風に揺れるワンピースの裾、マフラーに覆われた首筋、差し伸べられた両の手の平……今まで付き合ってきた女の子のことを忘れたことはない。記憶は霞み薄れ朧になりつつも、脳裏のどこかに名残がとどまっている。根本的に数が多くないせいもあるかもしれないが、それ以上に濃い付き合いをしてきたからだ。甘やかな感触も身を切る痛みも含めて、抜き差しならぬ関係を築いてきたからだ。
それだけに、失ったあとの空白は大きい。時に何年も自己嫌悪に苛まれる。だがそれでいいと思った。相手の心に消えない「何か」を残せぬ恋など、なんの意味がある?
いい思い出も悪い思い出も抱え込んで、死ぬまで生きること。それはエゴではなく、礼儀なのだ。最大限の敬意のあらわれなのだ。
「音楽座ミュージカル~メトロに乗って~」原作:浅田次郎
同名小説の舞台化。
小沼真次(広田勇二)は闇市から裸一貫で成り上がった小沼グループの代表・小沼佐吉(吉田朋弘)の長男だが、反発して飛び出し、いまはしがない衣料品会社の営業マンをやっている。スーツケース一杯に女性物下着を詰めこみ、地下鉄に乗って年がら年中営業先を回っている。家には妻と祖母と子供が二人。会社の同僚のデザイナー・軽部みち子(秋本みな子)との不倫。動脈瘤破裂による佐吉の入院など、とみに騒がしくなり出した周囲の出来事に振り回され、心身共に疲れきっていた。
25年ぶりの同窓会で凋落ぶりを嘲笑われ泥酔した帰りの地下鉄のホームで、真次は元教師の野平(服部演之)に再会する。野平との会話で今日が30年前に自殺した兄・昭一の命日であることを思い出した真次は、辛い記憶に苛まれながら地下鉄の階段を上がり……昭和39年の兄の命日にタイムスリップしてしまっていた。
その日は無事に帰ることができた真次だが、不思議な体験はみち子の身にも起こる。口論の末に昨夜の出来事の真偽をたしかめようとした二人は再びタイムスリップする。今度は戦後の闇市。離れ離れになったみち子が警官に連行される中、真次はアムールと名乗る満州帰りの帰還兵と出会う。
食い詰め者たちの世話を焼き、一攫千金の野望に燃えるアムールが実は若かりし日の佐吉であることを知らぬ真次は、心ならずも共闘する中で友情を深め合う。
一方みち子も、闇市から出征兵士を見送る新橋駅、満州、昭和初期と佐吉の過去を目にする傍ら、顔も知らぬ父やすでに亡くなった母・お時(井田安寿)と出会い、呪われた我が身の真実を知る。
いがみ合う父と息子の心の邂逅。そういうベタなテーマを描かせたら浅田次郎の右に出る者はいない。ついに結ばれぬ男女の悲恋というアナクロなスパイスも、濃すぎてかえって新鮮に描けている。
といいつつも真面目な浅田次郎は読みづらいので原作は未読なのだが、舞台を見ただけでも号泣ものの一作になっているだろうことは想像に難くない。大好きな母と語り合うみち子が、その母と真次の幸せを秤にかけるせつない決意など、ハンカチなくしては鑑賞できないような名シーンの連発で、苦手な舞台であるにも関わらず満足できた作品なのだ。
それだけに、失ったあとの空白は大きい。時に何年も自己嫌悪に苛まれる。だがそれでいいと思った。相手の心に消えない「何か」を残せぬ恋など、なんの意味がある?
いい思い出も悪い思い出も抱え込んで、死ぬまで生きること。それはエゴではなく、礼儀なのだ。最大限の敬意のあらわれなのだ。
「音楽座ミュージカル~メトロに乗って~」原作:浅田次郎
同名小説の舞台化。
小沼真次(広田勇二)は闇市から裸一貫で成り上がった小沼グループの代表・小沼佐吉(吉田朋弘)の長男だが、反発して飛び出し、いまはしがない衣料品会社の営業マンをやっている。スーツケース一杯に女性物下着を詰めこみ、地下鉄に乗って年がら年中営業先を回っている。家には妻と祖母と子供が二人。会社の同僚のデザイナー・軽部みち子(秋本みな子)との不倫。動脈瘤破裂による佐吉の入院など、とみに騒がしくなり出した周囲の出来事に振り回され、心身共に疲れきっていた。
25年ぶりの同窓会で凋落ぶりを嘲笑われ泥酔した帰りの地下鉄のホームで、真次は元教師の野平(服部演之)に再会する。野平との会話で今日が30年前に自殺した兄・昭一の命日であることを思い出した真次は、辛い記憶に苛まれながら地下鉄の階段を上がり……昭和39年の兄の命日にタイムスリップしてしまっていた。
その日は無事に帰ることができた真次だが、不思議な体験はみち子の身にも起こる。口論の末に昨夜の出来事の真偽をたしかめようとした二人は再びタイムスリップする。今度は戦後の闇市。離れ離れになったみち子が警官に連行される中、真次はアムールと名乗る満州帰りの帰還兵と出会う。
食い詰め者たちの世話を焼き、一攫千金の野望に燃えるアムールが実は若かりし日の佐吉であることを知らぬ真次は、心ならずも共闘する中で友情を深め合う。
一方みち子も、闇市から出征兵士を見送る新橋駅、満州、昭和初期と佐吉の過去を目にする傍ら、顔も知らぬ父やすでに亡くなった母・お時(井田安寿)と出会い、呪われた我が身の真実を知る。
いがみ合う父と息子の心の邂逅。そういうベタなテーマを描かせたら浅田次郎の右に出る者はいない。ついに結ばれぬ男女の悲恋というアナクロなスパイスも、濃すぎてかえって新鮮に描けている。
といいつつも真面目な浅田次郎は読みづらいので原作は未読なのだが、舞台を見ただけでも号泣ものの一作になっているだろうことは想像に難くない。大好きな母と語り合うみち子が、その母と真次の幸せを秤にかけるせつない決意など、ハンカチなくしては鑑賞できないような名シーンの連発で、苦手な舞台であるにも関わらず満足できた作品なのだ。