はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

「マイボス・マイヒーロー」

2007-01-30 23:57:44 | 映画
「マイボス・マイヒーロー(漢字表記は頭師父一體。トゥサブイルチェと読む)」監督:ユン・ジェギュン
         
韓国ヤクザの若頭ドゥシク(チョン・ジュノ)はバカだ。メールと手紙を間違えたり(それはそれで合ってるような気もするけども)、自分の名前を漢字でかけなかったりと筋金入りのバカ者。組長に高校卒業を命じられ、とある私立の高校にギブ入学(裏口入学)するも、そこは悪徳校長の支配する学園で……。
笑いあり涙ありバイオレンスあり。とにかくいろんな要素を詰め込めるだけ詰め込んだらこんなんなっちゃいました、という韓国映画特有の(偏見)好き放題しっちゃかめっちゃかムービー。日本ではリメイク版がテレビドラマ化され、2006年に放映された。個人的にはそちらのほうがまとまりが合って好きなのだが、原石ごろんのこちらも悪くない。ヤクザと高校生達による校舎突撃&大乱闘とか、日本版には無い見所も多い。
しかしなんといっても特筆すべきはドゥシクの同級生ユンジュ(ソン・ソンミ)のやられ具合。これが本当にすごいのだ。涙でメイクが子供の落書きみたいにぐしょぐしょになったり、いじめっ子グループとの乱闘で顔を腫らしたり、暴力教師に髪を掴まれ引きずり回され、挙句は暴行に次ぐ暴行で病院送り。医師に瞳孔をチェックされてるシーンなんかはあまりのむごさにポカーンと口を開けながら見てしまった。良くも悪くもアクの強い映画だけど、ソン・ソンミの役者生命を賭けた(?)汚れっぷりのためだけでも一見の価値はある。

広重殺人事件

2007-01-30 19:56:52 | 小説
そうなることを知っていた。知りたくなかった結末。動かしがたい事実。その存在を知っていた。
「春信殺人事件」において、塔馬は悔いている。津田良平の死のことを。
だから俺は知っていた。津田と冴子の温かい夫婦関係を眺めるほどに、年月の積み重ねを感じるほどに、切なさが募っていった。
でも、目を背けてはいけない。事実から逃げてはいけない。それが読者の定め。津田と冴子が写楽の謎を追って大館を訪れてから数年。その旅がようやく終わろうとしている。
さあ、浮世絵ミステリ三部作、完結編の始まりだ。

「広重殺人事件」高橋克彦

写楽、北斎ときた浮世絵ミステリ三部作完結編は、いわずと知れた歌川広重。といいたいところだが、浅学無知のせいかいまいちぴんとこない。東海道五十三次といわれればうなずけもするが、前二者ほどには腑に落ちるものがない。
しかし案ずることなかれ。浮世絵世界を解説させればこの筆者の右に出る者はない。専門用語も控え目に、初心者にもとっつきやすいよう透徹した歴史観の中での浮世絵の位置づけを説明してくれる。それは「津田の研究方法は絵から離れて歴史の中に浮世絵師を嵌め込むというユニークな手法を取ってきた。写楽イクオール秋田蘭画説にしても、北斎隠密説にしても、解答がでてみればそうかと頷ける仮説だが、絵に縛られている研究者にはなかなか思いつけない発想だろうな」という作中の美術探偵塔馬双太郎のセリフにも明らかだ。
主人公津田は枠外の視点から研究を行う異端児で、だからこそ数々の新事実を発見することができた。今回の広重に関しては、彼の謎多き東北旅行に関する絵日記が発見されたことを端緒に、維新を絡めた「広重暗殺説」を提唱した。 甲州日記写生帳をヒントにしたものだと思うが、その示唆に満ちた味わい深い謎には、ある種の品格のようなものさえ感じられる。
読み終わったあとに感じる寂寥感もまた、本作のポイントだ。塔馬、津田の妹真蒼、美術現代編集杉原、津田を愛する人々の嘆きが胸を打つ。
津田良平は強い人間ではなかった。浮世絵と妻を愛する、どこにでもいるような脆弱な人間のひとりにすぎなかった。彼を殺したのは世俗の欲望だ。金とか権威とか、人間の汚い部分が彼を殺した。
現実世界でも似たようなことは起こっているのかもしれない。作中塔馬が夢想した世界の到来を期待してやまない。
「夢でしかないが……仮に国が十人の研究者を選んで、一年という区切りをつけ、助成金としてそれぞれに三千万でもくれたら……浮世絵の研究が大幅に進む。たいていの謎には解決がつくんじゃないかい」

