はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

アイ・ラブ・坊っちゃん

2007-06-10 23:33:41 | 観劇
「アイ・ラブ・坊っちゃん」劇団:音楽座

 音楽座のミュージカル観劇のため池袋に降り立った。上演中に寝ないようA君に何度も釘を刺されつつ中ホールに入る。千秋楽を迎える今日はさすがの人出で、ほぼ満席だった。演目は「アイ・ラブ・坊っちゃん」。夏目漱石の「坊っちゃん」をアレンジした音楽座のオリジナル作品ということだが、正直「坊っちゃん」自体読んだことがないのでまったく予備知識がない状態だ。一応開演前にパンフレットに目を通したのがよかった。基礎知識があるとないとでは感動が一桁違う。

「我輩は猫である」で文壇にデビューした漱石。小説家一本で食っていきたいがふんぎりがつかずイライラを募らせ、妻子にあたってしまう最悪の状態の漱石のもとをひとりの男が訪れた。高浜虚子。数年前に亡くなった漱石の親友・正岡子規が編集長を務めていた雑誌「ホトトギス」の現編集長。新作の進行状況を聞かれると、漱石は得意になって題名を告げ、あらすじを語り始めた……。
 まっすぐな気性で、立身出世間違いなし。女中の清にかかると、無鉄砲なだけの自然児も前途有望な若者になる。父親兄弟から見離され勘当寸前だったところを清のとりなしで助けてもらった坊っちゃんは、いずれ清を自分の傍に仕えさせることを誓いつつ、後ろ髪引かれる思いで四国は松山へ向かった。
 新任教員として教鞭をとり始めた坊っちゃん。赤シャツ、たぬき、野だいこ、うらなり、山嵐……。同僚の教員たちに勝手にあだ名をつけるところから遠隔地での生活が始まった。個性豊かな面々の中でもとくに豪放磊落な若手の山嵐と打ち解けた坊っちゃん。松山の町を闊歩し、下宿を紹介され、なんとか暮らしていける自信がついたものの、生徒にはからかわれっ放しだった。
 江戸っ子気質で頑固者の坊っちゃんは、子供たちには格好の遊び相手。怒れば怒るほど面白がられるオチだった。しかしそこは子供。いたずらも幼稚で滑稽なものばかりだったが、曲がったことが大嫌いでプライドの高い坊っちゃんには我慢ならない。ちょっとした誤解から山嵐と仲違いし、絶交状態に陥って機嫌の悪い坊っちゃん。宿直の夜に布団の中にバッタを入れられたことで、その怒りは心頭に達する……。
 不思議なことに、同じような事件が「坊っちゃん」を書いている漱石の身にもおこる。誤解だとわかっているのに娘を泣くまで怒鳴り散らして自己嫌悪に陥ったりと救いがない。極限まで悪化した精神の病が、とうとうありえない映像を漱石の眼球に映し出した。死んだはずの正岡子規や嫂の登世、さらにはドン・キホーテやサンチョ・パンサまでが現れ、漱石を励まし、叱咤していくのだ。
「自分を信じて、思い切ってやりたいようにおやりなさい。坊っちゃんのように」
 誰のためでもなく自分のために小説を書くことを決意した漱石。物語は加速し、いよいよ佳境に入る。
 町一番の美女と結婚するため、その許婚であるうらなりを追いやろうと画策する赤シャツ。敵対する坊っちゃん。仲直りした山嵐。行動派の二人は赤シャツの罠にはまり、自分の生徒と師範学校の生徒の喧嘩を仲裁したのに、首謀者に仕立て上げられてしまう。山嵐は退職に追い込まれ、坊っちゃんも立場を失くす。だがもちろんそのままでは済まさない。聖職にあるのにも関わらず、また町一番の美女とねんごろになっているのにも関わらず芸者遊びをする赤シャツの朝帰りの現場をとらえたふたりは、赤シャツを投げ飛ばし、ぶん殴って天誅を加え……。
 そこで漱石は気づいた。そうされなければならないのは自分ではないか。思い悩み筆を止めた漱石に、再び子規が語りかける。
「もっと単純になれよ」
 子規にキャッチボールに誘われ、いわれるがままにボールを投げあい受け止めあう漱石。魂の触れ合いとか交流とか、人として大事なことを学んだ。教職を捨て小説一本で生きていくことに決めた。そしてストーリーは最後の数歩を刻んだ。
 坊っちゃんはその後、教師を辞任し東京に戻った。盟友山嵐とはそこで別れ、以後会っていない。街鉄の技師の職を得、清を約束通り女中として傍に置いた。安い給料で、清のいうような立身出世はできなかったが、それでも清は幸せそうにしていた。死ぬ直前に清が頼んだように、坊っちゃんは清の亡骸を自分と同じ寺に埋葬した。
「だから……清の墓は小日向の養源寺にある」
 結びの言葉とともに、話は終わる。漱石夫妻のほのぼのしたその後や、坊っちゃんの運転する街鉄に漱石夫妻が乗り込むシーンなどもあるが、蛇足に感じた。ただ、損得も利害も超えた無償の愛をうらやましく感じていた。清の死と俺自身の祖母の死を重ね合わせ、ほろりとしていた。
 
 ……残念だ。こうして書いている今も、ストーリーがすべて把握しきれている自信がない。実際、漱石や漱石の生きていた時代のバックボーンを知らなければお話にならない。スタンディングオベーションで喝采を送る観客やA君のいる領域に到達するには、それほどまでに感動するためには、悔しいけれどもまだまだなのだった。

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