「ワセダ三畳青春記」高野秀行
「幻獣ムベンベを追え」、「ミャンマーの柳生一族」、「巨流アマゾンを遡れ」……著作のタイトルを並べただけでもわかるように、高野秀行は怪しい作家である。内容も高尚な文学の香りとは程遠いところにあり、それこそ木スペを彷彿させるようないかがわしさを漂わせている。
本書は、そんな作者が大学在学時代から入居し、青春の多くを過ごしたあるアパート・野々村荘にまつわる記録だ。三畳一間で押入れエアコン付。風呂はなく、トイレも共同だが、駅に近く、何より家賃1万2千円という破格の値段が貧乏学生にとってはありがたい。管理人のおばちゃんもおおらか極まりなく、身分は気にしないし又貸しもOKときては、作者のように探検部に所属し、1年の大半を海外で過ごすような自由な若者にとっての一つの理想の住まいといえる。だが、そういった特殊な物件故に、もちろん様々な問題も抱えていて……。
寝返りがうるさいと文句をいう。共同の炊事場で作る料理がやたらと臭い。人の作った料理に勝手に調味料を加える。人の部屋の電話に勝手に出る……はた迷惑な隣人たちとの攻防戦や、セールスマンすら寄り付かないおんぼろアパートの不便な暮らしは賑やかで楽しい。
数年がたち、探検部の仲間や奇特な友人たちがアパートを離れ、それぞれの職場や家庭で居場所を見つけて大人の社会に組み込まれていっても、作者は断固として住み続ける。そんな彼のもとを、たびたび皆が訪ねる。「なんだおまえまだこんな暮らししてんのか」、「変わんねえなあ」狭苦しい三畳で飲みかつ語り、寝床にして、翌朝会社に出かけていく。
「祭りのあとは淋しいものだが、その思いは誰もが共有している。私の場合は、祭りが終わったあとの神輿のような心境である。さっきまでみんなにわっしょいわっしょいと担がれていたのに、今では神社の物置にしまわれ、たったひとりぽつねんとしているような」
そんな独白が切ない。そしてとても共感できる。大人になってから、昔の自分に戻れる場所があるのは嬉しいことだ。自由を固持する仲間がいてくれるのは誇らしいことだ。神輿として担がれる側になった作者の哀愁も、痛いほどに伝わってくる。
もしひとつだけそういう場所を確保できる権をもらえたら、僕の場合は大学時代がいい。TRPGのサークルで、部室はなかったけどいつも溜まり場にしている空き教室があった。授業と授業の合間に、放課後に、ちょっと顔を出すといつも誰かしらがたむろしていて、好き勝手に自分の趣味に励んでいた。TRPGはもちろん、MTGや各種ボードゲーム、お絵かきなど、とにかくそういったものが好きな人たちが常にいた。誰の視線もはばかることなく、好きなだけ趣味に没頭することができた。今はもうない。TRPGの衰退とともに廃部となった。