北の零年

2007-01-24 00:58:45 | 映画
「北の零年」監督:行定勲

1870年。庚午事変もしくは稲田騒動と呼ばれる武力襲撃事件により、洲本稲田家は北海道静内及び色丹島の移住開拓を命ぜられた。開拓すれば開拓した分だけ稲田家の領土になるとの約束を信じて何百名もの家臣郎党が海を渡った。未開拓の野生の原野を前にして、誰もが体のよい厄介払いであることを悟ったが、希望という言葉でそれを押し殺した。
船の難破。過酷な自然。多くの同胞を失いながらも小松原(渡辺謙)の指揮下にひとつにまとまりながら、最初の冬を乗り切った一同。春になり、ようやく稲田家の当主が到着するが、持って来たのは良い知らせではなかった。当主は廃藩置県により明治新政府との約束が反故にされたことを淡々と告げると、そそくさと洲本に帰っていった。
二重の裏切りに合い、絶望した一同を救ったのはやはり小松原だった。彼はこの地に自分達の国を作ることを呼びかけると、髻を切った。同胞の血と汗と命が染み込んだ大地に生きることを誓った。
北海道の自然は厳しい。自分達が故郷でやってきたようなやり方では稲が育たないことを知ると、小松原は札幌にあるという農園へと向かった。厳寒の大地でも育つ稲を求めて単身旅立った。
小松原が消息を絶ちしばらくすると、食料危機が訪れた。扶持米を横取りした行商人倉蔵(香川照之)が窮状に付け込み、村の中で勢力を誇った。
小松原の妻志乃(吉永小百合)は、手のひらを返したように冷たく当たってくる村人の仕打ちに耐えながら、娘の多恵(大後寿々花)と共に小松原の帰りを待った。それは長く過酷な日々だった……。

正直いって出来の良い映画ではない。北海道の厳しい寒さや過酷な自然がちいとも伝わってこないし、主役である吉永小百合の出番が少なすぎて、序盤がもたつく。奇妙な演出も目に付く(「ええじゃないか」とか)。
もうちょっと視点を絞ったほうがいいだろうとか。西部開拓じゃなくアメリカ開拓を想定した舞台設定にすればいいだろうとか。色々改善できるポイントはあるのだけど、ひとつだけ変えてはいけないものがある。それはテーマ。
この映画のテーマは裏切りと矜持だ。武を捨て農をとった稲田家の人々が、北海道の自然と維新によって激変した力関係に翻弄される中盤。ひたすらに夫の帰りを信じ待ち続ける志乃のいじましい姿と、その志乃に残酷な現実を見せ付ける後半において、それははっきりと明示される。再三に渡る裏切り。身分の逆転によるプライドの崩壊。人間という浅ましい存在への絶望と諦観。恐ろしいほどの冷徹さで、行定勲はそれを描く。
志乃の戦いはそういう戦いだった。北海道の原野の中で、無力な人間のひとりとして、次々と訪れる現実に打ちのめされながらもなお、雄々しく生き抜くこと。誇りは、それによってのみ保たれる。

レモネードBOOKS

2007-01-21 09:39:19 | マンガ
読書に空手に映画にギャンブル。
演劇にタップダンスに紙芝居。
微妙に趣味が合いそうで合わない二人はけっこう仲が良い。付き合い始めてちょうど1年。誕生日に何が欲しいと訊ねたら、俺の一番好きな本、だそうだ。

