/06/03

2007-06-03 16:22:40 | 出来事
2007/06/03

 脱北者が自害用の毒薬持参で日本海を渡っている頃、Yが肩の重みに悩まされている頃、Yの彼女のHは痛みをともなわない生理に悩まされていた。生理が終わった頃、もう一度生理がきた。調べてみたら、流れていた。気付かぬうちに、彼らの子供は死んでいた。それを聞いていたK兄ぃが、自分も水子が三人いるとカミングアウトした。毎年命日になれば供養にいっている。K兄ぃの先輩は、自分の水子のことを忘れぬよう、体に梵字を掴む降り龍の墨を入れている。
 世の中には、そんな絶望がたくさんある。ありふれた悲しみの末に、誰もが今を生きている。難しくて、切なくて、事の重みに泣き崩れそうになりながら生きていく。
 赤ん坊になる前に死んでしまった命のことを思った。生きようとして生きられなくて、この世に生れ落ちる前に儚く散った命のことを思った。思いながら、牛乳プリンを食べていた。うまくはなかった。ぼやけたような味しかしなかった。抜けるような青空。窓から微かに風が吹き込んできた。虫の鳴き声。遠くはない夏の訪れ。それを感じられぬということを思った。