はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

月の光

2007-06-09 21:04:39 | 小説
 娼婦たちは、なぜか俺にはやさしい。彼女たちは俺から自分たちと共通した匂いを嗅ぐのだろう。
 その匂いは、たぶんあきらめのに匂いだ。そしてひとりでいるときはこうしてメソメソセンチメンタルを気取っているが、人前に出れば妙に陽気になり、はしゃいで、唐突に腹を立て、すぐに反省する。

「月の光」花村萬月

 自己嫌悪と自己否定。そしてちっぽけな自尊心。それがジョーのすべてだ。若い頃に純文学で賞をとってから以後の作品がまったく売れず、三流紙の片隅に記事を載せることでようやく文壇と繋がりを保っている泣かず飛ばずの生活が、しばらくの間続いていた。倒産した印刷工場の事務所に格安で居を構え、唯一の財産ともいえる2000CCのハーレーと共に暮らしていた。趣味は20代から覚えた空手。道場の師範の娘に惚れながらも手を出せず、悶々としながら娼婦と遊んだりするろくでなしの30代。
 そんなジョーに転機が訪れた。ジョーの小説家としての顔に憧れ時折ファンレターなどを寄越していた松原が、ある日事務所の前で血まみれで倒れていたのだ。介抱しようと松原を事務所に運ぼうとしていたところを背後から殴られ、意識を失うジョー。気がついたときには松原の姿はすでになかった。家出して転がり込んできた師範の娘・律子をハーレーの後ろに乗せ、ジョーは松原を攫った連中のアジトを目指す。行き先は丹後半島。新興宗教団体・愛聖徳育会の本拠地だ。
 芥川賞受賞者の手による一風変わったハードボイルド。一連のオウム真理教事件の前に書かれた対宗教団体の話であることがわざわざあらすじに書かれている。何を大げさな、と思っていたのがだ、読了するとしみじみ無理もないと思わせられた。外界と隔絶され孤立したところを偏った論理で打ちのめして自我を崩壊させ、異常なストレス状態の中で何も考えられなくなったところに教義や教えを叩き込む。一時期新聞やニュースを賑わしたあのやり口がそのまま記されていたのだ。そして、その被害は律子の身にまで及ぶ。幼い頃から空手道を邁進し、心身ともに鍛え上げられたと思われていた彼女のトラウマ。その瑕疵につけこんだ奥村巡海の話術により、彼女は洗脳されてしまう……。
 愛する女がまるで違う人間に変わってしまう恐怖に震えた。律子を救うため、教団内部で孤独な戦いを繰り広げるジョーを応援せずにはいられなかった。

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