「レモネードBOOKS」山名沢湖

待ち合わせの場所に早く来すぎて1冊読破したり、逆に読みふけりすぎてバスの降車を失敗して待ち合わせに遅れたり。岩田君の生活は本を中心に回っている。
図書館のハシゴに付き合わされたり、古本市にふらふらと引っ張られていったのを待っていたり。森沢さんの恋人生活もまた本を中心に回っている。
二人は趣味が合いそうで合わないんだけど、どちらものんびりとした気質の持ち主だから、それなりにうまくやっていけている。
ほのぼのとした日常の中に本好きな人なら「わかる!」エピソードを混ぜたり、逆に本好きな恋人を持った人が「そうそう!」と手を叩いてしまうような出来事を描いたり、とにかく共感できる本なのだ。そういったカップルにはぜひ一読していただきたい。

怪獣の家

2007-01-19 01:20:19 | マンガ
耳が痛い言葉の大半は、思いやりでできている。
早めに気づいてしまえればいいのだけど、実際にはそうもいかない。叱咤されるのはたいてい心に余裕のない時だから、ほうっておいてくれよと思ってしまう。優しい言葉とはいわないまでも、もう少し柔らかくいってくれよと反論する。苛立って口論になることすらもある。それがただの甘えなんだと気づくのに時間がかかった。気づいた時にはすでに遅く、俺は大切なものを失っていた。
大学4年、就職活動の難航していた時期だった。夢を捨て、現実的に生きようなんて自分に言い聞かせてみても、自然に態度に出てしまう気のノラなさ。あの頃の俺は傍から見ても殺気立っていたと思う。
同時期に上京して、同様の野望を抱いていたH。先に挫折した俺に対する彼のはっぱは徹底的だった。後ろめたさもあった俺は、彼の言葉を冷静に聞くことができなかった。突っ張って、依怙地になって、彼の心の内を察することができなかった。
失われたものの大きさを、心にある空白の広さを、今思い知っている。

「怪獣の家」星里もちる

旅行代理店に勤める主人公・福田の家が壊されることに決まった。といってもそれは映画の中のお話。怪獣に踏み潰されるモデルハウスとして使用されることになったのだ。それだけならまだいいが、怪獣オタクの小雨・新人女優の由希も一緒に住むと言い出して……。
ひとつ屋根の下で訳ありのキャラが共同生活、という「りびんぐゲーム」以来の得意のパターン。テンポのよいギャグと痛々しい(良い意味で)シリアスのミックスされた展開も、衰えることなく冴えている。しばらく読んでなかったけど、やっぱり星里もちるは星里もちる。世間の盛衰に流されることなくあくまで自分を貫いている。
2巻完結の本作は、事故で失った家族(とくに喧嘩別れしたままの妹)を思い続ける福田の心のリハビリがメインテーマとなっている。小雨・由希の二人は、天岩戸の前で踊るアメノウズメの役どころ。
一般的な社会生活を送りながら、表面上は優しい物分りのいい人間を装いながら、福田は周囲とは距離を置いた位置を歩んでいる。愛することを禁じ、幸せになることを禁じるその姿勢は本当に頑なで、ちょっとやそっとのことでは開かない。そこで怪獣映画の出番となるのだ。子供向けでありながら家族の絆を描いた「ガルル対メカガルシャ」が、絶妙に福田の家族の思い出とだぶり、凍っていた時間を溶かしていく……。
失ったものはもう二度と戻らない。だけど、いいことだってたくさんあった。だったら、悲しいだけじゃないよね。だから、次からは笑って会おう。それが福田の選択。過去をないがしろにせずに、向き合って生きていく。都合のいい考え方かもしれないけど、折り合いをつけるってのはそういうことなのかもしれない。

北斎殺人事件

2007-01-16 10:27:12 | 小説
「北斎殺人事件」高橋克彦

妻冴子と共に、角館に写楽の影を追ってから数年。津田良平は浮世絵の道を離れ、郷里盛岡の私立中学校で日本史の教鞭をとっていた。写楽贋作事件の影響が、あれほど情熱に溢れていた彼をそうさせていた。
そんな彼を、世俗の悪意が再び表舞台に誘い出す。義兄国府の遺稿を出版したいという画廊の女経営者、執印摩衣子が津田のもとを訪れた。彼女は日本画壇の至宝執印岐逸郎の一人娘で、ハーフらしい彫りの深い美貌の持ち主だった。
もともと精神的に強い人間ではない津田は、二人きりで小布施を旅するうちに、摩衣子に心を奪われてしまう。冴子への愛は嘘ではないが、どうしても魅かれてしまう。それも依頼の終了とともに過ぎ去ってしまう一時の感情だと思っていたのだが、北斎の肉筆が事故で失われ、執印岐逸郎が殺されてしまい……。
浮世絵三部作の二部。今回のお題は北斎。世界的に有名な浮世絵師で、凱風快晴(赤富士)・神奈川沖浪裏など一般人にも馴染み深い傑作を数多く残している。北斎は生涯に30回の改号(春朗・群馬亭・宗理・百琳・辰政・画狂人・戴斗・為一・卍など)、93回の転居を繰り返すなど奇行でも知られている。
津田がつけこむのは3点。北斎が3万点もの作品を残しながら貧乏だとされていたこと。改名の多さ。転居の多さ。謎のひとつひとつに説得力のある推論をぶつけ、国府の残した「北斎隠密説」を補完する。その舌鋒は鋭く、繊細かつ理知的。さすが浮世絵ミステリと称されるだけのことはあり、凡百のミステリの謎解きなど相手にもならない斬新さをもっている。
旅路の楽しさ、というのもこのシリーズのテーマのひとつだ。信州小布施の散策などは、まるで自分がその場を訪れているかのようにうきうきとした気分にさせられる。それは津田という一流の案内者がいるからだろう。浮世離れした学究の情熱的な語り口には、摩衣子ならずとも心打たれる。もっとも、それこそがミスリードへと繋がっているのだが……。
先に世俗の悪意、と書いたが、やはり今回も津田は利用されてしまう。金とか愛とか、そういったありふれた欲望が津田の心を切り裂いていく。ただ浮世絵が好き。ただ北斎の謎を解明したいだけ。それなのに、周りが彼をほうっておいてはくれない。
疑心暗鬼の中、唯一の救いが妻の冴子だ。津田の浮気心も人間的弱さもすべて受け入れて、菩薩のように愛してくれる。その光景はまるで一幅の浮世絵のように、見る者に感動を与えてくれる。

もやしもん(4巻)

2007-01-13 20:45:51 | マンガ
沢木惣右衛門直保は、菌が肉眼で見えなくなりました。
それ自体は珍しいことではなかった。今までにもそういうことは何度もあった。そのたびに驚いていたらキリがないし、昔から自分の能力を嫌っていた沢木だから、歓迎こそすれショックを受ける必要はまったくない。でも、今回ばかりは違うようで……。

「もやしもん」石川雅之

寝ている遥の肉体に攻め込む菌群。正体の明らかになったゴスロリ少女。及川の部屋に遊びに行く直保。武藤を取り戻そうと暗躍するUFO研。のどかな日常と菌の薀蓄という基本構成はいつもどおり。今回はそこにプラスして本筋での動きがあった。ゼミもその構成メンバーも、今の自分を取り巻くほとんどの人が眼の能力のおかげで周りにいてくれているのだと思っている沢木が、能力を失う事に漠然とした不安を覚え始めたことが原因だ。
彼は自分の能力が嫌いだった。人の持っていないものを持っていることにより、奇異の目で見られることが嫌だった。人と同じでありたい。普通でありたい。その思いは彼を知人の少ない大学へと駆り立てた。だがそこで待っていたのは彼の能力を羨む人たちだった。殺してでも奪い取りたいと思われるほどの自分の能力の希少性にあくまで実感の湧かぬまま、直保はぬるい日常を過ごしていた。親の脛を齧り、先輩に親友に甘えていた。そのツケがこようとしている。自分で選ばねばならぬ岐路に差し掛かっている。
「俺は何しに大学来たんだ?」
青臭い悩みに浸る直保を、遥は突き放し、美里と川浜は慰め、復活した蛍は語り合い、それぞれがそれぞれのやり方で接する。不器用な優しさたちがまぶしい。
大人になろうとしている少年がぶつかった壁。それをどう乗り越えるのか。最大の見せ場は、たぶん次巻。

げんしけん(9巻)

2007-01-10 21:11:20 | マンガ
中学・高校と軟式テニス部に所属していた。たいしてうまいというわけではなかったけど、種目も運動自体も好きだったから、続けることは苦にならなかった。でも、大学に入ったら軟弱なサークル活動に参加しようと決めていた。それは故郷が離れたせいでもある。知り合いのまったくいない環境で、一から自分の好きなことがやりたかった。
アニ研はコアすぎた。漫研は指先が不器用すぎた。創作研究会は敷居の狭い感じがした。落ち着いた先がTRPG研究会だった。TRPGとアニメと漫画とゲーム。そのスクエアはとても近しい存在で、満遍なくバランスよくすべてを楽しめた。
かくて、乱痴気騒ぎの日々は始まった。

「げんしけん」木尾士目

隠れオタク、というような人種がいる。オタクであることをカミングアウトすることができず、ノーマルな人間を装いながら、周囲にひっそりと溶け込むように息をしている。認めるのが怖いからだ。オタクであることがバレることにより、それまで培ってきたコミュニティからつまはじきにされるのが怖いのだ。
本作の主人公笹原もまた、そういうオタクのひとりだった。そんな彼が封印していた趣味のチャンネルを全開にして楽しもうと決意したのは、大学に入ったからだ。大学という場所にはそういう効果がある。全国から集まった不特定多数の知らない若者の中なら何をやっても許されるというような、そんな雰囲気がある。
そうして彼が選んだのは現代視覚文化研究会。通称げんしけん。アニメ、漫画、ゲーム、どっちつかずの中途半端なサークルだが、そのせいか、他にはない個性的な人間が集まってきた。ガンダムオタクや絵師、コスプレイヤーのような類型的なキャラに混じって、バイリンギャル、どう見ても一般人にしか見えない超絶オタク美青年などのカンフル剤的キャラが姿を見せ、それらが絡み合い、独特なサークルの雰囲気を作り出している。
作者の狙いは、閉じた世界を引っ掻き回すことだったのだろうと思う。壊すのではなく、引っ掻き回す。それによって変わっていく人たちを描きたかったのだ。
その結果一番変わったのが、主人公の笹原だ。オタクであることを認め、腹を括り、漫画編集者という夢に向かって走っていく。恥じらい、遠回りし、おどおどしながら、笹原らしいゆっくりとした歩き方で大人の社会へと踏み込んでいく。その姿は微笑ましく、どこか懐かしい。
スージー&アンジェラも含めたげんしけんフルメンバーでの初詣を描いた50、51話。笹原&荻上の、漫画編集者として漫画家としての付き合い方を描いた52話。斑目の春日部への思いに触れた53、54話。げんしけんのこれからを示した最終話。そして、おまけの登場人物たちによる宴会シーン。
生中片手に思いを馳せる。9巻までの道のり。笹原たちが作り上げてきた「場」。いつまでも終わりのない乱痴気騒ぎ。それはある種の夢に似て……。

探偵は今夜も憂鬱

2007-01-08 21:02:13 | 小説
実家に帰省した折、Aへのプレゼント探しのために懐かしい故郷の町を奔走した。
凍結した路面や隆起した轍に難儀しながら店を巡り、ふと通りがかった母校に立ち寄った。
駐車場に車を乗り入れ、除雪でできた雪山の脇に止めると、寒風吹きすさぶ中一歩を踏み出した。
かまぼこ型の体育館、三階建ての凸型の校舎、二つのグラウンド、併走するマラソンコース。プールは凍っていた。更衣室はあの時と同じトタン屋根の小屋だった。
すべてが懐かしく、まぶしく見えた。あの頃は、これが世界のすべてだった。

「探偵は今夜も憂鬱」樋口有介

柚木草平シリーズ第3弾は、短編集だった。といっても297ページの中に3編しか入ってない。著者いわく「短編が苦手」らしいので、中編集にしたらしい。
第1話「雨の憂鬱」は、元上司現恋人の冴子に紹介されたエステクラブ社長園岡エリに、妹にまとわりつく男を駆除してほしいと頼まれるが、その園岡エリが殺されてしまい……という話。
第2話「風の憂鬱」は、芸能プロダクション社長久保田輝彦から失踪した女優沢井英美を探してほしいと頼まれるが、どうも失踪に事件性が見出せず……という話。
第3話「光の憂鬱」は、バーのマスターにしてゲイの武藤健太郎の客に紹介されたショップの女主人外村世伊子に、3年前に山で遭難したはずの旦那から手紙が来たので、なんとかしてほしいと頼まれ……という話。
各話とも出だしは微妙に違うけど、いつものように本業のライターの締め切りに追われ、いつものように金がなく、いつものように美女に一目ぼれしまくり、最終的にはやっぱりいつもの柚木草平なんだ、というオチがつく。
この男のすごいところは、毎回掛け値なしに本気で美女に惚れるところだ。見た目とか仕草とか、そういった外見だけで惚れてしまうから、あとで泣くほど痛い目を見る。でも後悔はしない。だって本気だから。破れて傷ついても、立ち上がってまた恋を探す。それが柚木草平の宿命だから。きっと、それはこの先何年経っても変わらない。
この作品は、何年も昔のものだ。90年代前半、まだ携帯は普及しておらず、サッカーにはプロリーグがなく、インターネットがなく、バンドブームが下火になった頃。俺はその時中学生で、やはり今日のように少学校の校舎を懐かしんでいた。そういう性格も、たぶんこの先ずっと変わらない。

写楽殺人事件

2007-01-05 09:01:34 | 小説
本の中の登場人物の扱い方について、おおざっぱに3種類の人がいると思う。1つは存在するわけないじゃんと割り切る人。2つめはいてほしいなと願う人。3つめはいるんだと信じる人。
俺は2つめのタイプだった。積極的に肯定も否定もしないけど、ある種の登場人物について、もしくは架空の事実について、そうであってほしいなと祈ることがある。一言でいうなら妄想なんだけど、その思考の海は深く広く、たゆたっていると気持ちが良い。だから、それは子供の頃から始まって、今も続いている。

「写楽殺人事件」高橋克彦

東洲斎写楽、江戸時代の浮世絵師。作画期間は1794年(寛政6年)からおよそ10か月。その間に約140点の錦絵を描き、突如として消息を絶った。その作品は、レンブラント、ベラスケスとも並び称されるほどの評価を受け、今も日本を代表する絵師の一人とされている。
浮世絵類考によれば、阿波の能役者斎藤十郎兵衛らしいのだが、近年に至るまでこの十郎兵衛の実在が確認できず、ために多くの別人説を生み出した。本作の主人公津田良平は、その10数個の説の不備を指摘し、完膚なきまで粉砕し、新たな説を提唱した。それが近松昌栄。秋田蘭画の絵師である……。
浮世絵の研究者にして推理小説愛好家高橋克彦らしい、美術ミステリ。タイトルに殺人事件とあるように、「一応」殺人もあるのだが、それはほんの申し訳程度。謎解きの大半は、写楽が何者であったかに裂かれている。もちろん事実を基にしているわけではない。秋田書画人伝にある「近松昌栄。秋田の画家。佐竹氏に仕える。文政中の人」という一文だけを頼りに想像の翼をはばたかせ、まるで実際にそういう説があるかのように説得力のある骨組みを構築した作者の手腕を評価したい。
先に読んだ「春信殺人事件」と同様、浮世絵への接し方と立ち位置が生み出す愛憎と摩擦を描いたストーリーは、平凡だけど頷ける。主人公津田良平の学究的キャラクターと相まって、不思議な熱を胸に残す。もしこの説が本当なら、この人達が実在するのなら、そんな具にもつかない妄想が、どこまでも広がっていく。